嫌な気分もついやってしまう好きな世界を豊かしてくれるんじゃないかと思います

この二日ほど、ついやってしまうことをやれる時間を増やせば、その分幸福になれるんじゃないかということを書いています。

誤解されると困るのですが、悩みグセのある人が小さなことでつい悩んでしまって暗い気持ちになる、というようなこととは違います。

ここでいうついやってしまうことというのは、少なくともそれをやっていて嫌な気分にならないことです。

「やらなければ」という意志の力ではなく無意識にやってしまっていて、ふと我に返ると嫌な気分ではないのですから、心が望んでいるんですよね。

もちろん、つい悩んでしまう人がふと悩んでいることに気がついて、「楽しいな」、「ワクワクするな」と感じるならば、私のいっていることに当てはまります。そのような人はあまりいないとは思いますが。

ただいくら好きでも嫌な気分になるときはあるんじゃないか?

例えば小説や脚本など、頭の中にストーリーを描くのが好きな人がいて、話の流れの中でどうしても自分の嫌な思い出に触れるような展開になったときに、嫌な気分になるんじゃないか・・・。

しかし、それはその人にとってどんなときでも嫌な気分になる思い出であって、頭の中にストーリーを描く行為とは関係ありません。

ついやってしまうことをやれる時間を増やすアプローチはいくつもあると思います

昨日のお話をもう少し補足してみます。

ついやってしまうことをやれる時間を増やすことが幸福につながるんじゃないか、ということを書きました。

例えばギターを弾くのが大好きな人がいたとしますよね。

ふと気がつくとギターを持って弾いている。それほど好きだと。しかも元々才能があったのでしょう、とても上手い。

バンドを組んで演奏していたら業界の人の目に留まって、ミュージシャンのレコーディングに呼ばれたりするようになる。

上手いと評判になったりすれば仕事もどんどん入って、本人も好きだから仕事以外でもギターを弾いている。そしてますます上手くなる。

ちょっと極端だと思いますが、ついやってしまうことをやれる時間が最も多い人の例だと思います。

もちろん現実は、絵が好きで気がつけば絵を描いている人でも、画家で食って行ける人はほとんどいないでしょうし、イラストレーターになれたとしても、商業デザインの世界ですからあまり乗り気のしない仕事ばかりかもしれません。

そうなったときに、自分の好きな絵を描くためにはどうすればいいかもう一度考えなおして、自分の好きな絵に近いものを後継者不足の伝統工芸の世界に発見するかもしれません。

ついやってしまうことをやれる時間を増やすことが幸福につながると思います

今日インターネットを見ていたら、自然ばかりで何もない外国を旅した人の話を見つけました。

その人によると都会にはいろいろなノイズがある。誰々が○○しているから自分も○○しなきゃというように、今の自分ではいけないという強迫観念にかられる。

しかしその国にいると自分は今のままでいい、ありのままでいいということに気づかせてくれる・・・というようなことが書かれていました。

最近自分の中で似たようなことを考えていたので、ああやっぱりそうだよな、と納得してしまいました。

先日余命を宣告されたと仮定することは、次々に新しいことに手を出す悪い癖をなおす口癖に使えそうだと書きましたが、そのあと続けて考えていたことなのです。

新しいことに手を出すまでもなく、今のまま、ありのままの自分でいても生産性があり、創造的であり、幸福を感じられるはずだと思うんですね。

よく、ついやってしまうこと、気がついたらやっていることは好きなことであるということを聞きますが、これなんてありのままの自分がやることそのものですよね。

自社アプリだとAppleに申請するときも少し気が楽です

今日Appleに弊社のチャットアプリ「楽々談話室」を申請しました。

自社アプリは守秘義務がないのでこのような発表ができます。

それに発売日を自分で決められるので気が楽です。大きな会社であれば自社アプリでもそういうわけにも行かないでしょうが。

随分前ですが、クライアントさんのお客さんにすでに納品が決まっているアプリをAppleに申請したときは、胃が痛くなる日々が続きました。

なかなかバグが取れないは、やっとの思いで申請にこぎつけたのに2、3回リジェクトされるは・・・。当時Appleの審査は今より時間もかかりましたし厳しかったんですね。

