自分のやりたいことを実現してくれるITツールを見つけやすい時代だと思います

昨日、若い人が始めて触れる表計算ソフトは、Googleシートのようなクラウドアプリなのかもしれないと書きました。

WEBブラウザを使ってインターネットを見る環境では、そのまま無料でGoogleドライブのようなOfficeアプリが使えるわけで、知らない間に利用していたということもあるでしょう。

私はたまに、自分の立ち位置に思いを馳せるときがあります。

歳を取ったときでも何でもいいのですが、一人で仕事をするようになったときですね。何をしているのだろう・・・。

やはり、ある程度ITに関わることをしているだろうと思います。

プログラマーには向いていないことは自分で分かっています。

一人で仕様を考えたり、ドキュメントを書いたりするのは好きなので、そっちの方向だと思います。

そういう思いに至るまでには何年かかかりました。

Ruby on Rails2の頃だったと思いますが、scaffold機能を利用して、初心者に毛が生えたようなWEBアプリを公開したことがあります。

けっこう思い通りのものができて、WEBフレームワークって凄いな感心した反面、セキュリティなどを含めて、自分一人で維持して行くのは無理だとあきらめた記憶があります。

モバイルルーターがあればどこにいても生活できそうな気分になります

東京から福岡に帰ってきて、契約社員としてビデオ編集の仕事をしていた時期があります。

その職場の同僚に、愛媛から移住してきていた方がいました。

私の感覚では、地方に住んでいる人が就職するときは、東京か名古屋か大阪(またはその周辺)のいずれかに「上京」する以外、選択肢はないくらいに思っていました。

そのときは21世紀になってすぐでしたので、スマートフォンはありませんし、職場のパソコンは主に書類作成や印刷をすることが目的で、インターネットには繋がってなかった記憶があります。

もちろん、今のようにインターネット接続環境が発達しても、編集前の巨大な映像データをやり取りすることは現実的ではありませんし、現地にいなければできない仕事であれば、どこにいても仕事ができるわけではありません。

しかし、WiMAXやポケットWiFiのような、手軽に持ち運びができるルーターがあれば、気分は全く違います。

この気分の違いは大きいと感じます。

私は打ち合わせなどで外出するときは、Nexus 7を持って行きます。

軽くて荷物になりませんし、7inch画面なのでブラウジングも快適で、文字入力も楽です。

WiMAXを使ってみて日常生活の大きな変化に気付きました

長年使っていたADSLからWiMAXに変えて2か月ほど経ちました。

今までWiMAXとWi-Fiは同じものだと思っていて、以前、記事で混同した書き方をしてしまいました。

というのも、外出先でネットを使ったデモをされる取引先の方が、DocomoのポケットWiFiを持ち歩いていて、いつも「いいなー」と指をくわえて眺めていたんですね。

そのルーターと私が契約したWiMAXのルーターがそっくりなので、てっきりポケットWiFiの別ブランド名のように思っていました。

それはともかく、外出しても常にインターネットに接続できる環境は、やはり快適です。

今日、ASKの西村代表のご自宅兼事務所で作業をしていたのですが、そこに役員の方も二名いらっしゃいました。

役員の方のパソコンは西村代表ご自宅のWi-Fiに繋がっていますので、たまに速度が遅くなったり、一瞬切断したような状態になったりしていました。

もしかしたら、他の部屋にもネットに接続している端末があったのかもしれません。

私だけ自分のWiMAXで快適に作業してしまいました。何だか申し訳ないような・・・。

元々ADSLでも遅いと感じたことがない性格なので、WiMAXでも遅いとは感じません。

いい音で音楽を聴きたかったのはオーディオブームの頃までだったかもしれません

SONYから初代ウォークマンが発売されたのは、調べてみると1979年だったようです。

当時はお金もなくて買えませんでしたが、二代目ウォークマンが発売されたときは、何とか手に入れました。

うれしくてうれしくて、外出時にはいつも持って行きました。

音もすごくいいなと感じていました。

付属していたヘッドホンは、初代からオープンエアの軽いタイプだったんですよね。

30代の頃、ゼンハイザーのちょっと高めのヘッドホンを買ったときは、いい音に感動したのですが、昔からお金を出せば音がいいヘッドホンは手に入ったはずで、カナル型のような構造的な変化は何十年もなかったと思います。

