福岡の西の方

天神以外で打ち合わせがあると改めて福岡に住んでいることを思い出します

今日から珍しく三日連続で外出します。

一日目と三日目の目的地は天神ですが、二日目に打ち合わせに行く会社の事務所は西鉄大牟田線沿線にあります。

私は地下鉄七隈線を利用していて、この電車は途中まで福岡都市高速環状線に沿って走っているのですが、福岡大学駅からギュイ〜ンと天神方面に折れ曲がります。

まさに「すべての道は天神に通ず」。

なので、終点の天神に近い駅から西鉄大牟田線に乗り換えることになります。

折れ曲がらずに環状線に沿って走ってくれれば、西鉄大牟田線と交差する地点が打ち合わせをする事務所の近くなのですが。

そんな感じで鉄道を通すことができるのは、例えばJR中央線だけでも大きな都市がいくつもある東京のような大都市だけでしょう。

東京は新宿、渋谷、有楽町など、繁華街がいくつもあって、住み始めた頃は同郷の友達と「天神がいくつもあるみたいだね」と驚いていました。

生活に慣れてくると、「いったん繁華街に出て○○行きのバスに乗り換えて」なんてことはせずに、「調べさえすれば直接目的地に行ける電車がある」というような感覚になっていました。

そんな感覚でいられるのはおそらく東京だけですよね。

生活する環境によって移動についての意識はかなり変わるように思います

東京から福岡に戻ってきて感じたのは、クルマで移動する人が多いことです。身近な人たちを見ていてそう思いました。

もちろん、福岡に比べて東京の公共交通機関はものすごく発達しています。

都内であれば、ちょっと歩けば電車や地下鉄の駅があるようなイメージです。

福岡では、市内でもバス停の停留所までかなり歩かなければならない地域も多いとは思います。

クルマを使わざるを得ない状況は、福岡の方が断然多いでしょう。

しかし自宅から駅までそんなに遠くない人が、クルマで通勤している例も多いように感じます。

驚いたことの一つは、親が近所のダイソーのようなディスカウントストアに行くときも、クルマを使っていたこと。

買ってきたものを見ると、ガソリン代の方が高いんじゃないの?というような感じなのです。

福岡に帰ってきてしばらくの間、ある会社で働いていたのですが、クルマ通勤していた同僚がある日事故でクルマが使えなくなり、公共交通機関で通勤することになりました。

公共交通機関を使って普通に通勤できるところに住んでいたようです。

ところがしばらくして、またクルマ通勤に戻りました。

ここ数日気温の変化が激しいですが、それでも福岡は過ごしやすい方だと思います

今日は朝から強い雨風で、外は肌寒かったです。

最高気温22度ということなので、そんなに低くはないですが、ここ数日とても暑い日が続いたので寒く感じたのだと思います。

三日前など福岡の飯塚市や太宰府市で30度を記録しています。

明日はさらに下がって最高気温予想は18度。

私の両親のような高齢者は、体温の調節がうまくいかず体調が心配です。

今はエアコンの家庭が多いでしょうが、一昔前は石油ストーブと扇風機を出したり片付けたりでせわしない時期でした。

それでも気温に関しては、九州北部は年間を通して過ごしやすい地域だと思っています。

東京で働いていた頃の上司は、若い頃は北海道の支社で営業をしていたらしいのですが、冬はとんでもない寒さだといっていました。

寒いのが苦手な私は、網走を回っているときはすごく寒かったという話を聞いて、ちょっと恐ろしかった記憶があります。

一方で、夏はヒートアイランド現象が顕著な東京の方が、福岡より暑いように思います。

よくニュースになる埼玉県の熊谷もその影響ではないでしょうか。

関東の人は、福岡は九州だから暑いと思っているようですが、暑さの質がちょっと違うのです。

30年もあれば意外な場所も一等地になるかもしれません

先日、天神や博多駅は当然一等地・・・と書きましたが、思い起こしてみると、私が高校生までは街に遊びに行くといえば天神で、博多駅は昔からの駅ビルがあるだけなので、遊びに行く対象ではありませんでした。

