昨日は岡野守也著「仏教とアドラー心理学」(佼成出版社)を読んで、ユングや河合隼雄さんの心理学とは相当異なっていることに驚いたお話をしました。
アドラーは自分の心理学に「個人心理学」という名前をつけ、ユングの集合的無意識のようなものは想定していません。
つまり心は自分だけのものであり、人の心を理解するにはその人を理解しようとする努力が必要ですし、その人に自分を解ってもらおうとする努力も必要だということです。
とてもポジティブで現実的であって、ユングのようにイメージを活用するような場面はありません。
そして私がユングや河合隼雄さんの本を読んでいて、面白いと感じる部分はまさにそこなんですね。
今日は河合隼雄さんの「ユングと心理療法―心理療法の本〈上〉」(講談社プラスアルファ文庫)を読んでいました。
いつもながら、夢分析を使った治療例に引き込まれてしまいます。
ユングや河合隼雄さんの本をいつ読んでも面白く感じてしまうのは、イメージを活用した心理学だからなんだなと思います。
そして私が易や唯識仏教に興味があるのは、どちらもイメージを喚起されるものだからでしょう。
ネットには易とユングの共時性が、唯識仏教とユングの集合的無意識が、それぞれ関連するものとして説明されています。
ユングや河合隼雄さんを面白いと感じる限り、易と唯識仏教も面白く学んで行けるんじゃないかと思います。
アドラーの心理学を知ることによって、あらためて自分が易や唯識仏教やユングに興味を持っている理由が分かりました。