深層心理学

ユングが治療を行った記録にアニマのような用語が出てこないことが印象的でした

昨日はユングの「心理療法の実践」(みすず書房)の最後に掲載されている、翻訳者の横山博氏と大塚紳一郎氏が書かれた「解題」から、印象に残った箇所を抜粋しました。

本文も印象に残ったところはたくさんありますが、その中の一つがユング心理学の特徴を示す「グレートマザー」や「アニマ」のような用語が出てこないこと。

このことは「解題」にも触れられていました。

昨日も書いたユングの心理療法の重要な特徴と考えられる三点、(1)個別性の重視、(2)目的論的方法、(3)弁証法的過程。その(1)個別性の重視からの抜粋です。

「すべての患者/クライエントはそれぞれ異なる治療を必要としており、私たち心理療法家はその事例においてもっとも適切な治療はどのようなものか、常に個別的に判断していかなければならないということだ。 (中略) 「アニマ」「影」などといった元型論の用語を患者の夢や絵に当てはめていったり、あるいは現実生活をまるで無視するかのようにして「イメージ」の世界ばかり取り扱っていくことが「ユング派の心理療法」だと思われていたならば、なおさら新鮮な驚きが得られるに違いない。」

ユングを学ぶことで易経の解釈にもいい刺激をもらっていると思います

以前より少しずつ読み進めていたユングの「心理療法の実践」(みすず書房)を読み終えて、本の最後に掲載されている翻訳者の横山博氏と大塚紳一郎氏が書かれた「解題」を読んでいました。

ユングの心理療法の重要な特徴と考えられる三点、(1)個別性の重視、(2)目的論的方法、(3)弁証法的過程、を挙げられています。

面白いなと思ったのは(2)目的論的方法。フロイトとの違いが明確に述べられています。

うまくできるかどうか分かりませんが、以下抜粋してみます。

ユングの心理療法の本を読むとユングが易を利用した理由が分かるような気がします

今日C・G・ユング著「心理療法の実践」(みすず書房)の「医学と心理療法」という章を読んでいました。

これは「1945年5月にチューリッヒで行われたスイス医学アカデミー評議会での講演」を収録したものです。

なので、「医師の方々を前にしてお話しするとき、私はいつもある種の難しさを覚えます。それは一般的な医学と心理療法の間に存在する、病理に関する見解の違いに橋渡しをすることの難しさです。」という書き出しから始まっています。

この章は、その「見解の違い」を説明するために費やされているのですが、以下に一部を抜粋してみます。

「そして最後に治療の中で、医学一般に当てはまるものの見方との最大級の違いが明らかになります。身体疾患であれば、診断をもって特定の治療方針も確定する一連のものがあります。ある病は決まった手段でしか治療できません。けれども精神神経症には、それとはまったく逆のことだけが当てはまるのです。 (中略) ここで注目すべきなのは、どの治療行為も何らかの神経症に関しては望ましい効果を発揮しうるということです。 (中略) 心理療法家であれば誰しも、もしも何かができるのならば、意識的にせよ無意識的にせよ理論から離れて、時にはその人が持つ理論の中にはまったく存在しないあらゆる手段をとる場合があるはずです。」

一万時間の法則ではないですが軽度の持病に関することは副業として考えられそうです

ここ数日、河合隼雄さんの「<心理療法>コレクション」シリーズを揃えたり、ユングの心理療法に関する本を買ったりしていることを書いています。

なぜこのような本が面白く感じるかというと、自分が心理療法を受けているような気持ちになるからじゃないかと思います。

何度かブログに書いたのですが、私は三十代でパニック障害になって病院に通っていた時期があります。

それにもともと神経症の傾向があって、小学生の頃はストレスから来るひどい鼻炎に悩まされていました。

幸い今は普通に社会生活を送れているのですが、それでも生まれついての神経症の素質はあるなと感じることは多いです。

なので、河合さんやユングの本に書いてあるような心理療法を実際に受けていたとしたら、人生ずいぶん変わっていただろうなと思います。

それに将来考えている仕事が、このような本にかかれていることと一部関係があるので、とても勉強になるんですね。

そもそもこのようなことを将来の仕事の一部にしようと思ったのは、一万時間の法則ってありますよね。それを考慮に入れたからです。

河合隼雄さんのユングと唯識仏教に関する記述を発見してちょっとホッとしました

今日仕事の合間に、河合隼雄さんの「心理療法序説」(岩波現代文庫)を読んでいたら、「第二章 心理療法と現実」で次のような記述に目が止まりました。

「本章においては、特に、井筒俊彦「意識と本質」(岩波書店、一九八三年)の考えによるところ大である。 (中略) 心理療法を行いつつ筆者なりに考え、問題としてきた諸点について、前掲の井筒の書物が、またとない方向性や答を与えてくれた、ということである。」

おお、これは唯識仏教の話が出るかなと期待してしまいました。

河合さんの本は十冊以上読んでいると思いますが、具体的に記述されているのは見たことがありません。

そう思っていると、はたして記述がありました。「意識と本質」に記載されている、深層意識を構造モデル化した図が添えられています。

人の資質のパターン化は仕事のマーケティングにも役に立つかもしれません

昨日は吉野裕子さんの民俗学の本の話から、易との関連性でユングの話になり、私が面白いと感じているところを同じように感じている人はいるのだろうか、という話になりました。