それが1990年代半ばに、キャナルシティ博多が天神と博多駅の間に開業したあたりから、少しずつ人の流れがそちらに向き始めたようです。私は当時東京で生活していましたので、人づてに聞いただけですが。

2000年代に入ってからの博多駅再開発で、東急ハンズや阪急デパート、マルイなどが出店したことで、博多駅周辺も遊びに行く街のイメージが定着したようです。

そう考えてみると、30年くらいの年月でも、その魅力によって人が集まる場所に変わるんだな、とちょっと驚いてしまいます。

それではどうでしょう。ここ数十年の間に、西新あたりが一等地と呼ばれるようにならないでしょうか?

無理か・・・。

庶民的過ぎると笑われる方もいらっしゃるでしょうし、中にはもうなっていると反論される方もいるかもしれません。

少なくとも私が高校の頃までは、西南学院大学や修猷館高校がある文教地区ではあったのですが、とてもステータスを感じるような場所ではなかったように思います。

文字通り「一等」の場所がそうたくさんあるわけはありません

私の実家は福岡市西南部の端っこ、田んぼや原っぱが広がっています。

それに比べたら六本松は都心も都心、次元が違います。

ここ数年、「福岡市の一等地、九大六本松跡地に云々」という新聞記事も、何の違和感もなく目を通していました。

ただ最近の複合施設関連の報道は、九州大学が移転した → 人通りが減った → 閉店するお店が増えた → 再開発が始まった → 街に活気が戻った、というような文脈なんですね。

「一等地」という言葉は不動産屋さんのチラシ以外ではあまり見かけませんので、今まで気にしたことがなかったのですが、今回改めて「一等地とは、ほっといても人が集まってくる場所」みたいに思い込んでいたことに気付きました。

ちなみに、インターネットで「福岡市 一等地」と検索してみると「大濠公園」などが出てきます。

なるほど。福岡市市民憩いの場といえばここ、というくらい有名ですし、大濠公園は移転はしないでしょう。

高級住宅地になると「浄水通」あたりは昔からそうですね。

ここはもう福岡のステータスシンボルのような場所なのかもしれません。

そう考えてみると、文字通り「一等」の場所がそういくつもあるわけはないですよね。

一等地とはどういう場所をいうのでしょうか

インターネットで情報サイトを見ていたら、福岡市六本松の九州大学キャンパス跡地にオープンした六本松421が、活況を呈しているという記事を見つけました。

商業施設には蔦屋書店などが入っていて、福岡市科学館は連日長蛇の列のようです。

六本松は以前九州大学教養部があり、大濠公園の南側に位置するので賑やかな街という印象はあるのですが、福岡市中心街の天神に行く途中の駅なので、特に降りることはありませんでした。

その九大が2009年に移転してからは、六本松の話題といえば、人も飲食店も減っているというネガティブなものばかりでした。

九大跡地にはあれができる、これができるという噂をよく耳にしましたし、新聞でも「福岡市の一等地、九大六本松跡地に云々」という記事をよく目にしました。

それが今や、情報サイトに福岡で一番熱い街という見出しの記事です。

今後も福岡裁判所、検察庁、県弁護士会館が移転してくるようです。

記事を読んでいて、お店をされている方は喜んでいるだろうなと思ったのですが、ふと「一等地って、再開発しなくても人が自然と集まる場所をいうのでは?」という疑問が浮かびました。

