AIに関する本を買ってしまいました

斎藤康毅著「ゼロから作るDeep Learning」(オライリー・ジャパン)を買ってしまいました。

以前ここで、アルファ碁が世界最強の棋士に勝ったとことを書きましたが、ここ数年AIの話を聞かない日はほとんどありません。

それに関連して、AIの技術者が不足しているというニュースも耳にします。

一方で、IBMのWatson(ワトソン)というのがすごいだとか、Microsoftのりんなは本物の女子高生と会話しているようだとか、そんな話題に触れるたびに、あまりにも凄すぎて、AIの研究なんてIT巨大企業の社員がやればいいだけで、自分のような小さな会社とは縁のない話のように思っていました。

ですので、今までAIに関する本はあえて買わずにきました。

とはいうものの、去年から、一般に公開されている人工知能チャットボットに登録して、使い心地などを試すことはやっていました。

それに、Pythonは機械学習のライブラリが豊富に揃っているらしい、ということも聞いていたので、へぇ~そうなんだと少しは気にはしていたのです。

そんな中、先日Amazonで面白そうな本はないかと物色していたら、AI関係らしい妙に評価の高い「ゼロから作るDeep Learning」という本を見つけたんですね。

思考の癖をどのように受け止めるかによって行動は変わってきます

もちろん人間にはいろいろなタイプがあり、子供を見ていても、社交的であったり、人見知りであったり、外で走り回るのが好きだったり、室内で静かに遊ぶのを好んだり、妙に大人びていたり、無邪気で子供っぽかったりと、いろいろです。

ただそんな中でも本人にとっては、学校生活に特に違和感を感じていない子もいれば、どうも居心地が悪い、居場所がないと感じる子もいると思います。

社会人になって同級生と昔話をしていたとき、学校が楽しくてたまらなかった、と聞いてビックリしたことがあります。

確かに彼はクラスの中心グループにいました。

少なくとも私は学校が楽しいと感じたことはありませんし、どちらかといえば嫌でした。

しかしそうはいっても、昨日お話したように、どのように行動すればいいか分からないので人を観察していた、という行為は、学校が嫌だということに罪悪感を感じたからやっていたのだと思います。

学校が嫌だと思うのはまともではない、つまりマイノリティだからであって、まともになるためには、他の生徒たちと同じような行動をしなければ、という理屈ですね。

子供の頃の思考の癖は一生変わらないんじゃないかと思います

私は存じ上げなかったのですが、お笑い芸人のロバート秋山さんが、架空のクリエイターを演じる「憑依芸」というのが話題になっているようですね。

インターネットで調べてみると、「こういう人いる!」と思ってしまうようなキャラクターを、何人も演じていらっしゃいます。

ほんとうにみんな面白いです。

この芸のことを知ったのは、たまたま西日本新聞を読んでいたら、ロバート秋山さんのインタビューが掲載されていて、憑依芸についてお話されていたからです。

秋山さんは学生の頃から、「はたから引いた目を持って」同級生や先生を観察されていたようで、「彼は今決め台詞をいったな」、みたいなことをことを想像しては、心の中でクスクス笑っていたそうです。

その経験が、今の憑依芸につながっているんですね。

子供の頃からの思考の癖というのは、その人の一生変わらない資質なんじゃないかと思います。

私も同じように人を観察してはいたのですが、動機は違っていて、なぜか自分の人間としての行動に自信がなかったので、人はこういう場合にどう行動するんだろう?とか、どのように発言するんだろう?みたいな疑問を持って見ていた記憶があります。