「嫌われる勇気」がベストセラーになってから、アドラーがちょっとしたブームになったのに比べ、ユングはあまり話題にならないように感じますし。

吉野さんの駆使される陰陽五行には、人の資質を分類する手法もありますので、それを使えばユングに共感する資質を持つ人の特徴もパターン化できるような気がします。

実際、意識しているかどうかは人それぞれですが、自分が興味を持っている「人物」の傾向は、人によって驚くほど違います。

例えばサッカー部で汗を流している学生さんや、社会人でもサッカーが人生の一部になっている人は、日頃からプロのサッカー選手たちに目が行くと思います。

これは極端な例でしたが、私がいっているのはそれから先があって、同じプロサッカー選手に目が行くにしても、人によってぜんぜん違うタイプの選手を無意識に意識しているということなんです。

一般的な社会人であれば、日頃からいろいろな人物に目が行くと思います。

集合的無意識などに共感する人は陰陽五行で人の資質をパターン化できそうです

ここ数日、吉野裕子さんの本のことを書いています。

祭りや風習など、いわれがよく分からないものを、陰陽五行や易を用いることで謎を解き明かして行くのがとても面白いんですね。

この面白さは、私の中では、小松和彦さんの民俗学や若桑みどりさんのイコノロジーと通じるものを感じます。

象徴を読み解くというのでしょうか。

小松さんの本に、山姥の昔話をユングの普遍的無意識(集合的無意識)をもとに解説されている箇所があるんですが、河合隼雄さんの一連の昔話の本を興味深く読んだ私としては、吉野さんの本に同じ思いを抱くのは自然なことなんだろうなと思います。

ユングは易と共時性の関係を研究していたわけですし。

ただ最近思うのですが、私が面白いと感じるところを、同じように面白いと感じる人はどのくらいいるのでしょうか。

数年前に岸見一郎/古賀史健共著「嫌われる勇気」(ダイヤモンド社)がベストセラーになってから、アドラーに関する本が結構出版されました。

一方で、ユングに関する新刊はあまり見かけないような気がします。

心理学がそれほど売れるジャンルではないせいかもしれませんし、アドラーのヒットも異例なことだったのかもしれませんが。

東洋思想を学んでいるのは自分を含むシニアの役に立つんじゃないかと思うからです

最近書いていることが陰陽五行や易経のような東洋思想のことばかりで、何のブログか分からないですね。

一応IT関連の仕事をしている会社のブログです。

以前より、河合隼雄さんを通してユングの集合的無意識などに興味があり、その繋がりで唯識仏教や易経に行き着きました。

それに、学生の頃から占術や民俗学としての陰陽五行にも興味がありました。

元々深層心理学や象徴的なことが好きなんですね。

実は最近本業の方も、カウンセリング会社さんのアプリを請け負ったり、自社で開発したアプリ「楽々談話室」がシニア向けであったり、ASK アクティブシニア交流会さん主催のIT勉強会の講師をしたりしています。

ASKさんはシニアの方の集まりだけあって、興味のある会員さんも多いのでしょう。東洋思想に関する講演会は過去に何度かありましたし、私も短い時間でしたが陰陽五行や易経についての講演をさせていただきました。

なので最近書いていることと、そうかけ離れていないんじゃないかと思っています。

それにこれからの日本は、私もその中に入りますが、人口に占める高齢者の割合がどんどん高くなって行きます。

井筒俊彦さんと司馬遼太郎さんの対談は一冊の本にして欲しいくらいです

昨日、注文していた井筒俊彦さんの「コスモスとアンチコスモス」(岩波文庫)が来たので、しばらくの間読んでしまったことを書きました。

巻末に司馬遼太郎さんとの対談も載っていたので、珍しい組み合わせだなと思って、そちらも読んでしまいました。

司馬さんといえば数え切れないほど多くの小説や紀行文を残されていますが、私が読んだのは「梟の城」や「坂の上の雲」の最初の何巻か、「街道をゆく」の何巻か・・・。何を読んだかはっきり覚えていません。

それでも膨大な知識と経験をもとに書かれている司馬さんの文章はとても面白くて、一旦読み始めると時間を忘れて読んでいた記憶があります。

例えば、街道をゆくシリーズの「肥前の諸街道」(朝日文庫)の虹の松原を紹介されているところは、本来は二里続くことから二里の松原という名称だったのが、武士より町人の文化が優勢だったところから虹の松原という洒落た名称になった、というようなことが書かれていました。

子供の頃から何度も通っているのに、こんな感動的な話があったなんてびっくりした記憶があります。

そんな司馬さんが河合隼雄さんを愛読されているということで、ユングのことを井筒さんに質問されているのですが、無意識の話ならばと井筒さんは唯識についての解説を始められます。

唯識を学んでいてワクワクする理由が何か分かった気がします

以前、個人的に唯識仏教のすごいなぁと思うところ、というブログを書きました。

それは何かといえば心の働き、心の作用の面を細かく分析した心所有法のことでした。心所は六つのグループ、五十一種類に分類されています。

それでは心の主体とは何かというと、唯識では心王といい、前五識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識)、第六意識、第七マナ識、第八アラヤ識という八識に別れています。

そして第六意識までが表層心理、第七マナ識以降が深層心理という重層構造になっています。

つまり心というのは、八識の心王に五十一種類の心所が付随して働いているということなんですね。

以前より唯識に対してワクワクする感覚を持っていたのですが、今日それが何か分かったような気がしました。仏教の教義にワクワクするというと不謹慎かもしれませんが。

例えば私が易経にワクワクする理由は何となく分かっています。

易経は八卦それぞれに複数の象徴的な意味を持っています。

その象徴を自分の占う内容に合わせて、自由にイメージを膨らませて行くんですね。

実際の占いでは64卦384爻という膨大な数の象徴を用います。