スポーツのライバル関係は人生の中では短い期間だと思います

昨日、来日中のトランプ大統領と安倍首相のゴルフ外交に、プロゴルファーの松山英樹選手も参加してプレーしました。

トランプ大統領が松山選手の参加を熱望して実現したようです。

2、3日前、大リーグで活躍している田中将大投手がヤンキースに残留することがニュースになっていましたが、私はこの二人を見ると、以前ライバル視されていた選手のことを思い出します。

日本人はライバル対決が好きなのか、ストーリーを作ってでもライバル対決を盛り上げようとしている気がします。

みうみまコンビとして知られる、卓球の平野美宇選手と伊藤美誠選手もそうですよね。

伊藤選手の方がオリンピックに出場し、その後の全日本選手権やアジア選手権では平野選手の方が活躍しています。

このような人たちはそれぞれの競技でもトップの選手であり、注目されるのは当然ですが、注目されすぎて気の毒になります。

学生の部活のレベルではなく、遥かに高いレベルで競い合っているライバルですから、ある時期に力が拮抗していても、年月が経てばどちらかがそのレベルを保てなくなるのは、当然のことではないでしょうか。

フィギュアスケートの浅田真央選手やキム・ヨナ選手のように、長い間注目されることの方が珍しいのでしょう。

30年もあれば意外な場所も一等地になるかもしれません

先日、天神や博多駅は当然一等地・・・と書きましたが、思い起こしてみると、私が高校生までは街に遊びに行くといえば天神で、博多駅は昔からの駅ビルがあるだけなので、遊びに行く対象ではありませんでした。

それが1990年代半ばに、キャナルシティ博多が天神と博多駅の間に開業したあたりから、少しずつ人の流れがそちらに向き始めたようです。私は当時東京で生活していましたので、人づてに聞いただけですが。

2000年代に入ってからの博多駅再開発で、東急ハンズや阪急デパート、マルイなどが出店したことで、博多駅周辺も遊びに行く街のイメージが定着したようです。

そう考えてみると、30年くらいの年月でも、その魅力によって人が集まる場所に変わるんだな、とちょっと驚いてしまいます。

それではどうでしょう。ここ数十年の間に、西新あたりが一等地と呼ばれるようにならないでしょうか?

無理か・・・。

庶民的過ぎると笑われる方もいらっしゃるでしょうし、中にはもうなっていると反論される方もいるかもしれません。

少なくとも私が高校の頃までは、西南学院大学や修猷館高校がある文教地区ではあったのですが、とてもステータスを感じるような場所ではなかったように思います。

文字通り「一等」の場所がそうたくさんあるわけはありません

私の実家は福岡市西南部の端っこ、田んぼや原っぱが広がっています。

それに比べたら六本松は都心も都心、次元が違います。

ここ数年、「福岡市の一等地、九大六本松跡地に云々」という新聞記事も、何の違和感もなく目を通していました。

ただ最近の複合施設関連の報道は、九州大学が移転した → 人通りが減った → 閉店するお店が増えた → 再開発が始まった → 街に活気が戻った、というような文脈なんですね。

「一等地」という言葉は不動産屋さんのチラシ以外ではあまり見かけませんので、今まで気にしたことがなかったのですが、今回改めて「一等地とは、ほっといても人が集まってくる場所」みたいに思い込んでいたことに気付きました。

ちなみに、インターネットで「福岡市 一等地」と検索してみると「大濠公園」などが出てきます。

なるほど。福岡市市民憩いの場といえばここ、というくらい有名ですし、大濠公園は移転はしないでしょう。

高級住宅地になると「浄水通」あたりは昔からそうですね。

ここはもう福岡のステータスシンボルのような場所なのかもしれません。

そう考えてみると、文字通り「一等」の場所がそういくつもあるわけはないですよね。

一等地とはどういう場所をいうのでしょうか

インターネットで情報サイトを見ていたら、福岡市六本松の九州大学キャンパス跡地にオープンした六本松421が、活況を呈しているという記事を見つけました。

商業施設には蔦屋書店などが入っていて、福岡市科学館は連日長蛇の列のようです。

六本松は以前九州大学教養部があり、大濠公園の南側に位置するので賑やかな街という印象はあるのですが、福岡市中心街の天神に行く途中の駅なので、特に降りることはありませんでした。

