テレビと音楽の組み合わせは記憶に最適かもしれません

昨日コンサートでビゼーの「アルルの女」を聴いているとき、中学1年生の頃LPで聴いていたフルートの息継ぎ部分などを覚えていたことを書きました。

それを書きながら、昔テレビ探偵団という番組があったことを思い出しました。

以前もブログに書きましたが、1980年代に泉麻人さんがコメンテーターを勤めていた、私たちの世代が共有している昔の放送を懐かしがる番組です。

子供の頃に好きだった番組は夢中になって見たせいか、細かいところまでよく憶えています。

保育園の頃に見たテレビの映像でさえ、断片的ですが憶えているんですよね。

それに比べると、授業中に勉強している記憶はほとんどありません。

いかに興味がなかったかですね。

授業中の記憶といえば、数学の補習で小テストを受けているとき、先生が私のところにやってきて、「ここ解らないの?ここが解らないならダメだ。」とニコニコしていたようなことです。

この先生は黒板に数式を書いているとき活き活きしていたので、こういう人が数学を好きなんだなと思ったものです。

話はテレビに戻りますが、小学生の頃「トムとジェリー」というアメリカのアニメをやっていて、トムがオーケストラの指揮者をする回があります。

入れ込んで聴いていた音楽は何十年経っても忘れないものです

今日、福岡市西区を拠点にしている、西区フィルハーモニーオーケストラのコンサートに行ってきました。

ニューイヤーコンサートなので、ウィーンフィルのようにシュトラウスのワルツがメインでした。「皇帝円舞曲」や「美しく青きドナウ」などです。

そんな中、ビゼーの「アルルの女」組曲 第2番も演目の中にありました。

中学1年のとき音楽鑑賞の授業で聴いて、メヌエットがとてもきれいなので、感激してレコードを買いました。

私にとって初めてのクラシックのLPで、カラヤンとベルリンフィルでした。調べてみると1970年に録音されたもののようです。

ファランドールもそうですが、メロディがとても印象的で、鼻歌でそれらしく口ずさめるんですよね。

中学に入って、ラジオを通してサイモン&ガーファンクルやクイーンなどの洋楽を聴き始めたのですが、今考えてみるとメロディアスな音楽に惹かれていたんですね。

メヌエットのフルートの息継ぎ部分とか、ファランドールで輪唱のようにビオラが旋律を追いかける音色とか今でも憶えていたので、当時は相当聴き込んだのだと思いますが、洋楽のアーティストや名盤を追いかけるのに夢中だったので、繰り返し聴いていた時期はそれほど長くないと思います。

易の卦や爻をコンピューターに当てはめることができるかもしれません

易占いは易経がベースになっているのですが、占っている方は易経を自分なりに解釈しているようです。

ですので易者さんの人生経験や想像力によって、同じ占い結果でも違う解釈が生まれてくると思いますし、そこに易の面白さがあるように感じます。

一方、易とは全く関係のないように見えるパソコンですが、私はその面白さについて、使う人によってできることが異なるところ、そして使う人の知識や能力によってできることが格段に増えるところにあると感じていました。

その面白さを上手く表現できなかったので、以前パソコンは錬金術のようだと書いたりもしました。

しかし先日、二進法を確立したライプニッツが易経に関心を持っていて、易経の六十四卦を配列した先天図から二進法の計算術があることを見いだしたという事実を知って、自分にとっての易とパソコンの面白さが似ていることに気付いたわけです。

そうなると、パソコンに易のフォーマットを当てはめてみたくなります。

一つの卦に対応するのは一つのソフトウェアでしょうか。

そして使う人は爻ですね。

例えばソフトウェアがExcelだとすれば、一爻目(初爻)にあたる人は初級者でしょうか。

基本的な計算の練習をしたり、顧客リストのようなリストだけを作ったり。

ライプニッツの作った二進法が易経と関係していたことに驚きました

昨日はコンピューターの黎明期のことを調べていたら、二進法を確立したのはライプニッツだということを知ったところまでお話しました。

それだけならば普通の豆知識として終わっていたでしょうが、彼は中国にも興味を持っていたらしく、何とイエズス会宣教師から易経の六十四卦を配列した先天図をもらい、そこに二進法の計算術があることを見出したとか。