秋山さんと違って暗いですね・・・。

チャットアプリのような形態が連絡網には簡単で確実な方法かなと思っています

メーラーの設定の大変さはスマートフォンにもいえるような気がします。

私はAndroidはGoogle製のNexus 7タブレットを使っていますので、気がついたらGmailアプリを使っていました。

周りのAndroidスマホを使われている方は、最初から設定されていたGmailではないメーラーを使っている方もいらっしゃいます。

せっかくGoogleアカウントがあるのでGmailをと思うのですが、こういう場合もやっぱり慣れの問題で、使うのは躊躇されるのだろうと思います。

携帯大手キャリアのメールアドレスは別の問題もあります。

ネットショップを運営されたことのある方は、ガラケーやスマホのPCメール受信拒否によって、ショップからのメールが届かないという経験をされた方もいらっしゃると思います。

ASKさんは、毎月開催されるビジネス研究会と交流会の案内に、会員さんへメールマガジンを発行されます。

ですので、ほとんどの会員さんはPCメールの受信設定をされていると思うのですが、やはり数人の方は送信エラーになります。

メールというのは、シニアの方にとっても重要な伝達手段ですが、昨日からお話しているようにいくつかの問題もあります。

メールの環境を設定するのは結構大変なことだと思います

先日、弊社とASKさんに同じメールアドレスのスパムが来ました。

メールアドレスを記載しているWEBサイトを経由して来ていると思います。

弊社の場合は、メールの転送先は技術者ですからスパムは無視しているのですが、ASKさんの場合はちょっと危険かもしれません。

できる対策はしたのですが、昔からASKさんで使われているメールアドレスなので、役員の方も把握していない人がメーラーに設定したままになっている可能性もあります。

メールについては、以前からちょっと厄介だなと思っていることがあります。

ASKの方々だけでなく他のクライアントさんもそうなのですが、メーラーにOutlookを使われている方は多いです。

パスワードなどの設定をする必要があるので、パソコンに詳しい人や出入りの業者さんに設定してもらって、そのまま使い続けていらっしゃるようです。

確かにメールの送受信の仕組みを考えると、そうなるのもしかたがないなと思います。

ですので、メーラーに使わなくなったメールアドレスが残っていたり、新しいパソコンを買ったら、人が設定してくれるまでメールが使えなかったり、ということがよくあります。

自分たちの今後の方向性がある程度明確になってきたように感じています

世の中は資本主義ですので、自社に利益を導くために、企業は常に新しいコンセプトの商品を発表したり、消費者の新しいセグメントを作り出したりします。

ビットコインで仮想通貨が話題になったら、すぐに新しい仮想通貨が生まれます。

あらゆるものが細分化され、自分の生活パターンは変わっていないはずなのに、いつの間にか流行しているものも分からなくなってしまいます。

私たち一人ひとりの時間は限られていますから、それでも流行を追いかけようとする人のために、検索エンジンや人工知能による検索などが発達するのですね。

ネットサーフィンをしていると、次から次に刺激的な情報に接するので、有意義な時間を過ごした気になるのですが、あとには何も残っていないことも多い気がします。

昨日お話したように、脳が「情報オーバーロード」の状態になっているのでしょう。

ここ数年、マインドフルネスのようなことが流行しているのは、脳を休息させる必要性が生まれてきたということなのだと思います。

弊社は最近、スマホのネイティブアプリばかり作っていますが、そうなったのもここ数年です。

WEBブラウザで、ゲームがネイティブアプリのように動くWebAssemblyのような技術が一般的になれば、今後どうなるか分かりません。

情報の断捨離を意識しなければならないと思っています

「情報オーバーロード」という言葉があるようですね。

あまりにも多い情報のために、意思決定などに支障をきたす状態。「第三の波」などの著作で有名なアルビン・トフラーが「未来の衝撃」という本で一般化させた概念だそうです。

昨日お話した勉強会もそうですが、次々に出てくる新しい技術に興奮して、これは自分の仕事に関係があるとか役に立ちそうだとか考えて、情報を追いかけてばかりいると、本当にやらなければいけないことが疎かになってしまいそうです。