クライアントさんになんて報告しようか、毎日そればかり考えていました。

昔会社に所属していたときも、大変さはあまり変わらなかったように思います。

大きな会社でしたので、発売を決済に間に合わせて売上目標を確保しなければならないんですね。宣伝部も営業部も発売日に合わせて動きますし。

商品がパソコンソフトのときは系列会社にプレス工場を持っていたので、無理をいって待ってもらい何度もギリギリの期日に持ち込んでいました。

逆にいえば期待されていたわけです。迷惑をかけた方が多かったでしょうが。

毎年師走だから忙しいという挨拶は不思議だなと思っていました

12月になると「師走だからお忙しいでしょうが」という言葉をよく聞きますし、先日仕事の打ち合わせ日時を相談されたときにも実際にいわれました。

私は師走なので忙しいと思ったことはあまりありません。

師走に限らずいつも何かをやっていて、のんびりとした時間を楽しむということができません。

子供の頃から気を抜くとやることを詰め込んでしまう癖がありました。

それは自分の性格でもあるでしょうし、親からよく「急ぎなさい」とせかされていたせいもあると思います。

中学生のときに体育会系の部活に入っていたことがあって、特に一年生は休むということが許されない雰囲気がありました。

社会人になったときはバブルだったので、頑張れば頑張るほど残業代がついていたように記憶していますし、いい製品を出せば売れる時代でしたので、頑張っていい製品にしようとしていたと思います。

「24時間戦えますか」という栄養ドリンクの歌が流行っていたのも、この頃じゃなかったでしょうか。

30代で体を壊してから、いつも何かを詰め込んで忙しくする癖をなおすように心がけてきたつもりです。

CD-Rを使ったサービスを廃止することになって時代の変化を思いました

弊社のWindows用楽譜作成ソフト「Score Magazine」には、無料でダウンロードできる試用版と同じものをCD-Rに焼いて郵送でお届けするサービスがあったのですが、利用者がほとんどいないので廃止しました。

何年も前にお客様用にCD-Rを大量に買ったのですが、それがまだなくならないので、今いくらで売っているのか分かりません。多分DVD-Rの方が割安になったりしているんじゃないでしょうか。

ごくまれに注文が入るとWindows 7パソコンのCD-Rライターを起動して焼いています。この体制がいつまで続けられるか心配でもあったんですね。

Score Magazineが一番売れていた時期には、たくさんCD-Rに焼いて営業や宣伝に使っていました。

あれほどメディアが安くて多くの機器で読めていたのはオーディオCDのおかげなのでしょう。

しかしいつの頃からかWindowsやAdobeの製品がDVDで供給されるようになったとき、「ああ、もうそういう時代か」と思ったものです。ほとんどのパソコンでDVDが読めるということですから。

それが今やメディアでソフトを供給すること自体、もうほとんど行われていないんじゃないでしょうか。

自然の前では弱い人間も文明の力に守られているなと感じます

このところの気温の急激な変化で体調を崩した高齢の知人がいます。

一昨日の火曜日は福岡市博多区で26.4度を記録し、福岡県内では観測史上初めてとなる12月の夏日になったそうです。

明後日の土曜日は予想最高気温が9度。火曜日と17度以上の気温差があります。

知人はもともと高血圧の人で、血圧が高くなると気分が悪くなるようですが、台風が近づいているときや今回のように急激に気温が上下するときは、血圧が上がらなくても調子が悪いそう。

