易経にも仏教のマインドフルネスに通じるところがあるように感じています

易経を覚えるために、毎日「どのような日になるでしょうか」と占って、出た結果の解説を読んでいます。

今日出たのは「艮為山(ごんいさん)」。

卦辞には「其の背に艮(とど)まりて、其の身を獲ず。其の庭に行きて、其の人を見ず。咎なし。」とあります。

この卦は艮(ごん)卦が上下に並んでいる純卦といいます。

このような上下が同一の純卦は他に七つあるのですが、それらには四徳といわれるめでたい徳性のどれかが備わっているのに、この艮為山だけは一つもありません。

本田濟著「易」(朝日選書)はその理由について、清の王夫之の説明を紹介しています。

「それは我を忘れ人を忘れるという、この卦の心境が、ともすれば老荘のような逃避的退嬰的態度に陥る危険があるからだ、と。」

それでも、朱子が「最も好(よ)き卦」というように、私も過去にこの卦が出たときは何だか共感できる気がしていました。

今回、先日購入した河村真光著「易経読本」(光村推古書院)の解説を見て、その理由が分かりました。

「即ち艮為山の卦は、世の事象がいかに目まぐるしく動いても、己の心さえ艮(とど)まるべき処に止まっていたら、振り回されることも、また迷うこともないと教えるものである。この世に何が起きようと、一体どれほどのことがあろうかと。 (中略) 結局、すべては落ち着くところに落ち着く。心を活性化したまま、表面上の動きを止める。これはもう宗教の世界である。だから易の作者も、この卦だけには、四徳の施しようがなかったものとみえる。」

マインドフルネスのようですね。

先日も書きましたが、易経にも仏教に通じるところがかなりあるように感じています。