通勤時間帯に空いているバスを見て軽い衝撃を受けるのはトラウマのせいだと気づきました

夕方近所のスーパーに夕食の買い出しに行くのですが、国道に面しているのでよくバスを見かけます。

私が学生の頃は地下鉄も通っていなくて、中心街に出るための交通機関はこのバスしかありませんでした。

この通りは利用者が多いことでも有名で、このブログでも何度か書きましたが、学生街や福岡ドーム、福岡タワーが周辺にある西新という街を経由して繁華街の天神に至る路線なんですね。

通勤、通学の時間帯になると、渋滞でバスは動かないは乗客は満員でギュウギュウ詰めだはで、いつも大変な思いをしていました。

西新駅よりも前のバス停で降りて歩いたことが何度もあります。

そんな路線のバスが、今は乗客が少なくてスカスカなんですね。

その光景を見るたびに軽い衝撃を受けます。

交通量は相変わらず多いので、より一層乗客の少ないのが目立ちます。

しかし、なぜバスを見るたびに軽い衝撃を受けるんだろうとふと考えたんですが、多分トラウマのようになっているんじゃないかと思い当たりました。

思い返してみると、人の入る隙間のないくらい混んでいる車内で、渋滞でバスが全く動かずにしばらく停止していることはしょっちゅうでした。

古本屋さんめぐりをする人ってこんな感じなのかなと想像してしまいました

先日三宅陽一郎さんというIT業界にいらっしゃる方が、唯識仏教をAIに活用しようとされていることを書きました。

今まで唯識に興味がある人に会ったことはありませんし、ましてやIT業界で研究されている方がいらっしゃるとは思ってもいなかったので、嬉しくなってさらに勉強してみようと思い、本を探していました。

しかし、入門書の次のレベルのようなものになると絶版本が目立つようです。

例えば唯識思想を大成した世親が著した「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」の解説書は太田久紀著「唯識三十頌要講」(中山書房仏書林)、竹村牧男著「唯識の探究―「唯識三十頌」を読む」(春秋社)などがありますが、どちらも在庫切れになっています。

その「唯識三十頌」を護法が注釈し、玄奘が漢訳した「成唯識論(じょうゆいしきろん)」の解説書で、竹村牧男著「「成唯識論」を読む」(春秋社)は販売されているので私は購入しましたが、太田久紀著「成唯識論要講」(中山書房仏書林)は在庫なし、同じ著者の「「唯識」の読み方」(大法輪閣)はPOD(プリント・オン・デマンド)として販売されています。私はを古書で手に入れました。

唯識仏教や易経に興味を持ったのはITとは対極の世界を欲したからかもしれません

インターネットでKotlinのことを調べていたら、Androidアプリの開発だけではなく、バックエンドやサーバサイドにも使われてはじめているという記事をいくつか見かけました。

その中には「今注目すべきフレームワークは?」というような記事もあり、フロントエンドにはReact、Vue、Angularなどが挙げられていました。

私はWebフレームワークのことを調べなくなって何年も経っているので分からないことばかりなのですが、中にはJQueryは最適な選択肢ではないかもしれないとする記事もありました。

ああ、そうなんですか。

一時期は、JavaScriptライブラリといえばJQueryが真っ先に挙げられていたと記憶していますし、それもほんの数年前だった気がします。

私はほとんど使ったことがないのですが、一緒にWebサイトを作っていた人がJQueryをよく知っていたので覚えているんですね。

なぜこんなことを書いているかというと、今日竹村牧男著「「成唯識論」を読む」(春秋社)という本を読んでいて、それと比べてしまったからなんです。

「成唯識論」は1500年ほど前に書かれたもので、とても長い原典のほぼすべての内容を竹村さんが解説しています。

当事者の苦労も知らずにお客さんが寄って来る商売は羨ましいと思ってしまいます

今日近所のディスカウントストアに行ったら、駐車場にある宝くじ売り場にお客さんが二人いました。

ロト6などを売っているようですが、いつもお客さんを見かけます。先日など四人並んでいました。

以前も書きましたが、そこから家に帰る途中にある駄菓子屋さんや、ゲーム機が置いてある(と思うんですが)中が見えないお店の前には、子供たちの自転車がよく停まっています。

