私にはティク・ナット・ハンさんのマインドフルネスがとても向いているようです

昨日は易経の「艮為山(ごんいさん)」という卦(か)のお話をしました。

河村真光著「易経読本」(光村推古書院)の解説によると「世の事象がいかに目まぐるしく動いても、己の心さえ艮(とど)まるべき処に止まっていたら、振り回されることも、また迷うこともない」というもの。

仏教のお坊さんがいっているようでもあり、私はとても好きな卦です。

しかし一方で、実際に怒りがわいたり悲しみに沈んだりしたときは、心の状態を何とかしたいので、易経の知恵で解決できるかといえばちょっと違うような気がします。

易経や陰陽五行は、世の中の仕組みや人間の資質などを知るには最適だと思っています。

心の方は、若い頃に神経症で悩んでいたとき、坐禅の本を買ってきて坐禅の真似事をしたのですが、そのときは効果がありそうだと思ったものの、そのあとが続きませんでした。

数年前には瞑想入門を買ってきて、こちらは細々と続けています。

そして先日、ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」と「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(共に野草社)という本を買ってきて試したところ、私にはこれがとても効くようなんですね。

「息を吸いながら○○、息を吐きながら○○」などと唱えながら呼吸の瞑想をするだけです。

易経にも仏教のマインドフルネスに通じるところがあるように感じています

易経を覚えるために、毎日「どのような日になるでしょうか」と占って、出た結果の解説を読んでいます。

今日出たのは「艮為山(ごんいさん)」。

卦辞には「其の背に艮(とど)まりて、其の身を獲ず。其の庭に行きて、其の人を見ず。咎なし。」とあります。

この卦は艮(ごん)卦が上下に並んでいる純卦といいます。

このような上下が同一の純卦は他に七つあるのですが、それらには四徳といわれるめでたい徳性のどれかが備わっているのに、この艮為山だけは一つもありません。

本田濟著「易」(朝日選書)はその理由について、清の王夫之の説明を紹介しています。

「それは我を忘れ人を忘れるという、この卦の心境が、ともすれば老荘のような逃避的退嬰的態度に陥る危険があるからだ、と。」

それでも、朱子が「最も好(よ)き卦」というように、私も過去にこの卦が出たときは何だか共感できる気がしていました。

今回、先日購入した河村真光著「易経読本」(光村推古書院)の解説を見て、その理由が分かりました。

未経験の仕事は小さく始めてできることを増やして行く方がいいかもしれません

当たり前のことですが、商売はお客さんが選んでくれなければ成り立ちません。商売というより、仕事全般にいえることなのでしょうが。

一方で、強く望んで努力していれば、いつかはそれが実現するという話を聞きます。

後者の話は実際に実現できた人がそういっているのでしょうし、確かに実現できる人もいるのでしょう。

私にはそのような経験はありません。

やり方が悪いとか理想が高すぎるとか、いろいろな理由があるのでしょうが、結局は本人の納得感の問題だと思います。

私は社会に出てずっとITの仕事をやっていますが、どちらかといえばこれは好きな仕事です。

しかしIT業界に入ったのは強く望んで努力したからではなく、学生の頃からパソコンが好きでいつも触っていたら、友達からSE制作のアルバイトを紹介されて、そのままその会社に居ついてしまったからです。

仕事をしながらスクリプトを覚えたり、ディレクターをやったり、独立してから講師を経験したりしました。

仕事をしながら、ITというジャンルの中でできることを増やして行ったんですね。

このブログで、年をとってからやりたい仕事の準備をしていることを何度も書いていますが、その実現のために努力して行かなければと考えてきました。

個人としての宗教性を深めることの必要性は感じていました

今日、河合隼雄著「ユング心理学と仏教」(岩波現代文庫)の最後の章、「現代人と宗教」を読んでいました。

河合さんは「宗教の大切なひとつの役割」として次のように書かれています。

「それは人間に安心を与えてくれる。今生きている生が有限のものではなく、何らかの意味で永続性をもつ。言いかえると、生きている間だけではなく死後のことも保証されるわけである。」

