平凡な人生でも心の拠り所を持ち日々楽しく生活する方が幸せかもしれません

私の住んでいる団地は、戸数が多いので十数区画に分かれています。

今年私の家の属する区画に、市政だよりのような配布物を配るのは私の担当なので、定期的に各家庭を回っています。

そのとき感じるのは、いつもひっそりとしていること。

ほとんどの家庭のお子さんは独立しているので、家にいらっしゃるのは高齢の親御さんばかりです。

それにほとんどの方が、膝などにどこか悪いところがあるので、リハビリに行かれたりしているんですね。

みなさん、だいたい八十代。その子供は、私もそうですがだいたい五十代だと思います。

今八十代の方たちは三十代の頃、当時新興住宅地だったこの団地に引っ越してきました。

この団地に高齢者はほとんどいなかったわけです。親は実家にいるので。

なのでちょっと極端な言い方ですが、高齢者を身近に感じることなく八十代を迎えた。

一方でその子どもたちは(私のことですが)、高齢者を身近に感じながら生活している。

そういう生活を送っていると、いろいろなことを準備して八十代を迎えた方がいいな、と思ってきます。

その一つは、心の拠り所を持っていた方がよさそうだということ。

休業要請の緩和対象にライブハウスが含まれるようで少しホッとしています

以前ブログに、よく行くディスカウントストアの駐車場にロト6などを売っている宝くじ売り場があり、お客さんが絶えないと書きました。

今日もそのディスカウントストアに行くと五、六十代と思しきおばさん三人組が、窓口に横一列に並んで宝くじを買っていました。

その宝くじ売り場の前を通って、駐車場奥に設置されているトイレに行き、トイレから帰って来るとまた違うおばさんが宝くじ売り場に。

ああ、終わりの見えないコロナ自粛生活のこのご時世、庶民に夢を売っているんだなぁ、と思いながら売り場を後にしました。

そういえば、感染拡大の警戒を呼び掛ける「東京アラート」が解除されましたね。

それに伴い、休業要請などの緩和の段階を「ステップ3」に進める方針とのこと。

ライブハウス、カラオケ、バーやスナック、パチンコ店やゲームセンターなどが対象になるそうです。

考えてみれば、私が今年に入って出かけている場所は、スーパーの食料品売り場とディスカウントストアの日用品売り場くらいしかないように思います。

まさに「人はパンのみにて生くるにあらず・・・」。

(この言葉は、本来は聖書の「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による」から来ているようです)

ユング派心理療法の感性が易の解釈などに役に立つように感じています

数日前、岡野守也著「仏教とアドラー心理学」(佼成出版社)を読むことで、個人的になぜユングや河合隼雄さんの本が好きなのかが分かったと書きました。

今日も河合さんの「ユングと心理療法」(講談社プラスアルファ文庫)を読んでいたら、面白いなぁと思うところにいくつか出くわしたので、少し抜粋してみたいと思います。

夢の分析に際して、治療者が自分の夢を記録して細かく分類するようなことついて、河合さんの見解が述べられている箇所です。

「「学者」としては、そのようなことをいちいち記録し、また条件も細かく分類などして発表すべきかとも思われる。しかし、そのような「学者的」態度を放棄してしまっているから、このような深い主観のかかわる現象がよく起こるのではないか、とも考えられる。この点については簡単に断定できないが、筆者自身は、ともかく治療がうまく行われることがいちばん大切で、発表などのことはあまり重要でないと思っている。」