私は血圧が高くないので体調の変化は感じません。

ただその人は若い頃血圧は低かったといっているので、血圧が高い状態に体がついて行ってないのかもしれません。

人間の体は6、7割が水分でできているようなことを聞きますので、気圧の変化で大きな影響を受けるのは当然なのでしょう。

以前ブログにも書きましたが、私はアレルギー性鼻炎なので季節の変化には敏感です。

冬から春に変わるときや秋から冬に変わるときは鼻がムズムズして、ティッシュペーパーが大量に必要になります。

学生の頃は特にひどくて、授業中止まらない鼻水に苦労していた記憶があります。

人には自分に合った組織の大きさがあると思うので協業には注意が必要です

今関わっているいくつかの仕事のなかで、商品としてのポテンシャルが高そうだけれども環境が整っていない仕事があります。それ以外の仕事はポテンシャルも環境もそれほど特別なものはありません。

そのポテンシャルが高そうな仕事にどこまで関わるかちょっと悩んでいるところです。

もし関わったとしたら、環境を整えるためにかなりの労力を注ぎ込む必要があるでしょう。

もちろんあたれば仕事として大きく発展するでしょうが、そのためにはしっかりとした環境が必要です。

私がゲーム会社に所属していた頃は、ポテンシャルを感じるある会社の作品を引っ張ってきてヒットしたこともあったのですが、これなんて所属していた会社の資金が豊富で、宣伝部隊も営業部隊もいたからできたのであって、今のように私一人が軌道に乗るまでの環境を構築しようとしてもたかが知れています。

これまでにも小さな組織で同じようなことをした経験がありますが、あまりうまく行きませんでしたし、大きな組織で契約社員として動いたときは、かなりうまく環境を作ることができたと思っています。

それ以来、人には好き嫌いは置いておいて、自分の動きやすい組織の大きさというものがあるんだなと実感しました。

IT社会は人と同じことをしないとエラーになることを改めて痛感しました

今日dポイントカードというものが送られてきました。

NTTドコモのカードで、ショッピングで使えるポイントがほぼ1万ポイント溜まっているらしい。

私はドコモの携帯なのでポイントがいつの間にか溜まっていたようです。1万ポイント、つまり1万円分使えるようです。

買いたいものがあったので「ラッキ〜」と思って、さっそくカードを使えるようにするための利用者情報登録なるものをやってみました。

指定されたWebサイトで登録を終わらせてログインしてみると、「あなたのポイントは0ポイント」と表示されています。

あれっ?と思ってカスタマーセンターに電話してみると、このカードはドコモ契約者じゃなくても登録できるらしく、私は携帯に紐付けしなかったので、非ドコモ契約者として登録されてしまったようです。

送られてきた案内をよく見てみると、スマホでQRコードからアクセスして登録する手順が書いてあります。

いわれてみれば当たり前ですよね。私のようにパソコンからGmailで登録する人なんてほぼいないのでしょう。変なことしてスミマセン・・・。

余命宣告の仮定は手を広げすぎることを戒める口癖に使えるかもしれません

昨日は余命を宣告されたと仮定して遺書を書いたとして、自分の本当にやりたいことが分かるだろうかというお話をしました。

余命宣言というのは数ヶ月、長くても一年くらいのものでしょうか?そのくらいの期間で、例えば子供の頃の夢を叶えるために行動しても現実的には難しいでしょうから、本当にやりたいことが分かるというよりは、人生の目標のようなものを持っている人にとってそれを再確認するくらいのことには役に立つかもしれない、という内容でした。

しかし今日考えていたのは、余命宣告の仮定は、自分の悪い癖である手を広げすぎることへの戒めに使えるかもしれないということ。

手を広げすぎるというのは、例えば将来仕事に結びつきそうなことを思い付いたら熟慮せずにすぐに始めてみたり、これを身に着けたら仕事にプラスになるかもしれないと新しいジャンルの本を買ってしまったり、みたいなことです。

このような本なんて買って読んだところで未消化に終わる場合がほとんど。私と同じような人は多いと思います。

ここ数日もやることがいろいろあるのに、気が付いたらそのような本のAmazonのブックレビューを読みふけっていました。

そんななか余命宣告の仮定を思い出したわけです。

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