それはすごい。

以前ブログで、二進数の計算機であるパソコンが、多くのものを生み出し世の中を変えて行く様は、まるで錬金術のようだと書きました。

易経と二進法の話を知って、そうイメージしたのもあながち突拍子もないことではなかったな、と思いました。

易は陰(--)と陽(-)の符号が六本重なって、一つの卦(か)を構成します。

ある卦は全部陽だったり、全部陰だったり、三本続けて陰で残りが陽だったりと、全部で64種類の卦で成り立っています。

その一つ一つが異なる世界を持っているんですね。

そして一つの卦の一本一本を爻(こう)と呼び、人の身分を表します。

一番下が平民、二番目が身分の低い官吏、というように上に行くほど身分が高くなり、五番目が最も身分の高い王様、一番上が位のない賢者、というように説明される場合が多いです。

心の増幅装置としてのコンピューターという言葉に目が留まりました

ハワード・ラインゴールド著「新・思考のための道具」(パーソナルメディア)という本があることを知りました。

「人間の知性の増幅のための概念的枠組み」という論文を発表し、パソコンのマウスを開発したダグラス・エンゲルバートという人のことや、アラン・ケイの描く「心の増幅装置(Mind Amplifier)」としてのコンピューターのことが書いてあるそうです。

「心の増幅装置」っていいですね。

私は潜在意識などに興味があるので、ついこの言葉に目が留まりました。

以前も、自分にとって興味を持っていろいろ試したくなるのは、潜在意識もパソコンも同じだということを書きました。

この本には文字通り思考を補助して問題を解決し・・・と説明が続くようですが、Mind Amplifierという単語には、個人的にコンピューターが潜在意識に直接関与するようなイメージを感じてうれしくなってしまいます。

パソコン初心者の方は、基本的な操作を覚えたら、次にWordやExcelのような有名なソフトを使って練習することになるのだと思います。

ですのでその段階の方は、パソコンは帳簿をつけるためのものとか、年賀状を書くためのものとか、用途が決まっているのではないでしょうか。

ただ気楽におしゃべりに集中できる居酒屋であればいいのだと思います

今でも角打ちの雰囲気は好きですが、20代後半の方がよりうらぶれた飲み屋に行きたい気持ちがありました。

日常もオシャレとは程遠い環境で生活しているので、現実逃避というわけでもなさそうです。

当時の上司の人たちは、普通の居酒屋で飲んだあと、女性のいる飲み屋に行きたがる人が多かったように記憶しています。

音楽が好きな上司や同僚は、ブルースやロックが流れている居酒屋を好んでいました。

独立してから、そう年も離れていないクライアントの部長さんに、恐ろしくハイセンスなバーに連れて行かれて驚いたこともあります。

こういうところにも人の好みというのは現れるんですね。

今思いついたのですが、私は飲んでいるときは、いろいろなことについて語り合いたいのかもしれません。

子供の頃、父親や親戚の叔父さんたちが、飲みながら楽しそうにおしゃべりしているのを見て、いいなぁと思っていました。

私の勝手なイメージですが、三軒茶屋の安居酒屋で演劇論を戦わせる役者の卵・・・みたいなことに私自身憧れがあるようです。

ただダラダラと飲みながらおしゃべりするだけなら、ホッピーと中(焼酎)だけあれば小汚い居酒屋でもいいのです。

私が若い頃はおじさんが飲むようなお店に興味がありました

今日お昼に帰省した友達と天神で飲んだのですが、開いているのは若い人向けのお店ばかりで、自分たちが落ち着けるようなところが見つからず苦労しました。

夜は用事があったのでしょうがないのですが、1月3日のお昼に「見つからない」と文句をいう方が悪いですよね。

最初に入ったのはいつも行く角打ちでしたが、次から次にお客さんが来るので長居するのも悪いと思い、場所を変えようとしたのがまずかったです。

薬院駅の昭和の雰囲気が残っている三角市場に向かって、いい店はないかと歩いたのですが、ほとんど閉まっています。

あきらめて天神に戻り、いつも行く別の角打ちを覗いてみたらそこもお休み。

その隣に新しくできていた立ち飲み屋さんに入りました。

入ってびっくり。お洒落なカクテルばかりで、日本酒や焼酎がありません。

しょうがないので「ビールください」と頼んだら、「キール」というカクテルが出てきました。

一杯だけ飲んで、駅に近いPRONTOでビールを飲んで帰ってきました。

昔は昼もやっているキリンシティのようなお店があちこちにあって、このようなときも開いていて助かったものですが、あのようなスタイルは流行らないのでしょうね。

日頃接することもない人たちの感情に思いを馳せてみたいのかもしれません

先日より「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達」という番組を見て思ったことをお話しています。