近所のスーパーの入り口にはガシャポンが置かれているのですが、ここにも子供たちがたむろしている姿をよく見かけます。

傍から見る限りでは、お客さんが寄って来てくれる商売は羨ましいなと思ってしまいます。

もちろんやっている方にとっては、このような状態に至るまでが大変だったのでしょうし、運営者にしか分からない苦労もいろいろあると思います。

昔、音楽リハーサルスタジオで店番をやっていたことがあるのですが、同僚にフリーのPAエンジニアがいました。

その方は、「このスタジオのような現金商売はとても羨ましい」とおっしゃっていました。

当時は「そういうものかな」程度に思っていたのですが、今にして思えばこの方のいうとおりだと思います。

親と嗜好が同じものが多いほど恵まれた環境で育つんだなと思いました

親戚にせっかちな性格の人がいて、血圧が高かったりいつも頭痛がひどくて困っているようです。

親兄弟を見ても穏やかな性格の人ばかりなので、「誰に似たの?」と聞いたら「お祖父さんだと思う」という答え。私から見れば曾お祖父さんです。

隔世遺伝ということになるのでしょうが、やっぱり遺伝ってあるのでしょうか。

学生のとき、親戚が私がギターを弾いていることを知って「誰に似たの?」、「さあ・・・」と会話していたのですが、確かに私と同世代以上の年齢の親戚に楽器をやる人はいませんでした。

あえていえば、祖母が日本舞踊の先生をやっていたくらいでしょうか。

私がこの年になって唯識仏教や易経に興味を持ったときも、相変わらず親とは全く趣味が違うなと思ったものですが、思い出してみると私の祖父の本棚にずらりと漢文の本が並んでいたので、今になって祖父の遺伝かもしれない思っています。

うちは二世帯住宅ではありませんでしたし、祖父、祖母に会うのは盆と正月くらいでしたので、生活環境から影響を受けるということはありません。

私の両親の生活にはギターの「ギ」の字も古典の「コ」の字もありません。

潜在意識と現実世界の境界にいる人の話にわくわくする・・・その秘密を探りたいです

今日書くことはちょっと突拍子もないことなので読み飛ばしてください。

昨日は私が興味を持っていた「阿頼耶識と人工知能」のようなテーマを、三宅陽一郎さんという方がすでに研究されていた、ということを書きました。

あまりにもレベルの高い研究内容に驚いたのと同時に、研究分野がゲームAIとのことで、私の知りたいこととはちょっと方向性が違うかなとも感じました。

私の知りたいことはAIの深層心理と唯識との関係とか、AIの行動が易によって占えるものかというようなフィクションめいたことなので、いつの日かAIが心を持ったときに研究がなされることを期待したいと思います。

とりあえず今、私のレベルでできることは、AIによって仕事が奪われるとか、量子コンピュータでよりシンギュラリティが現実味を帯びるというような情報におびえることなく、人間の心がわくわくして楽しめることを冷静に追求して行くことで、AIとの棲み分けを考えることなのかなと思っています。

私個人を例に取れば、小松和彦さんや河合隼雄さん、若桑みどりさんのような方の本にいつもわくわくするのですが、この方たちに共通するのは、潜在意識というかあちらの世界とこちらの現実の世界を自由に行き来できる「境界の人」なんじゃないか、という思いがあります。

「阿頼耶識と人工知能」など私の興味のあることを研究されている方がいらっしゃいました

今日Amazonを見ていたら、三宅陽一郎さんという方の「人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇」(ビー・エヌ・エヌ新社)という本を見つけました。

目次には「第零夜 概観」−「4 阿頼耶識と人工知能」、「第一夜 荘子と人工知能の解体」、「第二夜 井筒俊彦と内面の人工知能」というタイトルが並んでいます。

これはすごい。

私は以前、AIが将来人間と同じように心や寿命を持ったときに、人間と同じように唯識や易経を拠り所にすることになるのだろうか、ということを書きました。

そのときは、このようなことを研究されている方を見つけられなかったので、今後も気に留めていたいとも。

莊子や井筒俊彦さんのことも何度かブログに書いたように、とても興味を持っています。

そんな中、この本です。

著者の三宅さんのプロフィールを拝見すると、株式会社スクウェア・エニックス リードAIリサーチャーや日本デジタルゲーム学会理事など、いくつもの肩書をお持ちです。

阿頼耶識に関連していえば、「人工知能のための哲学塾・東洋篇 第零夜 開催レポート」という記事に、従来ゲームAIで行われている「世界の記号化」というアプローチとは異なるモデルとして、唯識をどのように取り入れようとしているかが解説されています。

