苦しい人間関係から脱出して新たな生き方をしようという提案が増えているようです

株式会社cocotamaさんとメンタルヘルスケアのアプリを作り始めて、厚生労働省のWEBサイトなどを見るようになりました。

今は人間関係を始めとする、ストレスの問題を抱えている職場が多いようですね。

会社がうまく行っていないときの人間関係の悪化は、昨日お話した相殺できるような楽しみも少ない分、自然に解消するのはなかなか難しいだろうと思います。

じゃあどうすればいいんだということになると、私はそれに応えるだけの知識は持ち合わせていないのですが、昨日あげた「社長は会社を大きくするな!」という本のタイトルにとても希望を感じたんですね。

著者は税理士の方のようですが、専門家が組織についてこのように大胆な提案をされていたのが新鮮でした。

東北の震災以降のような気がするんですが、戦後に敷かれた人生のレールのようなものに対して、そんなものはないんだよというような主張が増えたように思います。

堀江貴文さんのような方が自由な生き方を提唱されていますが、そのような本が目立ってきたのも、この頃あたりではないでしょうか。

インターネットでもそのような生き方、例えばブログで収益を上げて生活しよう、というようなことも盛んにいわれるようになりました。

自分で決められる状態にいることがストレスを溜めないために必要だと思います

何年か前、山本憲明著「社長は会社を大きくするな!」(ダイヤモンド社)という本を読みました。

この本が出版された2012年当時も、かつて日本経済を引っ張ってきた巨大企業が赤字に苦しみ、人員削減を強化していた頃です。

私も当時は、自分の性格や人間関係や今後やって行きたい仕事のことなどで、いろいろと悩んでいる時期でした。

社員が一人であれば、人間関係はその人との関係だけでいいが、社員が二人になると、社長と社員以外に社員どうしの関係が発生する。

そうやって、一人増えるごとに関係が複雑化して行くという解説に、確かにそうだなと納得した記憶があります。

本の最後には、「自分の人生に常に主導権を持つ立場」を確保することで楽しく生きよう、と主張されいる部分にとても共感しました。

そういう意味で、人間関係に悩みたくなければ社長一人の会社とか、社員一人の会社が一番いいということになります。

とはいうものの、職種によってそれができる会社もあるでしょうが、ほとんどの会社にとってはなかなか難しいと思います。

私が会社員だったときも、当たり前のことですが、人間関係で困ったこともありました。

いろいろなことにお手本のなくなった今の時代に学生生活を送りたかった気もします

不況になってから生まれた人は、バブルが崩壊するまでの右肩上がりの経済成長を知らないんですね。

私の世代は、今後そのような経済成長はもうないと頭で理解していても、行動が伴わない感覚の人はけっこういると思います。

子供の頃に、経済成長の世の中が世界のすべてだったのですから、そうじゃない世の中を体験として知りません。

何をするにしても右肩上がりの経済成長の影響が反映されていたはずです。

住まいも、食事も、学校生活も、娯楽も・・・。

昨日、根性で何とかなるのはゴールが分かっているからと書きましたが、今あげた例にもレールのようなものが敷かれていたと思います。

今の若い人はクルマを買わないといわれていますが、お金がないときはお金を使わないのが当たり前で、健全なことだと思います。

私が大学生のとき夏休みなどで帰省すると、地元の同級生はクルマを持っていました。

お金がない学生もローンで買っていたんだと思います。

私も楽器やパソコンをローンで買っていたので分かるのですが、仕事はいくらでもあるので、借金が返せないなんて考えもしませんでした。

時代が変化したことに対応したつもりでも潜在意識までは対応できないと思います

東芝の半導体事業の売却先が決まったようですね。

数年前までは、このような大企業の経営が苦しくなるなんて考えられませんでした。

小さな会社をやっていると、大きな会社の社員の方々の優秀さは本当に理解しているつもりですが、それでも今の経済状態や不運が重なると、このような結果になってしまう時代なんですね。

