心と体の話

若い人たちがサッカーをしているのを見て体力が落ちたのに気付いたことを思い出しました

昨日は酷暑のお話をしましたが、今日も日中はクーラーを入れてもなかなか温度が下がらないような暑さでした。

夕方になって夕食の買い出しに近くのスーパーに出かけたのですが、途中にある小さな公園で10人以上の若者が、上半身裸でサッカーをやっていました。

たぶん中学生か高校生です。とても真似できない・・・。

30過ぎて独立した頃、誘われてフットサルをやっていたことがあるのですが、初めて参加した日に5分ぐらいしか走っていないのに、苦しくて動けなくなったことを思い出しました。

中学生の頃まで野球をやっていて体力には自信があったのですが、たったこれだけの全力疾走でバテたことに衝撃を受けた記憶があります。

一緒に始めた同年代の人も、私と同じようにうずくまりながら「こんなはずでは・・・」という感じで愕然としていました。

確かに部活動をしていたときは、毎日苦しい練習を繰り返していたのですから、ちょっとやそっとの運動でバテるはずがありません。

それから20年近く経っているわけですから、体はなまりきっているのに、意識だけは当時と同じ体力を維持していると勘違いしていたんですね。

昨日は、高齢者に比べれば、自分は酷暑に対応できる体力は残っていると書きました。

やっている人が多い競技であれば長くみんなと楽しめそうです

以前私がゲーム開発会社で働いていた頃、麻雀や囲碁のゲームを作っていたこともあってか、社内で囲碁が流行ったことがありました。

ある30代の社員の人は、老後の楽しみのために覚えているといっていました。

中国の路上で囲碁を打つお年寄りたちの映像を見て、あのような生活に憧れたこともありましたので、私も覚えようとしましたが、すぐに自分にはぜんぜん才能がないことに気付きました。

