あらためてカウンセリングをする方の重圧を想像してしまいます

昨日、仕事の合間に河合隼雄さんの「影の現象学」(講談社学術文庫)を読んだら、カウンセリングのお話がとても印象に残ったことを書きました。

そして河合さんがカウンセリングについて書かれている本を注文してしまったことも。

そんなこともあって、今日も仕事の合間につい昨日読んでいた本を手に取ってしまいました。

するとまた、カウンセリングの難しい場面について書かれた箇所に出くわしました。以下抜粋です。

「あるいは、心理療法というものが人格の変容を目標とし、古い自我の体制が破壊され、新しい自我が再構成されてゆく自己実現の過程を歩むことを要請するものであるかぎり、それは常に「死の体験」を必要とすると言うことができる。」

確かに精神的な問題で日常生活に支障をきたしたことがある人ならば、それを克服するために相当大きなきっかけが必要なんだろうとは想像できます。

カウンセリングについて、さらに以下抜粋します。

「われわれ心理療法家としては、その人の身体的な死をあくまで防止しなければならないという仕事と、その人の再生につながるものとしての象徴的な死を成就させてやりたいという仕事の間のジレンマに追い込まれる。 (中略) それゆえにこそ、われわれも苦しい立場に追い込まれるのだが、このときに、自殺の防止という事実に心を奪われてしまって、内面的な死の成就ということを忘れ去ってしまうと、せっかくのその人の再生への願望までつぶしてしまうことになる。」

昨日はカウンセリングに興味を持ったなんて書きましたが、そんなに簡単な仕事ではないですよね。分かってはいましたが・・・。

昔パニック障害で治療を受けていたとき、先生が「医師も大変なので精神科の薬を飲むこともある」というようなことをおっしゃっていました。

当時はそういうものかなぁ、くらいにしか思わなかったのですが、河合さんの本を読んでいると、そうかもしれないなと納得してしまいます。