また治療者は、自分の半身が「患者」であること、自分が「病んでいる」と自覚することの重要性を、次のように指摘されています。

ASKさんが活動自粛中もZoomで積極的に会議をやられていたのに驚きました

私がホームページなどの運営をお手伝いさせていただいているASK アクティブシニア交流会さんの定例交流会が、今月末から再開されます。

ASKさんは毎月、定例交流会とビジネス研究会を開催されているのですが、さすがに新型コロナウイルスの影響で、三月から三ヶ月間お休みされていました。

ASK代表の方からいただいたホームページにアップする原稿を拝見すると、いくつかの新しいことが見受けられます。

三密を避けるために人数制限を設定されています。

講演のあとの懇親会はごく少人数の募集です。

さらに当日はマスクの着用が必須、会場入口では手の消毒を徹底してくださいとのこと。

こういうのは「新しい生活様式」に含まれるので、今後の交流会でも当たり前になっていくのでしょう。

そして原稿を見て「おっ」と驚いたのは、Zoomを使った役員総会とオンライン飲み会の報告。

先日代表の方と電話でお話したとき、三ヶ月の交流会の休止期間中にZoomを使ったとおっしゃっていたのです。

このブログで、ASK会員さんは平均年齢七十代なのに、ITを積極的に活用されるということをよく書いています。

西洋の心理学や坐禅を長年やられた方の唯識仏教のやさしい解説です

岡野守也著「唯識で自分を変える」(すずき出版)という本を読んでいました。

プラユキ・ナラテボーさんの心理療法の実例を読んで感銘を受けたので、仏教と心理療法を組み合わせて書かれた本を何冊か読んでいます。

岡野さんは唯識仏教の専門家で、トランスパーソナル心理学を日本に紹介された方らしい。

論理療法やアドラー心理学と唯識仏教の統合などをテーマに本を書かれています。

そんな岡野さんの「唯識で自分を変える」の紹介文を見ると、「ごくふつうの市民が、大乗仏教の深層心理学ともいうべき「唯識心理学」を日常生活で実践し生かすためのやさしいワークブック」とのこと。

とても興味がわいたので注文してみました。

読んでみると、なるほど仏教を知らない若い人でも、無理なく唯識仏教のエッセンスを日常生活で生かせそうな内容です。

岡野さんのプロフィールを拝見すると、最初は牧師さんもやられていたようですが、主に心理学の研究者として執筆や講演などを中心に活動してこられたようです。

易や唯識やユングへの興味はイメージの活用という共通項から来ています

岡野守也著「仏教とアドラー心理学」(佼成出版社)から、アドラーの心理学の特徴を知りました。

それに伴い、イメージを活用したユングの心理学の特徴も、私の中ではっきりしました。

河合隼雄さんの「ユングと心理療法―心理療法の本〈上〉」(講談社プラスアルファ文庫)に次のような箇所があります。

「たとえば、ずいぶん以前のことであるが、第一回の面接後に、夢の中で見た治療者が異常に大きい耳をしていたことを報告した人があった。

「私は聴いてばかりいると思われたのでしょう」というと、その人は笑いだして、そのとおりですと答えた。当時は、非指示的カウンセリングが流行しており、何も答えてくれないカウンセラーに嫌気がさしたその人は、「分析家なら、もっといろいろいってくれるにちがいない」と思って、筆者のところにきたというのである。」

この例では、患者さんが夢で見た「大きな耳」について、カウンセラーが「私は聴いてばかりいると思ったのでしょう」とイメージを解説した結果、患者さんが心を開いて治療が進展したことを示しています。