変化していたのはプレーヤーの再生の仕組みです。

主なものでは、カセットウォークマンから始まって、CD、MD、iPodという順番でしょうか。

しかし、これらは音がいいから受け入れられたというよりも、その時々の多数派のライフスタイルにマッチしたものが受け入れられてきた気がします。

昨日書いたように、1970年代のオーディオブームの頃は、アナログレコードであろうがカセットテープであろうが、家で音楽を聴く限りは「いい音で」、という認識をメーカーも消費者も持っていたと思います。

昔は音楽は家で聴くものだったのでヘッドホンも大きくてよかったのでしょう

1970年代にオーディオのブームがありました。

今では考えられませんが、OTTO(三洋電機)やTechnicsといったオーディオメーカーのテレビコマーシャルもありました。

セパレートタイプのアンプやスピーカーなどは、今も昔も多くの製品が売られていますが、サイズに関してはあまり変わらないと思います。

違うのは、ここ数日お話しているイヤホンやiPodのような音楽プレーヤーに、小さくて音のいい製品がたくさんあるということではないでしょうか。

もちろん、昔は技術的に難しいこともあったと思いますが、大きなものを置くのが当たり前という、住環境の影響もあったのではないかと思います。

経済はずっと右肩上がり、終身雇用、年功序列で給料も上がる、そのうち大きな家に引っ越すことになる、という意識を、みんな心のどこかに持っていたのですね。

それに、ある程度大きくて高価な家電は、家具のような感覚があったのではないかと思います。

初期のテレビは観音開きの扉があったようですし、昔のステレオはアンプやレコードプレイヤーが一体型の家具調でした。

家電ではありませんが、私が小学生の頃は、アパートのような団地でも、アップライトピアノを置いている家は結構あったと思います。

地味そうに見える改善が特定の製品ジャンルの発展につながるのですね

昨日書きましたが、カナル型イヤホンの外部の音を遮断するという特徴が、これだけイヤホン市場が盛り上がる大きな要因だったんじゃないかと思います。

今では、平気で10万円くらいするイヤホンもあります。

低域、中域、高域用の独立したドライバーを装備して・・・みたいなすごい構造のようですが、このような装備を活かせるのも、ちゃんと外部の音が遮断され、音楽に集中できる環境があってこそだと思います。

それにもう一つ感心したのは、「SHURE掛け」と呼ぶそうですが、ケーブルを耳の裏側の付け根に沿って回す掛け方です。

以前は、ケーブルがあごなどに擦れてガサガサ雑音がしていたのですが、この掛け方でかなり軽減されます。

このような改善も、地味なようですが、先ほどの高級なイヤホンの装備を活かすことのできる一因だと思います。

私はヘッドホンも持っていますし、単体のアンプやスピーカーもあるのですが、ついイヤホンで聴いてしまうんですよね。

これだけ大量の製品が売られているということは、今の人たちのライフスタイルに合っているのでしょう。

昔、「傷だらけの天使」というテレビドラマがありました。

萩原健一さんと水谷豊さんが出演されている探偵ものでした。

カナル型イヤホンはオーディオ界のけっこう画期的な発明だったのではないでしょうか

ここ数年、家電量販店のオーディオコーナーに行ったり、オーディオ雑誌を見たりして感じるのは、イヤホンが充実していることです。

数万円する、決して安くない商品が毎月のように発売されています。

私もSHUREのSE215という製品を持っていますが、耳にしっかり挿すカナル型で、外部の音もかなり遮断できて、それほど音量を上げることなく音楽を楽しむことができます。

