一昨日書いた、ネットで見つけた高校生の発言ですが、私の場合は年代的にスマートフォンではなくパソコンでした。
彼がスマートフォンに触れるより少し遅く、成人した直後にパソコンに触れたのですが、それまで経験したことのない感覚を味わったことを覚えています。
これを使えば何でもできそうな万能感というのでしょうか。
当時から、パソコンというものは「ソフトがなければただの箱」といわれていたのですが、ソフトさえあれば何にでも化けるわけです。
そのようなものは、生まれてこの方手にしたことはありません。
これを使えば何ができるんだろう、と妄想ばかりしていた記憶があります。
ギターを夢中で練習してもプロになる才能はないと悟りましたし、運動部で頑張っても上手くないのでレギュラーにはなれませんでしたし、勉強も同じくできませんでした。
そのようなことを高校を卒業するまで嫌というほど経験したので、よりいっそうパソコンに希望を持ったのだと思います。
ハードウェア周りにしてもプログラミングの面でも、パソコンの世界は分からないことが多すぎて、時間がいくらあっても足りません。
学生のときなんてそんなに勉強もしませんでしたし、部活をやめてしまったら時間を持て余します。
そんな膨大な時間があってエネルギーがあり余っているために、ちょっと難しい本なども読んでみたりします。
ですので、今のように小中学生からパソコンを与えられていたら、全く違う学生時代を過ごすことになっていたはずです。
先に挙げた高校生も、自分の中でスマホ以前と以後に全く意識が変わったことで、最初からスマホを持つ子供たちに危機感を抱いたのかもしれません。
確かにスマホは、ただ楽しくて時間だけが過ぎてしまう危うさは感じます。
その一方で、昨日書いたようにスマホはもう立派なパソコンです。
小中学生の内から知らず知らずのうちに、基本的なコンピューターテクノロジーを身に付けることになるんじゃないかと思います。
そのような前提で世の中のことをいろいろと考えることができる世代です。
私たちの世代が考えもつかないITの使い方で、社会の問題を解決してくれるんじゃないかと期待しているのですが。