小学生のときに、団地の子供たちの間で将棋が流行ったことがあったのですが、私もその頃少しかじっただけで、それ以降触れていません。

本当に好きで、それなりに才能があれば続けていますよね。

野球については、プロ野球中継を熱心に見ていたのは小学生まで、野球部に所属していたのは中学生まで。

今思えば、野球漫画に影響を受けていたからとしかいえません。

なので、一生を通して熱中できるものがあるというのはすごくうらやましい、と思ったんですね。

ただ先ほどから考えていたのですが、熱中することを「一生続けられる」というのは、条件として、「歴史があってやっている人が多い競技」という感じじゃないかと思います。

熱中できるスポーツリーグがあることは高齢者の健康に貢献するように思います

昨日はワールドカップの話から、一生を通して熱中できるものを持っている人は、とてもうらやましいということを書きました。

しかし何事も度が過ぎると、どこかに負担がきます。

私の知人で、サッカーが好き過ぎて、ワールドカップの期間夜中じゅうテレビを見ていたために、しゃれにならないくらい体調をくずした人がいます。

サッカーにしろ野球にしろ、一試合を最後まで見るとなると、相当長い時間がかかります。

プロ野球になると、シーズン中はそれがほぼ毎日続きますよね。

大事な仕事などを抱えている人に取っては、いろいろ支障をきたすんじゃないでしょうか。

一方で人生100年時代というワードが流行っているせいか、仕事人間だった人が定年後やることがなくて困っている、という話をよく聞きます。

そういう人がサッカーや野球の大ファンだったりすると、やることがないどころか、充実した毎日を送れるのではないでしょうか。

以前ブログに書きましたが、野村克也元監督がそうですよね。

ある本の中で、今70歳代だが野球には飽きない、毎日新しい発見がある、というようなことをおっしゃっていました。

ワールドカップの時期にサッカーが生きがいの人たちを見ているとうらやましく思います

テレビも新聞もワールドカップの情報で溢れています。

サッカーのことを全然知らない私の親も、お昼のワイドショーなどで見ているらしく、「半端ないってどういう意味?」なんていっていました。

確かに思ってもみなかった番狂わせが起きたり、活躍するべき人がここぞという所で活躍したりすると、ほとんどサッカーの知識がない私でも興奮します。

先日の平昌オリンピックもそうでしたが、国を挙げてのスポーツの祭典は、みんながその競技のファンになるようです。

ブラジルやイギリスなど、サッカーが盛んな国には、「サッカーこそ我が人生」のようなおじさんがいますよね。テレビでよく見かけます。

日本にもそのような方はたくさんいると思います。

一生を通して熱中できるものがあるというのは、すごくうらやましいことだと思います。

福岡は昔から野球が盛んな土地柄のせいか、あちらこちらに少年野球チームがあるようです。

私が小学生のときはソフトボールでしたが、住んでいる団地にチームがありました。

少年野球やソフトボールの監督は、だいたい近所の野球大好きおじさんが務めています。

大好きな野球で監督ができるのですから、とてもいい人生ですよね。

他の業界の方が「年を取ってもできる仕事」について考えていることに興味があります

先日より「年を取ってもできる仕事」について考えています。

今やっているITの仕事も、やりようによっては高齢者になっても続けられるかもしれないと感じる一方で、世の中の環境は大きく変化している最中で何があるか分かりませんから、IT以外のことも今から考えておきたい、というようなことを書いてきました。

そんな中、今日たまたま実家に大工さんが来て、テラスのリフォーム工事がありました。

以前にも書きましたが、実家はかなり昔に建った家なので、補修しなければ持たない箇所があちこちにあるんですね。

今回のテラスも木材が腐っていてどうしようもなかったのです。

先週解体される方が一人で作業されて、今日は大工さんが二人で作業されました。明日以降、塗装屋さんが作業をされたら終了です。

今日は半日ほどでテラスが出来上がりました。早くて丁寧でさすがにプロの仕事です。

これも先日書きましたが、水道工事や大工さんのような仕事は個人や家族がとても助かりますし、それなりの費用はかかりますが客に取ってはそれほど高いとは思えませんし、賃金も作業後ほどなくして入ってきます。

私のようなITの仕事とはかなり違うと思います。

高齢者になってもできる仕事を身に着けるには何年くらいかかるでしょうか

先日より「年を取ってもできる仕事」について考えてしまったことや、やりようによっては今のITの仕事を80代になっても続けられるかもしれないと思ったことを書いています。

しかしその予想は現時点でのものであって、AIが普及するなど世の中はどんどん変わって行きます。

ITの仕事は、肉体労働のように身体的にハードな内容ではないというだけで、高齢になって体が思うように動かなくなってもできるという補償はありません。

そういう意味では、今やっている仕事とは別のことで、収入を得られるものを持っているに越したことはありません。

私はそういうものを持っていませんので、今からでも作っておかなければならないなと思っています。

先日インターネットを見ていて、ダイヤモンド・オンラインのWEBサイトで「10年後も生き残る管理職の条件」という記事を見つけました。

そこには「機械に仕事を奪われないために今からやるべきこと」というテーマで、プリンシプル・コンサルティング・グループ代表取締役の秋山進さんという方が、「長年にわたって積み上げた経験値から生まれる第六感や洞察力が重要」ということをおっしゃっていました。

私たちの年代は80歳になってもアプリの開発をしている人たちがいるかもしれません

昨日は、山根明さんという方が運営されているシニア向けのIT講座で、講師の最高齢が88歳の方だということに驚いたことを書きました。

それまで私は、年を取るとITの仕事は技術的について行けなくなるだろうから、60代くらいまでしかできないだろうと勝手に想像していたわけです。

ただ高齢者でもITの仕事はできるといっても、締め切りに追われて徹夜が続くような仕事は無理でしょうし、スケジュールがタイトでなくても、WEBやゲーム機のプログラミングのように、新しい技術を次々に覚えなければならないものも難しいでしょう。

そういう意味では山根さんがされているような、自分と同じシニアの方に、IT機器の使い方や活用方法を教えるというのは、とても現実味のある仕事だと思いました。

シニアの方がITの仕事をするにあたって、もう一つ考慮に入れておきたいのは、いつからITに触れたかということです。

最初に挙げた88歳の方はExcelを教えられているとのことですが、この方が最初にExcelに触れたのはいつ頃かと想像すると、もしWindows 95からだとしても60代半ばですよね。