最初にカナル型を買ったのは6、7年くらい前だと思います。

今ネットで調べてみたのですが、VictorのHA-FXC51という製品だったように思います。

このような形状は初めてでしたので、耳に突っ込むってどういう感触なんだろう、と買う前に少し躊躇した記憶があります。

しかし使ってみると、これはすばらしいと感動しました。

私は幅広いジャンルの音楽を聴く方なのですが、普段はあまり激しくないタイプを好みます。

ですので、クラシックでいえば室内楽をよく聴いていました。

外で音楽を聴くときは、昔からあるiPodに付属しているような形状のタイプや、メガネのフレームのように耳に引っ掛けるタイプ(オンイヤーヘッドホン?)を使っていたのですが、どうしても外の音が漏れてきて、あまり音楽を楽しめませんでした。

機材を買い込んで多重録音に熱中することはもうないと思います

YAMAHA DX7のFM音源が一世を風靡してから、Roland D-50のLA音源やKORG M1のPCM音源など、各社が独自の音源を競って開発していました。

KAWAIからも、確か127の独立した倍音を制御して、音作りをする方式のシンセサイザーが発売されていた記憶があります。

「すごい!」とは思いましたが、欲しいと思うまでには至りませんでした。

DX7やD-550のパラメータを覚えて音作りに格闘するだけで、もうへとへとだったのですね。

それに、効率的で思い通りに音が作れるような音源の方式なり、やり方なりを、私たち使い手が理解し始めていたこともあるかもしれません。

YMOがデビューして以降、1980年代はシンセサイザーや電子楽器の音色がフィーチャーされた時代だったと思います。

各楽器メーカーごとに音色に特徴があったので、TOTOのAfricaのDXブラスや、ヴァン・ヘイレンのJUMPのオーバーハイムなど、当時はフレーズを聴くだけで「あのシンセだ」と分かる曲が多かったです。

アート・オブ・ノイズやスクリッティ・ポリッティあたりになると、音色だけで音楽が作られているような、表現が行き着くところまで行ったように感じました。

研究者でもない人が楽器の波形を意識した時代でした

数日前、たまたま本棚を見ていたら、安藤由典著「楽器の音色を探る」(中公新書)という本を見つけました。

この本を読んだのは、多分私がまだ20代で、シンセサイザーで必死で音色を作っていた頃です。

至るところに赤いボールペンの書き込みがありました。

そのときは仕事でゲームのSEや、担当していた楽譜作成ソフトのサンプル曲の楽器音色を作っていましたので、楽器の音色にとても興味があったのですね。

今では考えられませんが、当時はDX7用のような有名シンセの音色データカートリッジが売られていましたし、キーボードの雑誌には音色の作り方講座や、音色パラメータの設定リストが掲載されていました。

NEC PC-8801に搭載された音源ボードやYAMAHA DX7のFM音源の登場で、一挙に音色エディットという行為が盛り上がったんですね。

シンセサイザーは発振器とフィルターと増幅器で音を作ります。

アナログの時代は、発振器で出力できる波形は、矩形波や三角波など数種類しかありませんでした。

それがFM音源になると、ある発振器の波形を別の発振器の波形で変調させることで、アナログシンセでは表現できない複雑な波形を作り出せるようになりました。

シンセサイザーを弾いていた頃を思い出しました

先日、Rolandの創業者、梯郁太郎さんがお亡くなりになりました。

この方がMIDI規格の生みの親で、電子楽器への多大な貢献を認められて、グラミー賞のテクニカル・グラミー・アワードを受賞されたのは記憶に新しいところです。

Rolandといえば、以前ブログでDTMが大流行していたときのお話をしたと思います。そのとき書いた機材はSC-55ですね。

私がバンドに熱中していた頃、シンセサイザーを何台か購入しました。

その中に、RolandのD-50のモジュールタイプでD-550というモデルがありました。

このシンセサイザーは、PCM波形とアナログ波形を組み合わせて音を出すタイプです。

当時、大ヒットしていたYAMAHA DX7のFM音源は、金属的な音色は得意なのですが、ノイズのきれいなアナログシンセのようなストリングスはちょっと苦手でした。

そんな中でRolandのD-50が発売されたんですね。

Rolandのシンセは昔からストリングスの音に定評がありましたので、とても重宝しました。

「Fantasia」という、D-50でしか出せないようなプリセット音色は有名ですよね。