アランの幸福論はお坊さんのお話を聞いているようなところもあります

昨日は、自分が興味を持っている複数のことが、あるキーワードでつながっているのを発見したとき、何とも愉快な気分になるということをお話しました。

そうなると、興味を持っていることがより楽しくなります。

このようなことも、幸福の一つに加えてもいいのかな、と思ったりします。

Q&Aサイトで、たまに「幸福とは」という質問がされているようですが、私もいくつかのぞいてみたところ、幸福も不幸もただの状態でしかない・・・、という回答に目が留まりました。

なるほどそうですよね。

状態であるということは、幸福でありたいと望むのであれば、そう意識するか行動するかしかない、ということなのだと思います。

昔、齋藤孝さんの「ヒルティの幸福論」(知的生きかた文庫)という本を読んだのですが、ヒルティは「どうすれば幸せを得ることができるか」という問いに対して、「人生の中で”一番長く使う時間”を幸せに過ごすこと」とひとまず回答しています。

その時間というのは、多くの人にとって「仕事」なのであって、「仕事をしている時間を幸福に感じるため」の方法を論じています。

当時は、「そうか。では好きな仕事をしよう」と自分の中で決意したのですが、そんなに簡単に好きな仕事をして食べて行けるわけもなく、いつの間にか忘れていました。

幸福論はいろいろな人が書いていて、ヒルティを含め、アラン、ラッセルの三人の著作が「三大幸福論」といわれているようです。

調べてみると、アランのものが、能動的に幸福を追求することを薦めているようでしたので、アランの「幸福論」(集英社文庫)を買ってみました。

禅的な生活とアランの幸福論は似ている、と指摘しているWEBサイトをいくつか発見していたのですが、確かに身体を動かすことで心もほぐれるような記述が出てきます。

お坊さんのお話を聞いているようで、とても好感が持てました。