深層心理学

心王、心所を中心とした心の構造を理解するところから始めようと思っています

竹村牧男著「唯識の探究―「唯識三十頌」を読む」(春秋社)を読み終わりました。

インターネット上にある一般の方の書評などには、入門書とか中級のレベルというように書かれていますが、私には上級レベルでした。なかなかに難しい。

最初から何度か読み返すつもりでいたのですが、こりゃ相当読み返さなければ「理解した」までには行き着かないだろうな。

これより前に読んだ「「成唯識論」を読む」(春秋社)がとても分かりやすかったので、同じ著者のものをということで読み始めたのです。

その意味では、この方の説明の文章は私にはとてもしっくりきますし、私が唯識で一番関心を持っている深層心理分析、五十一の心所の解説は私が持っている本の中で最も詳しいので、手に入れてよかったです。

今まで私が読んでいた唯識の解説書は、世親の唯識三十頌を護法が注釈した成唯識論をもとにしたものが多かったと思いますが、「「唯識三十頌」を読む」というタイトル通り、護法以外の解釈も紹介されています。

唯識に関連する本は十冊ほど読んできたのですが、太田久紀著「「唯識」の読み方」(大法輪閣)と上記二冊を読んで、唯識思想の全体の構成は理解できました(あくまで「全体の構成」についてで、唯識思想を理解できたわけではありません)。

世阿弥が唯識と易経の両方に影響を受けていたことに驚きました

岡野守也著「能と唯識」(青土社)という本を注文しています。絶版になっているので古書です。

この本は能と唯識との関連性に焦点を当てた内容のようで、以前安田登著「異界を旅する能」(ちくま文庫)という本がとても面白かったので、こちらも気になっていたのです。

能を大成した観阿弥・世阿弥といえば唯識学研究の総本山、法相宗興福寺の保護を受けていたようなので、大いに影響を受けているのでしょう。楽しみです。

今日ふと思い立って、インターネットで世阿弥について調べていたら、「花鏡」という能芸論書の中に易経を使って説明する箇所があるのだとか。

なかなか唯識と易経の両方に影響を受けた人物は見当たらないので、気になってもう少し調べてみました。

一つ見つけた情報は、世阿弥は岐陽方秀(きようほうしゅう、ぎようほうしゅう)という禅僧と親交があったということ。

この方は京都五山の一つ、東福寺の僧で、五山では易経を研究していたらしい。

もう一つ見つけた情報は、興福寺の「大乗院寺社雑事記(ぞうじき)」の記録に、寺に属していた声聞師の配下に猿楽師がいたとのこと。そこに観阿弥、世阿弥もいたのでしょうか。

そして声聞師自身の仕事に陰陽師も含まれていたとのこと。

仏教も深層心理学と共通する部分があるようです

岡野守也さんの「唯識のすすめ」(NHKライブラリー )は、仏教の深層心理学とも言うべき唯識(ゆいしき)を解説した本です。

唯識は大乗仏教の学派のひとつ、瑜伽行(ゆがぎょう)唯識学派によって体系化されました。

唯識では感覚を「識」と言います。「視」、「聴」、「嗅」、「味」、「触」の五感に「意識」を合わせて六識。

その先に、潜在意識としての「末那識」(まなしき)と「阿頼耶識」(あらやしき)があります。

その阿頼耶識が、六識と末那識を生み出しているのであって、識自体に実体は無い。すなわち外界(自分から見て世界)に「もの」は存在せず、唯(ただ)識(しき)だけが存在する。

何のことかよく分かりませんよね、初めて見る方には。

瑜伽とはヨーガのことで、阿頼耶識はヨーガをしていた人たちによって発見されたそうですので、この説明も、ヨーガの実践によって得られることなのでしょう。

岡野さんは、先にあげた本の「深層心理学と唯識」という章で、フロイト、ユング、アドラーの各心理学と唯識との関連性を考察しています。

特に、ユングの集合的無意識は、阿頼耶識と同じ領域を違った角度から見たものではないか、と仰られています。

アーサー王の物語になぜか興味を持っていたのですが深層心理に関係していました

心理学の本に興味を持つ前から、アーサー王の物語をなぜかとても面白いと感じていました。

アーサー王は、ローマとケルトの血を受け継ぐ実在した人物で、6世紀にブリトンに侵攻したサクソン人を撃退した英雄らしい。

アーサー王の物語は、円卓の騎士たちと伝説の聖杯を探す冒険など、いくつかの物語で構成されています。

ケルト人は、紀元前よりヨーロッパに定住していた人々で、自然崇拝の多神教を信仰していました。

その後、キリスト教が入ってきたり、ゲルマン人が移動してきたりして、ケルトの文化は衰退して行くのですが、アーサー王の物語には、その文化の影響が色濃く残っているんです。

田中仁彦著「ケルト神話と中世騎士物語」(中公新書)には、そのことが詳しく書かれています。

その本の中で、アーサー王の騎士たちはさまざまな冒険を繰り広げるのですが、冒険の途中からいつの間にかケルトの他界に入り込んでいる。

その世界の中で、貴婦人の愛を失ったり、騎士と決闘したり、貴婦人の愛を再び取り戻したりする。

それは、苦難を経て自分の価値を高めて行く過程であり、男性の中にある抑圧された女性像(アニマ)を解放し、より高い次元での男性像(アニムス)との結合の物語(←意訳)であったりするようなのです。