パソコンは本来とてもパワーのある製品だということを改めて感じました

今日散髪に行ってお店の人と話していたら、私がIT関連の仕事をしているということを聞いて、その方が昔知人からパソコンを買わされたときの話をされました。

Windows 95が発売される前だったのでMS-DOSというコマンドを打って操作していたとか、コマンドを打ち間違えると動かないのでイライラしたとか、ニフティサーブを使っていたとか、当時のパソコンは50万円くらいしたとか。

それ以上詳しいことは聞かなかったのですが、その方はもうすぐ還暦を迎えるということでしたので、三十歳くらいのときに購入されたんだと思います。

もし今と同じ床屋さんをやっていらっしゃったのならば、ロータス1-2-3でお店の経理をするためなのか、一太郎でお店に貼る印刷物とか広告関連のものを作るのが目的だったのかもしれません。

私が今まで作業環境の話をしてきたのは、同じIT業界かデザイナー関係の人たちばかりだったので、全く違う業界の人がMS-DOS時代に自分でパソコンを買ったという話を聞いて新鮮な感じがしました。

会社員であれば、会社がパソコンを導入したので仕方なく使っていたというシニアの方は多いと思います。

必要な分を買って注ぎ足すというアナログな行為はほとんど見かけなくなりました

以前石油ストーブが好きだということを書きましたが、先程自室の石油ストーブの灯油が残り少ないのを発見。灯油缶は外にあって、寒いし暗いし面倒なのでそのままにしています。

最近は夜更かししているので灯油が持つかな。

家族は自室にエアコンを入れて、私の心配をよそに平然としています。

こういうとき昭和の製品という感じがしますね。

毎週灯油の販売に回ってくる業者さんから買わなきゃならないし、なくなりかけたら灯油を外に入れに行かなければならないし。

それでも好きなんですよね。

今インターネットで調べてみたら、石油ストーブ好きの方は結構いらっしゃるようです。

やっぱり人が焚き火に引き寄せられるように、炎には人間の本能を安心させるものがあるのでしょう。・・・私だけですか。

そういえばクルマもガソリンを入れるじゃないですか。

燃料がなくなりかけたらガソリンスタンドに入れに行く。

昔クルマを持っていたときガス欠で動かなくなったことがあって、近くのガソリンスタンドに歩いて行って店員さんに事情を説明していたら、私と同じようにおばさんがガス欠で歩いてきたことがありました。

ガス欠になる人、結構いるのかなと驚いたものです。

企業や家庭に深く浸透してしまったものは、なくしたくてもなくならないのかもしれません

Microsoftが企業にInternet Explorerの使用をやめるよう要請した、というニュースを見つけました。

何でも同社のサイバーセキュリティアーキテクト、クリス・ジャクソンという方が、IEを使い続けることが企業に「技術的負債」をもたらしていると述べた、とのこと。

今でも使い続けている理由は、利用するWebページやWebアプリがIEにしか対応していないからでしょうが、セキュリティ的にも不安があるし、IEで対応し続けることが長期的に見てコストがかかるからということらしい。

昨年の12月にも、MicrosoftはEdgeをChromiumベースのWebブラウザへ変更することを発表したばかりです。

ChromiumはGoogleがオープンソースプロジェクトとして開発しているもの。

Microsoftが自社のWebブラウザの基本エンジンにGoogle製を使うようになるとは、IE一強時代を知っている者にとっては隔世の感があります。

以上のようなニュースは、WindowsにおけるWebブラウザの重要性が相対的に低くなったということなのでしょう。

Microsoftだって、AIや量子コンピュータなどの開発に莫大な資金を投入しなければならないのでしょうし。

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