平凡な人生でも心の拠り所を持ち日々楽しく生活する方が幸せかもしれません

私の住んでいる団地は、戸数が多いので十数区画に分かれています。

今年私の家の属する区画に、市政だよりのような配布物を配るのは私の担当なので、定期的に各家庭を回っています。

そのとき感じるのは、いつもひっそりとしていること。

ほとんどの家庭のお子さんは独立しているので、家にいらっしゃるのは高齢の親御さんばかりです。

それにほとんどの方が、膝などにどこか悪いところがあるので、リハビリに行かれたりしているんですね。

みなさん、だいたい八十代。その子供は、私もそうですがだいたい五十代だと思います。

今八十代の方たちは三十代の頃、当時新興住宅地だったこの団地に引っ越してきました。

この団地に高齢者はほとんどいなかったわけです。親は実家にいるので。

なのでちょっと極端な言い方ですが、高齢者を身近に感じることなく八十代を迎えた。

一方でその子どもたちは(私のことですが)、高齢者を身近に感じながら生活している。

そういう生活を送っていると、いろいろなことを準備して八十代を迎えた方がいいな、と思ってきます。

その一つは、心の拠り所を持っていた方がよさそうだということ。

自分の親を見ていると、体が弱ってくると楽しみはテレビと食事くらいしかなくなるんですね。

そういう理由で、私はよくブログに書いているライフワークの準備をしているのです。

例えば何かで成功して名声を得たとしても、八十代を迎え体が思うように動かなくなり、楽しみがあまりない生活を送るのではなく、平凡な人生であっても、心の拠り所があって、日々楽しく生活している方が幸せかもしれない。

新型コロナウイルスの影響で、世の中の価値観がいろいろと変わったからでしょうか。

最近そのようなことをよく考えてしまいます。