河合隼雄さんのユングと唯識仏教に関する記述を発見してちょっとホッとしました

今日仕事の合間に、河合隼雄さんの「心理療法序説」(岩波現代文庫)を読んでいたら、「第二章 心理療法と現実」で次のような記述に目が止まりました。

「本章においては、特に、井筒俊彦「意識と本質」(岩波書店、一九八三年)の考えによるところ大である。 (中略) 心理療法を行いつつ筆者なりに考え、問題としてきた諸点について、前掲の井筒の書物が、またとない方向性や答を与えてくれた、ということである。」

おお、これは唯識仏教の話が出るかなと期待してしまいました。

河合さんの本は十冊以上読んでいると思いますが、具体的に記述されているのは見たことがありません。

そう思っていると、はたして記述がありました。「意識と本質」に記載されている、深層意識を構造モデル化した図が添えられています。

「Cの上にあるB領域を井筒は唯識哲学の考えを借りて「言語アラヤ識」の領域と呼んでいる。唯識のことまで説明する余裕はないが、唯識学は仏教における深層心理学と言ってもよいくらいで、アラヤ識は唯識論の説く八識中の第八番目にあたる。それは宇宙万有の展開の根源で、万有発生の種子を蔵すると考えられている。井筒はB領域を言語アラヤ識と呼び、「意味的「種子(ビージャ)」が「種子」特有の潜勢性において隠在する場所として表象する。大体において、ユングのいわゆる集団的無意識あるいは文化的無意識の領域に該当し、「元型」成立の場所である」と述べている。」

今までいろいろなところで、ユングの集団的無意識は唯識の阿頼耶識と重なるところがある、という説明を見てきました。

しかし今回、ユング研究所で学んだ河合さんが、井筒さんの「言語アラヤ識」の領域に対してとはいえ、ユングの集団的無意識の領域に該当するという井筒さんの記述を引かれているのは、考え方の基準を教えていただいたようで、ちょっとホッとしてしまいました。