もちろんそのことを否定する人がいることを承知の上で、民俗学者の柳田国男さんやユングがアメリカ先住民のプエブロ族を訪ねたときのエピソードを紹介されています。

私はプロテスタント系の学校に通っていたのですが、牧師さんの息子の同級生が「やっと(キリスト教の)○○のことを信じられるようになった」と話すのを聞いたとき、信仰がある人は強いだろうなと思ったものです。

河合さんは最後の方で次のように結論付けられています。

心理療法の事例から自分の物語を生み出す面白さにはまっているのかもしれません

以前より、河合隼雄さんの「〈心理療法〉コレクション」(岩波現代文庫)というシリーズを少しずつ読み進めています。

最初シリーズの一冊、「カウンセリングの実際」を読んでみたら、あまりの面白さに全六冊を揃えてしまいました。

何故面白いのかというと自分がカウンセリングを受けているような気分になるから、みたいなことをブログに書いた記憶があります。

今日シリーズの一冊、「心理療法序説」を読んていたら、その理由について書かれている箇所を見つけました。

「第11章 心理療法家の訓練」の「3 事例研究の意義」に、例えば「不登校という現象を研究しようとする場合」、調査によって一般的傾向が分かっても、「ある特定の生徒に向き合ったとき」あまり役に立たないとあります。

長いですが、以下抜粋です。

私の場合、仕事選びの条件として「使命感」というのは少し違うかもしれません

よく、仕事は「好きなこと」をした方がいいのか「得意なこと」をした方がいいのか、という話を聞きます。

私自身、学生の頃からパソコンが好きだったので、それがきっかけでゲーム開発会社のアルバイトをすることになり、社会人になってもその会社で仕事をするようになりました。

その後独立して、ゲームとは関係ないアプリ開発の請負の仕事をしています。

ゲーム開発会社にいたときは、周りにはゲームが「大好き」な人たちが多く、その人達に比べれば私は好きとはいえませんでした。

それに比べてITはそれなりに好きで、それなりに得意だったんだと思います。

昨日も書きましたが、よくこのブログで、年をとったらやりたい仕事を考えているということを書いています。

ゲーム開発会社の件もありますので、年をとったらやりたい仕事は「好きかどうか」を重視しています。

そんな中、「好き」と「得意」以外に、「使命感」みたいなものもあるんじゃないかと気が付きました。

例えば体のどこかが悪くて長年苦しんでいた人が、あるときヨガに出会ってとてもよくなった。同じ悩みを抱えている人にそれを教えているうちに、仕事になってしまった・・・みたいな。

仕事を心から愛している人を見てしまうと自分の仕事の再検討が必要だと感じます

今日夕食の時間に、TBS系列で「メイドインジャパン★『VS本場』日本代表はどこまで世界に迫れるのか!3時間SP!」という番組をやっていました。

私が見たのはヴァイオリン対決。長野県松本市のヴァイオリン職人、井筒信一さんの作品と、イタリアのクレモナで製作されたバイオリンです。

後片付けをしていたのでちゃんと見ていませんが、今までいろいろ苦労されてきたことや、対決で音のよさを評価されて感激で涙ぐんでいらっしゃったことなどが印象に残りました。

本当に心から製作に打ち込まれているんだと思います。

何でこんなことを書いているかというと、私が年をとってからやりたいと思っている仕事とずいぶん違うと感じたからです。調査してみると、あまり気乗りしないジャンルの依頼内容が多そうなんですね。

例えばスタジオミュージシャンでいえば、本人はジャズが好きなんだけど違うジャンルの演奏依頼が多い、というような。推測で書いていますので、実際にどうなのかは分かりませんが・・・。

