YAMAHA DX7のFM音源が一世を風靡してから、Roland D-50のLA音源やKORG M1のPCM音源など、各社が独自の音源を競って開発していました。
KAWAIからも、確か127の独立した倍音を制御して、音作りをする方式のシンセサイザーが発売されていた記憶があります。
「すごい!」とは思いましたが、欲しいと思うまでには至りませんでした。
DX7やD-550のパラメータを覚えて音作りに格闘するだけで、もうへとへとだったのですね。
それに、効率的で思い通りに音が作れるような音源の方式なり、やり方なりを、私たち使い手が理解し始めていたこともあるかもしれません。
YMOがデビューして以降、1980年代はシンセサイザーや電子楽器の音色がフィーチャーされた時代だったと思います。
各楽器メーカーごとに音色に特徴があったので、TOTOのAfricaのDXブラスや、ヴァン・ヘイレンのJUMPのオーバーハイムなど、当時はフレーズを聴くだけで「あのシンセだ」と分かる曲が多かったです。
アート・オブ・ノイズやスクリッティ・ポリッティあたりになると、音色だけで音楽が作られているような、表現が行き着くところまで行ったように感じました。
私もそんな時代の熱に浮かされて、機材を買い込んで多重録音に熱中していました。
自分でも手の届く電子楽器を使って、誰も表現したことのない音楽を作り出せるかもしれない、と夢を持てた時代だったように思います。