その九大が2009年に移転してからは、六本松の話題といえば、人も飲食店も減っているというネガティブなものばかりでした。

九大跡地にはあれができる、これができるという噂をよく耳にしましたし、新聞でも「福岡市の一等地、九大六本松跡地に云々」という記事をよく目にしました。

それが今や、情報サイトに福岡で一番熱い街という見出しの記事です。

今後も福岡裁判所、検察庁、県弁護士会館が移転してくるようです。

記事を読んでいて、お店をされている方は喜んでいるだろうなと思ったのですが、ふと「一等地って、再開発しなくても人が自然と集まる場所をいうのでは?」という疑問が浮かびました。

親しみやすさを保ったまま進化して行くことも考えなければなりません

パソコンであれば、メモリが不足していたりCPUパワーが足りなくてモッサリした動きになっても、新しいOSは自己責任のもとインストールできる場合が多いです。

以前ブログで、ご近所の方がWindows 7パソコンをWindows 10にアップグレードしたら、Excelの重いファイルを作業中に、たまに停止してしまうようになったことを書きましたが、これもそのパターンですよね。

そういう意味では、昨日お話したiOSやAndroidのタブレットは、OSが新しくなると古いハードには対応しなくなるので、このご近所さんのような問題は起きないのでしょう。

一方で、Nexus 7のようにサクサク快適に動作していても、あと何年かするとOSが3世代も4世代も旧くなって、日頃使っているアプリも新しいバージョンは対応しなくなるかもしれません。

タブレットはこのような割り切った設計だから、パソコンに慣れていない方でも使いやすいということでしょうし、値段も安いですから、これはこれでいいのだと思います。

タブレットは親しみやすいかわりに製品寿命が短いかもしれません

今日あるビジネスサイトを見ていたら、iPadがiOS11でパソコンのように進化した、という記事を見つけました。

追加されたいくつかの機能が、純粋なタブレットだったiPadを、パソコンのような使い勝手に変えるということのようです。

例えば画面を二つに分割する機能を使えば、パソコンのようなマルチウィンドウではなく、メイン画面上に小さな画面が表示され、そこに別のアプリを表示できるようです。

これはいいなと思ったのが、ファイルやフォルダを管理できるようになったこと。

アプリごとにファイルを管理するiOSの制限はそのままですが、一つのフォルダに必要なファイルをまとめて置けるのは便利です。

使ってみたいと思って対応機種を調べてみたら、私の第4世代のiPadは未対応でした。ああ・・・。

同じようなことは過去に何度か経験していて、iPod Touchを持っているのですが、これは第5世代なのでiOS10はインストールできませんでした。

同じくNexus 7(2013)を持っているのですが、こちらはAndroid7からインストールできません。

団塊の世代をシニアのロールモデルにさせていただこうと思います

よく聞くのは、60代はそこまで体力の衰えを感じることはないが、70歳を超えたらそれを感じることが多くなる、というようなことです。

そのような年代で身近な人をロールモデルに、これからの健康管理も含む生き方の参考にしてみようかな・・・などと考えていたら、いるじゃないですか。身近な世代、団塊の世代が。

私が子供の頃からよく遊んでもらっていた親戚の叔父さんが団塊の世代です。

先日お話した、ASK懇親会のスポーツ好きの方もその世代だとおっしゃっていました。

ネットで団塊の世代を調べてみると、ビートルズ世代とも呼ばれているようですね。

ああ、この時代。音楽でいえばビートルズ、グループ・サウンズ、フォークソングの時代です。

ファッションではジーンズやミニスカート。VANジャケットなんてそうですよね。

1960年代後半の時代の大きな変化を、若者が引っ張っていたイメージがあります。

ウッドストックやビートルズの解散のとき、この方たちは成人を迎えるわけです。

私は中学に入ってから洋楽を聴き始めたのですが、このようなイベントから5年ほど経った当時でも伝説のようでしたし、今にして思えば、時代の熱気が残っていたような気がします。