ドラフトで指名されたり、プロでレギュラーだったりした人は、地元では飛び抜けた存在だったのだろうと思います。

地元を離れて高校の強豪校に進んだとしても、やはりそれは変わらなかったんじゃないでしょうか。

そういう人はやっぱり上の世界、プロの世界にいつも目が向いているように思います。

大リーグに挑戦することになった大谷翔平選手とか、日本ハムに入団した清宮幸太郎選手とか、特別な才能を持った若い選手を見ていると、そう感じてしまいます。

人に与えられた時間は平等です。

例えば私などは、地元の環境の中で、社会人に近い年齢まで「自分は彼より野球が上手い」とか「彼には敵わない」とか一喜一憂して、興味がフットサルに移ったりするわけです。

一方で野球の才能がある人は、その同じ時間を同世代どうし共通の目標を持った環境の中で、上の世界に目を向けた生活が続くのだと思います。

そのような生活を何年も続けるうちに、両者の生き方はまったく違ってしまって、日常のちょっとした判断でも大きく変わってしまうんじゃないでしょうか。

私は前者であって、番組で紹介されていた方たちは後者です。

才能のある子供たちはそれに見合う環境に移って生活することもあるでしょう

昨日は「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達」という番組を見た感想を書きました。

このような番組は今まで何度か見た記憶がありますが、見るたびに考え込んでしまいます。

プロ野球のドラフトで指名されるような人たちは、子供の頃から飛び抜けた存在だったのでしょうから、私とは見える景色が違っていたんじゃないかと思います。

私は小学生の頃はソフトボール、中学生の頃は野球をやっていましたが、センスがなくて補欠でした。

そんな私でさえ、高校の授業でソフトボールをやったとき、野球の経験がない同級生がボールをキャッチできないのを見て、「何で取れないんだろう?」と不思議に思ったものです。

今から思えば、経験がないのでできないのは当たり前ですよね。

しかしドラフトで指名されるような人たちは、私がこのようなことを感じている次元とはレベルが違うと思います。

どのようなことを感じているのか想像すらできません。

以前、武満徹さんの対談集を読んだときに、一流のクラシック音楽の演奏家の話題で驚いた記憶があります。

生まれつきとんでもなく上手い演奏家が、一日中楽器の練習をしているので、普通の人が追い付けるわけがない、というようなことをお話されていたんですね。

自分に才能を感じていた人たちは子供の頃から見える景色が違っていたと思います

昨日、TBS系のテレビ局で放送された「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達」という番組を見ました。

プロの世界は本当に厳しいですね。

特にプロ野球はサッカーと並んで日本人に最も人気のあるスポーツですから、競技人口もすさまじく多いと思います。

私が小学生の頃は、スポーツ中継といえば野球、相撲、プロレスくらいでしたし、「巨人の星」を始め野球漫画も全盛期でしたので、私でさえプロ野球選手になりたいと思ったことはあります。

自分は小学生ですぐにあきらめましたが、中学生の頃に野球部で飛び抜けて上手かったりすると、その時点で本気でプロを考える人もいそうです。

まずは甲子園を狙える高校を目指すのでしょうか。

私の周りにも、そのような人たちが数人いたように記憶しています。

ただ先ほどいいましたように、野球はすそ野がとても広いです。

強豪校でレギュラーになって、甲子園で勝ち進んで、スカウトの目に留まる活躍をする、なんて確率は私には想像もできません。

プロ野球でレギュラーになるなんて、さらにその上のレベルです。

冒頭のテレビ番組に戻りますが、取材された元選手の方々はそれをくぐり抜けてきた人たちです。

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