昨日は高齢化社会やAIの進化などで、人類が予測できない世界になりつつあるというお話で終わっていました。
しかし私はそのことに悲観も楽観もしていません。
人類全体に起こる変化ですから、多くの人がとりあえず納得する結果に終わるだろうと思います。
一番つらいのは、自分だけが何か酷い目にあって、周りはそれに気づかないということではないでしょうか。
今と違って、ウツのような心の病に病名がなかった時代は、怠け者とか変わり者とかのレッテルを貼られていたようです。
現在でも、あまり知られていない病気や怪我などによる後遺症は、本人は苦しいのですが、それをどのように説明しても、本人以外の人にとっては実感しづらいと思います。
そう考えると、自分の家族だけとか、自分の住んでいる地域だけというように、起こっている範囲が狭ければ狭いほど共感者の数も少ないわけで、そのような環境の中で生きて行くのはつらいと思います。
大きな範囲で災害が起きたときは、その近隣の地域を含む人々が、郷土という名の下に助け合うと思いますし、国どうしの紛争であれば、同じ国民の同族意識で助け合おうという機運が高まると思います。
高齢化社会にしろ、AI化による世の中の変化にしろ、世界規模ですから、人類全体が共感者となって助け合うんじゃないかと思います。
その過程で制度が変わり、倫理も変わって行くのではないでしょうか。
いつの時代も、マジョリティ=大多数の人たちのための世界が作られて行くわけですから、高齢化社会やAI化が進んでも、暮らしよい世界に向かって行くのだと思います。