人の心のような答えの出ないものは唯識仏教などのアイデアを参考にしたいです

河合隼雄さんの「カウンセリングの実際」(岩波現代文庫)の続きを読み始めて、あまりの面白さに読み終えてしまいました。もういちいち目からうろこの話ばかり。

この本は「〈心理療法〉コレクション」の中の一冊で、他にも「心理療法序説」や「心理療法入門」のようなカウンセリングに関する本があるので、つい買おうと思いつつ、ふと考え込んでしまいました。

昔から心理学に興味があったので、たまに関連する本を購入しては新しい知識に触れて、そのたびに感動してきました。

しかし一方で、「結局心って何?」という疑問は解消しませんでした。

たまに「こころとは◯◯のようなものである」みたいな名言を見たりすると、そのときはなるほどと感心するのですが、しばらくするとやっぱり疑問のまま。

そんな中、ここ数年は心の構造を詳細に解説している唯識仏教を知って、「結局心って何?」という疑問がわくことはあまりなくなったように感じます。

そんなことを考えていたら、ここ数年、同じようにとても興味があって学んでいる陰陽五行や易経について、自分の中に占める位置が何となく見えてきました。

生年月日の干支やその年の干支で見る陰陽五行は、人それぞれの資質や運気の目安を示してくれますし、易経は世の中の仕組みのようなものを教えてくれます。

もちろんそれらに科学的な根拠はないと思いますが、それぞれが千年以上、人々の生活に影響を与えてきたものです。

以前、河合隼雄さんが井筒俊彦さんと対談されたときのエピソードをブログに書きました。

心理療法では、因果律による心理学にとらわれないようにする。例えばすべてのことを母子関係に還元してしまうような安易な考え方をせず、患者さんが来る日の天気のようなことまで、その人の治る過程に関連しているかもしれないという態度をとる。これが易のアイデアだと思う、というようなお話でした。

私が河合さんのレベルで使いこなせるわけはありませんが、それでも人の心や人の資質、世の中の仕組みのような答えの出ないものを考えるときは、唯識仏教や陰陽五行や易経のアイデアを参考にしてみようと思いました。