私の親の世代の80代は体力が衰えている方が多いです

私の親は80代で、幸い自立して生活できてはいるのですが、やはり体に悪いところがあって病院に通っています。

実家は昭和40年代にできた典型的な高度成長期時代の住宅地で、引っ越してきた当時は若いファミリーばかりでした。

思い返してみると、私は小学校に入学したばかりで両親は30代。今の私よりずいぶん若いです。

それから50年近く経てば、親たちはほとんどが80代です。

昔は子供がたくさんいて、住宅地内の公園は子供の声が鳴り響いていましたが、今では子供もほとんど見かけず、住宅地内の道路は病院の送迎バスをよく見かけます。

そのようなことを考えると、ASK会員さんの70代、80代の方々が、毎月天神の交流会においでになって、お酒も飲んで帰って行かれるのはすばらしいことだと思います。

実際に私が70代、80代まで生きていたとすると、どのようなシニアになるんだろうとたまに想像することがあります。

自分でもびっくりしたのは、40代から目が老眼になってきたこと。

それにここ数年は、長く座っていると腰が痛くなって、座っていられなくなるのも困ります。

健康に年を取るのは大事なことだと感じます

先週の金曜日に、ASK アクティブシニア交流会に参加しました。

今回は「人生90年時代へ 時代に合った社会の仕組みに変える」と題して、福岡市保健福祉局高齢社会部高齢社会政策課の方が講演されました。

以下ASKさんホームページから内容紹介の抜粋です。

「人生90年が普通になろうかという現在、福岡市における高齢者の現状と市の対応政策について学びましょう。

変わりゆく福岡市の姿、高齢化と単身化、全国平均を大きく下回る女性の健康寿命、自立度の変化パターン、男は生活習慣病 女はロコモに注意、外出頻度と認知症、高齢者の生き甲斐、自宅介護、孤立死予防、90年時代に合った社会仕組みづくり、etc・・・」

参加者は講演会には35名以上、そのあとの懇親会には20名とのことです。

会員の方の平均年齢は70代だと思うのですが、参加していつも感じるのはみなさんお元気なこと。

自己紹介で85歳という方もおり、この方は懇親会にも参加されていました。

参加者の中に、ゴルフやマラソンなどスポーツ好きの70代の方がいらっしゃったのですが、この方など懇親会で強いウィスキーを何杯もおかわりされていました。

長い歴史を持つ自動車メーカーは多いのでそれに当てはめて考えてしまいます

じゃあトヨタはどうなんだ。近年F1やル・マンに挑戦したり、GRというスポーツカーのブランドを立ち上げているじゃないか。

そうはいっても、トヨタにレーシングスピリットを感じている人は、あまりいないんじゃないでしょうか。実際どうなのでしょう?

ホンダもGT-Rもトヨタも、1960年代からレースを戦ってきたのですが、やはり本田宗一郎さんや桜井眞一郎さんの影響が大きいような気がします。

このような歴史を知っている人は、ホンダや日産のファミリーカーや商用車に乗ったときに、たまたまキビキビ走ろうものなら、やっぱりF1をやっているからとか、GT-Rがあるから、などと理由付けする人もいると思います。自動車会社の人からすれば全然関係ないとしても。

私は同じような構図を、Windowsパソコンにも感じてしまうんですね。

私のパソコンは電源を入れると、まずBIOSの起動画面が出て、メモリチェックなどの文字が表示され、そのあとにWindowsが起動します。

MS-DOSの時代のIBM PCパソコンは、起動時に大量のコマンドがズラズラと流れていました。

今のメーカー製パソコンはメーカーのロゴが表示されたあと、すぐにWindowsが起動するのでしょう。