80代前半の山根さんがパソコンを覚えたのも、定年直前の64歳からとのこと。それからExcelやPowerPointの仕事をされたらしいのです。

80代でもITの仕事をされている方がいらっしゃることに勇気づけられました

先日テレビをつけると、NHKで「ドキュメント72時間「旅する美容室」」という番組をやっていました。

介護福祉施設などを訪問する美容師さんたちを追ったドキュメントです。

お客さんは80代前後の方が多かったと思いますが、外出が難しい高齢者を専門にカットやパーマをされています。

ただ高齢になれば、介護施設に入っていらっしゃる方ではなくても、体が弱くなって、行きたい場所になかなか行けない方も多いと思います。

以前私の知っているシニアの方々が、病気のあとに気力や体力がかなり落ちているのを見て、「年を取ってもできる仕事を考えてしまった」というブログを書いたのですが、このような番組を見るとその想いを強くします。

とはいえ、その仕事がどういうものか簡単に思い付くわけではないのですが、少なくともソフトウェア開発のように技術的なことを調査しながら、締め切りに追われるような仕事は気力、体力的に厳しいだろうなとは感じます。

そんなことを考えながら、放送の翌日インターネットを見ていると、山根明さんという80代の方が、起業して「シニア向けスマホ講座」や「すまほ茶屋」というシニア向けのIT講座を展開されていることを知りました。

四十で迷ったとしてもそう心配することはないようです

昨日は新聞の「比呂美の万事OK」という人生相談のコーナーについ見入ってしまったことを書きました。

伊藤比呂美さんの回答にあるように、50代になると世の中のことが分かるようになるというか、少なくとも自分のことがかなり分かるようになります。

ということは、その前の40代は迷うもの、迷って当然の年代、というようなことをおっしゃっていたのです。

それまで私は、同級生が大企業で支店長としていい業績を上げたり、大都市の一等地にマンションを買ったりしているのを見て、世間では働き盛りといわれている時期に自分は何をしているのだろう、と悩んでいました。

それこそ「四十にして惑わず」のはずなのに、ますます惑ってどうすんねんという感じです。

そこに今回の比呂美さんの回答です。

40代の質問者の方に語られる50代の世界が、私の今の状況と合っているように感じたので、とても納得したんですね。

成人して、自分なりに社会人として最低限の経験をしたといえるのは、10年では足りず、20年くらいはかかるんじゃないかと思います。

そして40歳くらいになって、本来の自分と希望してきた生き方が運よくそれほど違わなかった人が、先ほど挙げた同級生のように働き盛りとして仕事にまい進しているんじゃないか。

40代全員が働き盛りとして仕事にまい進しているわけではないのかもしれません

西日本新聞を読んでいて、「比呂美の万事OK」という人生相談のコーナーについ見入ってしまいました。

回答者は伊藤比呂美さんという詩人の方で、西日本新聞社から同名の本も出されています。

その日の相談者は40代の方で、相談内容もその年代ならではのお悩みです。

比呂美さんはいつも通り、優しいまなざしを向けながらも切れ味鋭い回答をされています。

その回答の中で、四十不惑というが、今は孔子の頃とは違うのであの頃の40は今の60くらいか。なので40代は迷って当然。50代になると世界は今までになくすっきりして、まわりのモノゴトがよく見えるようになる、というようなことをおっしゃっていました。

私はそれを読んで、伊藤比呂美さんと比べるのは恐れ多いのですが、自分が経験してきたこととかなり似ているなと感じて、とても安心してしまいました。

ビジネス書やビジネス系のWEBサイトを見ていると、40代は脂の乗り切った働き盛り。大きな仕事を任せられ社会を支える年代、というような評価をされています。

私は30代で体を壊し、40代もそれを引きずっていましたので、体を壊すまでの生き方に無理があったのではないかとか、これからどういう方向に進めばいいのかなど、40代は悩んでばかりいました。

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