私には、大きな会社の経営の大変さは想像すらできないのですが、年齢だけは役員の方々とあまり変わらないように思いますので、育ってきた時代の感覚だけは共有できると思います。

私が生まれたときは高度経済成長時代でしたし、就職したときもバブルははじけていませんでした。

企業はものを作れば売れていました。

私が子供の頃は、テレビの青春ドラマやアニメはスポーツものが多かったです。

どんなに劣勢で苦しくても根性で頑張れば何とかなる。

根性で何とかなるのはゴールが分かっているからです。今のように、正解は自分で見つけなければならない時代ではありません。

生活の基盤である経済は右肩上がりの成長を続けている。

オイルショックなどで経済が一時的に停滞しても、長い目で見れば右肩上がりという事実は揺るがない・・・。

普通に生活している限り収まるところに収まるのだと思います

この方たちは、価値観にしろ会話にしろ全然違うと感じることもありました。

そのような世界を目の当たりにすると、ああ、人というのは自分の資質を活かして仕事をしているな、というか、必然的に自分の資質に合う仕事にたどり着くんだな、という印象を持ちました。

私が以前勤めていた会社には、学生アルバイトからそのまま就職したのですが、自分が採用されたのは技術者としてなのでちょっと特殊です。他の社員は普通に面接を受けて入ってきていました。

ですので、新入社員が話しているのを聞いていると、本当はあの部署に配属されたかった、などといっていました。

つまり大きな会社は、最初は自分の希望や資質とはあまり関係なく、さまざまな部署に配属されて行くんですね。

補足しますが、いくら希望した部署ではないといっても、業種は家電やエンターテインメント系という大きなくくりがありますから、希望した業界の仕事ではあるわけです。

そういう光景を当たり前のように見ていたものですから、独立してからまったく違う世界の業者さんを見ていると、自分は世間を見る目が狭かったなとつくづく感じたものでした。

独立してからは会社員のままでいたら会えないような職業の方に会ってきました

このような分不相応なことに対応できないのは、お金に限らず生活のさまざまな場面にいえることです。

昨日挙げた本のタイトルがとても印象的だったので、つい考え込んでしまいました。

生活のさまざまな場面となるとあまりに範囲が広いので、仕事に限っていうと、私がゲーム開発会社の社員だったころ、担当したタイトルがヒットして社長表彰を受けたことがありました。

これなんて、たまたま担当者だっただけであって、自分の実力とは関係ないのですが、当時は20代でしたし、チヤホヤされるので若干勘違いしていたところもあります。

しばらくして少しは自信を持って独立したのですが、やがて自分に実力なんてないことが分かって愕然とすることになります。

独立して何年かは、独立前にお付き合いのあった会社のお仕事をいただいていたのですが、その後は本当にいろいろなお仕事をしてきました。

独立前は大きな会社の社員でしたので、ソフトのマスターがアップしたあとは、自らプレスのために系列会社の工場に納品に行くんですね。

それと並行して、宣伝部隊や営業部隊が売るために動いてくれます。

部署ごとにやっていることは全然違いますが、自社製品を売るという目的は共通ですから、その意味ではやっている仕事内容は理解できます。

分不相応な幸運を手に入れてもそれを活かしきれないと思います

鈴木信行著「宝くじで1億円当たった人の末路」(日経BP社)という本があるようですね。

書評を見ると、それ以外にもいろいろな人の末路が書かれているようです。

宝くじに関していえば、インターネット上には高額当選者のその後は破産する話が多く見られます。

それだけの大金を手にすれば、働くことは馬鹿らしくなるでしょうし、仕事を辞めたら辞めたで人生を終えるまでの数十年間、何をして暮らすかという話になりますよね。

静かに考える時間があればまだいいでしょうが、知らない親戚が尋ねてくるでしょうし、資産運用の営業は引っ切り無しにやってくると思います。

知人からこれと同類の話を聞いたことがあります。

昔のことですが、自分の土地に国鉄電車の駅ができるため巨額の立ち退き料を受け取った人が、仕事を辞めたはいいが、暇なので昼間からお酒ばかり飲んで、体を壊した挙句に亡くなった・・・。