実際に、学生の頃から同じようなことで失敗してきたことは、たくさんあります。

しかも今は、インターネットという環境がそれを助長します。

私にはアプリのプログラミングは無理ですが、どうしても必要になったとき、表計算ソフトなどの簡単なスクリプトは組むことがあります。

インターネットが普及していない時代は、構文を調べるためにプログラミング言語の解説書が必要だったのですが、インターネットが普及してからは、ほとんど検索すれば済むようになりました。

インターネットって便利だなぁとつくづく感心するのですが、その反面、あまり関係のないことまでつい調べてしまったり、Yahoo!のようなポータルサイトをのぞいてしまったりするんですね。

ASKさんの研究会などで感じる自分の立ち位置の重要性

ASKさんのホームページで研究会や交流会の情報を発信していると、たまに最先端のITに関する講演を見かけます。

以前は、ビットコインに代表される仮想通貨について、仮想通貨研究会の講師の方が講演されました。

今月の交流会では、ASKの会員さんで外資系IT企業に勤めていらっしゃった方が、高度成長期時代のオフコンの話から、最近のIoTやAI、人生100年のLIFE SHIFT時代の生き方まで、幅広い話題をお話されました。

昔はITといえば、パソコンであり、MS-DOSであり、ワープロソフトであり、モノというか製品でした。

当時の勉強会は、ワープロソフトとかオフィスソフトの使い方のような、ソフトの使い方を学ぶために開かれていた印象があります。

今はITといえば、インターネット、クラウド、IoTやAIと進み、概念を指すようになってきていると思います。

勉強会では、オフィスのペーパーレス化や在宅勤務の方法とか、AIがシンギュラー・ポイントを超えたらどうなるかとか・・・。

モノや製品の使い方を学ぶのではなく、ライフスタイルのような思想の話に変化しています。

昔はExcelを覚えなければ業務に差し支えるというような、勉強会に参加する動機は限られていたように思います。

パソコンが当たり前の存在になっていることの方がすごいことかもしれません

あるクライアントさんは、ミーティングやセミナーなどで使うためのWindows 10ノートパソコンをお持ちなのですが、いつもはお使いにならないので、電源を入れるとWindows Updateやウィルスセキュリティソフトのアップデートなどが始まります。

そうなると、CPUの稼働率がほぼ100%になって、ミーティングやセミナーどころではなくなります。

このような状況は新しいOSに切り替わるときが顕著で、Windows 8のときも、他のクライアントさんがセミナーをやるときにそれが起きて、大変な思いをしました。

これらの例は、間違った使い方をしているわけではないですよね。

使う人にしてみれば、使いたいときにただ電源を入れただけです。

こういう場面に立ち会うと、パソコンって難しいなと思ってしまいます。

先日も、ASKのある会員さんが他の会員さんたちに、Windows Vistaを持っているけれど、そのまま使っていていいものか、と尋ねられていました。

Microsoftのサポートは終了していますので、使い続けていると、ウィルスに感染するなど何が起きるか分かりません。

パソコンはまだまだ難しいところが多いなと感じます

ご近所さんのお話を聞いてみると、私より前にパソコンショップの店員さんに相談されたところ、「Windows 7に戻してください」とおっしゃられたそうです。

確かに、ちゃんと解決するにはその方法が正しいと思います。

しかし、いざそれを実行するとなると、データのバックアップを取ってからじゃないと怖いでしょうし、正確な手順を調べることになれば、それなりの時間もかかるでしょう。

やっぱり躊躇しますよね。

この方がパソコンを使われるのは、Excelで会報などを作られるときのようです。

ソフトの操作は手馴れたもので、見栄えのいい立派なものを作成されています。

パソコンが一般に普及してから長い年月が経っています。

ソフトに関しては、ずいぶん高機能になってはいますが、その分使い勝手もよくなっていますし、何より分かりやすい書籍やパソコン教室などがあって情報が豊富です。

それに比べて、ハードやOSに関しては、ちょっとイレギュラーなことが起きると、とたんに対応が難しくなるように感じています。

この点については、相変わらずパソコンは難しいなと思ってしまいます。