なので、井筒さんがヴァイオリン製作の仕事を愛していらっしゃるようにお見受けして、羨ましいなと思ったんですね。

もちろん井筒さんは才能があったから成功されたわけですし、私が同じことをやったとしてもとっくに挫折していると思います。

易と仏教の本で似た記述を見つけた話、その2です

一昨日ブログに、易は「吉か凶か」ではなく「吉凶併せ持つのが人生」という発想のようだと書きました。

凶だと思っていた卦(か)が、河村真光著「易経読本」(光村推古書院)という本に、「そうではない」と解説されていたんですね。

「卦辞の「維れ心亨る」は、険難も真っ向から取り組めば、誠意は必ず天に聞き届けられると太鼓判を押し」ている。「人は生きている限り、災禍は誰の上にも等しく、しかも正確無比に降りかかるものと、日頃から腹をくくっておくべきである」、というように。

逆境のときも含めて人生であること、さらにいえば、その逆境をさえ前向きに利用しようという発想があるようなのです。

そして数日前にも書きましたが、河村さんの本と同時に読んでいるティク・ナット・ハンさんの本にも、似たような記述があるんですね。

今日、ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈今を生きる〉瞑想」(野草社)を読んでいたら、そのような箇所がありました。

この本は三つの経典について解説しているのですが、その中の一つ、「大いなる人の八つの悟り(仏説八大人覚経)」について、ハンさんが日常の中で応用できるように十一のガイドラインを作成されています。以下、その十一番目からの抜粋です。

今の時代に音楽を純粋に楽しめているのは楽器を演奏するアマチュアかもしれません

インターネットを見ていたら、スティーヴン・ウィット著「誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち」(早川書房)という本が紹介されていました。

mp3やナップスターなどの発明者や海賊行為をしている人たちのことを取材した内容のようです。

Amazonにも多くのレビューが書き込まれています。

確かに音楽はタダといっていいような状況になっていますし、若い人の中には音楽にお金を払ったことがない人も増えているようです。

録音された音楽にしろコンサートにしろ、私の世代が音楽に一番お金を払った世代じゃないかと思います。

小学生の頃から、限られたお小遣いでEPやLPを買っては、何度も繰り返し聴いていました。

そのEPやLPは宝物でした。

今の同世代の子どもたちにとって、無料や定額制サービスで聴き放題の音楽はどのような感覚なのでしょう。

音楽自体がそのような状況に対して、録音や再生の技術は当時と比べて飛躍的に向上しています。

ハイレゾの音源を高級オーディオで再生して楽しんでいる人は多いですよね。

一方で、音楽はパソコンでYouTubeで聴ければ十分、という人も多いんじゃないかと思います。

易は「吉か凶か」ではなく「吉凶併せ持つのが人生」という発想のようです

昨日は、易の「雷沢帰妹(らいたくきまい)」という一般的に凶といわれている卦(か)について、河村真光著「易経読本」(光村推古書院)という本には決してそうではないと説明されていること、そしてその説明に易経の深い思想を教えられたことを書きました。

そこで今日は八純卦(はちじゅんか)について、この本の解説に目を通してみました。

八純卦とは八卦、つまり乾(けん)、兌(だ)、離(り)、震(しん)、巽(そん)、坎(かん)、艮(ごん)、坤(こん)、それぞれが上と下に並んだ卦のことです。

すると昨日と同じように、固定概念を覆されるような解説を見つけました。

八卦の一つ、坎は険難を意味するのですが、それが上下に二つ重なる「坎為水(かんいすい)」は、四つの代表的な悪い卦(四大難卦)の一つに数えられています。以下、抜粋です。

「坎為水を禍々しい卦などと誤解する俗易は論外としても、案外多くの人がこの卦を望ましくないものと解するのは、私にはどうしても合点がいかない。卦辞を読めばわかるように、これは一種の励ましの卦である。「艱難汝を珠にす」と同様、卦辞の「維れ心亨る」は、険難も真っ向から取り組めば、誠意は必ず天に聞き届けられると太鼓判を押し、「行けば尚ぶことあり」、そこには必ず得るものがあるといっている。」