このような話を聞くと、人が運用できるお金は分相応に決まっていて、それ以上のお金は身につかないということのようです。

もちろん、中には見たこともない大金を手にしても、立派に運用できる人もいるかもしれませんが、その人は元々そういう資質があったということなのでしょう。

日用品もプログラミングされて驚くような使われ方をするかもしれません

ホームページを使って自社の情報を発信したり、メールフォームで顧客アンケートなどを実施して顧客サービスを行うことも、事務作業でExcelを使うのと同じくらい重要な業務だとは思います。

プログラミングの授業を受けた子供たちが成人して、プログラムを組むことにそれほど抵抗感のない若手社員が増えたならば、ホームページの動きのある表現やメールフォームを使った自動化など、必要だと思ったときに実現できるんじゃないでしょうか。

彼らが社会人になる頃には、Excelのマクロと同じくらいのスキルになっているように思います。

最近体験したのは、ディープラーニングの本を読んでいるとき、見ているだけで頭が痛くなる数式も、Pythonで書いてあるものを見れば理解できたことです。

これはスクリプトをやっていた効用ですね。うれしい驚きでした。

これからは仕事だけでなく、プライベートでもちょっとしたスクリプトを組む機会があるのではないでしょうか。

子供向けのロボットを使ったプログラミング学習キットがあるようですね。

近年いろいろな場面で使われているドローンなども、プログラミングの学習教材になりそうです。

・・・と思い付いて調べてみたらもう商品がありました。

プログラミングの授業を経験した世代はExcelのマクロのように気軽に使うと思います

小学校でプログラミングの授業が必須化されるというお話を、これまで何度か書いてきました。

日々業務をやっていて感じるのは、それはつくづくいいことだなということです。

私はアプリの開発はプログラマーにまかせていますが、それ以外の業務でも簡単なスクリプトならば組む場面はあります。

ホームページの作業をしていて、見る人にとって分かりやすい表現にしたり、使いやすく動作させたりしたいときは、WordPressのようなCMSを利用させてもらいます。

標準の機能でできないことは、ほんの少しPHPを書いてカスタマイズします。

メールフォームなどを使ってメールの自動化やアンケートの集計をしたいときも、Google Driveに用意されているGoogleフォームなどを利用させてもらいます。

標準の機能でできないことも、ほんの少しJavaScriptを書けば済みます。

総務部などで事務をやられている方が、Excelで決まった作業を行うときは、マクロやVBAを使って自動化することはよくあると思います。

そもそも、役所に提出する書類や会議の資料作りにExcelが必要ということになれば、使い方を覚えなければ仕事になりません。

何を持って幸福かということなんだろうと思います

「幸せだから成功する」という考え方は、クリエイティブの世界では当てはまらないこともあるのではないか、というお話をしました。

以前、あるアーティストさんのブログを拝見していたら、その方が昔好きだったアーティストが、幸せになったのか、活動が面白くなくなったと嘆いていらっしゃいました。

アーティストはハングリーでなければ、ということのようでした。

心が満たされている状態では作品を生み出せないということですね。

作品を生み出すためにはエネルギーが必要ですから。

もちろん、今の幸せを守りたい、維持したいというエネルギーもあるのでしょうが、それが作品を生み出すエネルギーに成り得るのかどうかは分かりません。

世の中がお花畑のように感じる人や、幸福の遺伝子を持っている人は、そうでない人に比べて心が安定しているとは思います。

本人が望んでいるのは何か、ということかもしれません。

安定した仕事に就いて、温かい家庭を持って・・・という穏やかな人生を望んでいるのか、その反対に、アスリートや芸術家など、メディアに取り上げられるような活躍をしたいのか。

あえて不幸を望んでいる人はそんなにいないと思います。