唯識仏教や易経に興味を持ったのはITとは対極の世界を欲したからかもしれません

インターネットでKotlinのことを調べていたら、Androidアプリの開発だけではなく、バックエンドやサーバサイドにも使われてはじめているという記事をいくつか見かけました。

その中には「今注目すべきフレームワークは?」というような記事もあり、フロントエンドにはReact、Vue、Angularなどが挙げられていました。

私はWebフレームワークのことを調べなくなって何年も経っているので分からないことばかりなのですが、中にはJQueryは最適な選択肢ではないかもしれないとする記事もありました。

ああ、そうなんですか。

一時期は、JavaScriptライブラリといえばJQueryが真っ先に挙げられていたと記憶していますし、それもほんの数年前だった気がします。

私はほとんど使ったことがないのですが、一緒にWebサイトを作っていた人がJQueryをよく知っていたので覚えているんですね。

なぜこんなことを書いているかというと、今日竹村牧男著「「成唯識論」を読む」(春秋社)という本を読んでいて、それと比べてしまったからなんです。

「成唯識論」は1500年ほど前に書かれたもので、とても長い原典のほぼすべての内容を竹村さんが解説しています。

当時よくこれだけ精緻な内容のものが書けたなと驚くのですが、それが1500年ものあいだ読み継がれてきたと思うと本当に不思議な気がします。

一方でITの世界では、一世を風靡したものであっても数年で新しいものに入れ替わることが多いですよね。

同じ土俵で比べるものではないと分かっているのですが、私の中ではどちらも同じように興味のあるジャンルなので、頭の中がちょっと混乱してしまいました。

これが私がよく読んでいる易経になると、もっと時代をさかのぼります。

私は大学生のアルバイトからITの世界に関わってきたのですが、もしかすると心が、移り変わりの激しい世界とは対極の世界を欲していたのかもしれません。