ユング派心理療法のこのようなイメージの活用について、私はとてもいい印象を持っています。

アドラーを知ることで易や唯識仏教に興味を持っている理由が分かりました

昨日は岡野守也著「仏教とアドラー心理学」(佼成出版社)を読んで、ユングや河合隼雄さんの心理学とは相当異なっていることに驚いたお話をしました。

アドラーは自分の心理学に「個人心理学」という名前をつけ、ユングの集合的無意識のようなものは想定していません。

つまり心は自分だけのものであり、人の心を理解するにはその人を理解しようとする努力が必要ですし、その人に自分を解ってもらおうとする努力も必要だということです。

とてもポジティブで現実的であって、ユングのようにイメージを活用するような場面はありません。

そして私がユングや河合隼雄さんの本を読んでいて、面白いと感じる部分はまさにそこなんですね。

今日は河合隼雄さんの「ユングと心理療法―心理療法の本〈上〉」(講談社プラスアルファ文庫)を読んでいました。

いつもながら、夢分析を使った治療例に引き込まれてしまいます。

ユングや河合隼雄さんの本をいつ読んでも面白く感じてしまうのは、イメージを活用した心理学だからなんだなと思います。

そして私が易や唯識仏教に興味があるのは、どちらもイメージを喚起されるものだからでしょう。

遅ればせながらアドラーを読んでいてユングとの違いに呆然としていました

岡野守也著「仏教とアドラー心理学」(佼成出版社)を読んでいました。

今までアドラーの解説書は読んだことがなかったのですが、唯識仏教の専門家である岡野さんが、アドラー心理学と唯識は相性がいい、という切り口で解説されているみたいなので注文したのです。

ただアドラーの心理学は、「人を動かす」や「道は開ける」のデール・カーネギーや、「7つの習慣」のスティーブン・R・コヴィーに影響を与えたとてもポジティブな心理学だということは、有名な話なので知っていました。

「仏教とアドラー心理学」を読んでみると、仏教との関連において次のような箇所が所々に見受けられます。

「仏教との統合というテーマに関していえば、「優越性への努力」、「完全・完成への努力」や「意味(存在意義)への努力」、つまり一般的な心理学用語に置き換えれば人間のやむにやまれない「自我確立への衝動」は、後半で述べる唯識の「マナ識」における「我癡・我見・我慢・我愛」という四つの根本煩悩と重なる洞察であり、どちらもそれ自体は善でも悪でもないとされているところも一致していて、補いあうものだと思われます。」

世の中には効果が分からない不思議なジャンルの商品があるんですね

高齢の親がときどき肩の痛みを訴えます。

冬場に多いのですが、ここ数日張り出してきた南九州の低気圧のように、気圧の変化が大きいときなどにも多い気がします。

数年前にはあまりに痛がるので、整形外科で治療を受けていました。

今ではそこまでする必要もなくなって、蒸気で温める湿布薬でその場をしのいで来ました。

ただそれでもごくまれに、ひどく痛がるときがあるんですね。

なので今回、グルコサミンなどを含むコンドロイチンというサプリメントを注文しました。

実は以前よりインターネットで調べてはいたのですが、「効果がない」という情報を見るたびに、買うのをやめていたのです。

コンドロイチンやグルコサミンのサプリは、関節の軟骨成分を補充してくれるので、肩やひざの痛みがやわらぐらしい。

ところが、口から摂って一旦消化されたコンドロイチンやグルコサミンが、再びコンドロイチンやグルコサミンに再合成され軟骨になるとは考えづらい。だから効果がないというわけです。

いわれてみれば確かにそうです。

しかし一方で、アサヒ、サントリー、小林製薬、大塚製薬などの大手が商品を発売しています。軟骨を再生するとは謳ってはいませんが。

易とマインドフルネスを日々の生活を送るための拠り所にしています

今日も東京都と北九州市が新型コロナウイルスの感染者数で突出していました。

同じ福岡県に住む者としては、収束を願うばかりです。

インターネットを見ていると、コロナの影響で心の不調を訴える人が増えているという記事をよく見かけます。

これだけコロナの収束や経済の回復が見えない状況が続いていると、いつ自分が心の不調を訴える側になるか分かりません。

私も若かりし頃だったとはいえパニック障害を経験しましたので、本当にそう思います。

そんな中、芸能人やアーティストなどの方々が、人々を元気にするために動画をネットにアップされていますね。

一般の方もこれだけ自粛生活が長くなると、自分が何によって癒されるかが分かってきたんじゃないでしょうか。

私も日々の生活を振り返ってみると、そのようなことがいくつかあることに気が付きました。

このブログでも何度か書いていることです。

一つは易。

易を覚えるためにはやってみることが一番だと聞いたので、毎日「今日はどのような日になるでしょうか」と占って、その結果を解説書で検証したり実感したりしています。

例えば今日出た卦(か)は沢火革の四爻(こう)。