にぎやかな場所と静かな場所はどちらがいいとはいえません

数年前から九州大学が糸島に移転を進めていて、再来年くらいには移転し終わるようですね。

しかし、東区にある九大病院は移転しないようです。

それはそうですよね。

長年通院している方が不便になりますし、何より今ある地域は人口が多いので、大きな病院は必要とされていると思います。

一方で、そのような現実を見るたびに、少し複雑な気分になります。

私は30代のときにウツになったことを以前書きましたが、回復に向かったり悪化したりを繰り返していた時期は、神経がかなり過敏になって精神的に参っていました。

東京には光が丘公園や砧公園など、大きな公園がいくつもあります。

当時私は環八沿線に住んでいて、夜中でもクルマの音が絶えず聞こえてくる環境でしたので、神経を休めたいときはそのような公園に出かけていました。

広々とした空間なので視覚的には落ち着くのですが、どこにいてもかすかにクルマなどの音が聞こえてきます。

今考えると、聞くまいと意識しすぎていたように思いますし、よく探せば聞こえない場所もあったのかもしれません。

そのような場所を探すことに、頭が働かなかったというのもあるのですが・・・。

大きな建物ができるたびに地下鉄の影響力はすごいなと感心します

福岡歯科大学の近くを自転車で走っていたら、福岡看護大学という新しい学校が建っていました。

近くに福岡医療短期大学という学校もありますので、三つの大学が隣接することになります。

地下鉄七隈線が開通して、最寄の賀茂駅から歯科大学方向へ四車線道路が敷かれたときは、やっぱり大学というのは影響力があるなと感心したものです。

四車線の起点、賀茂駅の四つ角には、先日お話した丸亀製麺があります。

加茂駅から天神寄りの野芥駅には、地下鉄に沿って環状線道路ができるとき、福西会病院という大きな総合病院が建ちました。

加茂駅付近にあった黒田整形外科という病院は、数年前に大きな建物に改築されました。

環状線道路は、ここ数年とても交通量が増えましたので、大きな病院や学校ができるのも当然なのかなと思います。

地下鉄も環状線道路もまだ工事中だった頃、賀茂駅を挟んで野芥駅とは反対側の次郎丸駅前にスターバックスができたときは、なぜこんな田舎に出店したのか不思議でしたが、今ではお客さんで賑わっています。

終点の橋本駅にある木の葉モール橋本付近には、おしゃれな格好をした若い人が歩いていますが、新しく学校もできたので、今後さらに見かけるようになると思います。

子供の頃はうどんやそばの発祥の地という話は話題に上りませんでした

今でこそ福岡は、うどん、そば、饅頭の発祥の地という雑学を耳にするようになりましたが、私が子供の頃は、そのような話が話題に上ったことはなかったです。

たぶん近年の、ご当地グルメ番組などの影響ではないでしょうか。

調べたところによると、鎌倉時代に円爾(えんに)という禅宗の僧が、うどんやそばなどの製粉技術を持ち帰ったという言い伝えから、このような話になっているようです。

これは今まで書いてきたように、福岡は大陸に近く、多くの人たちが行き来する中に、円爾さんのような方がいたということではないでしょうか。

当時の庶民の生活には、あまり関係なかったように思います。

成田空港に、外国から珍しいものを持ってくる人はいるでしょうが、成田に住む人にはあまり関係ないのと同じようなことです。ちょっと例えが飛躍しすぎてますか・・・。

うどんやそばと同じように知られているのは、同じ禅僧の栄西さんが、当時脊振山にあった霊仙寺付近でお茶を栽培したことです。

そのお茶は、栄西さんから明恵上人に送られたそうですので、やはり大陸の新しいものは、まずは京の都を目指したのではないでしょうか。

とはいえ昨日書いたように、北西九州の人は、新しいものが入ってきているという感覚を常に持っていたと思います。

北西九州の人は大陸や西洋に目が向いていたのではないかと思います

私は、ウニ屋さんのネットショップをお手伝いしていた時期があります。

その会社の社長は、ウニを買い付けに行くために世界中を回る方だったのですが、最も多く仕入れていたのは韓国産なんですね。

しょっちゅう漁場に出かけていました。

一方で、高級品として長崎県対馬産のウニも販売していました。

では、味や品質がそんなに違うのかといえばそうではない。

対馬から海を望めばすぐ近くに韓国が見える。社長がいうには、ウニが食べているものは一緒だよと。

このような地域の人たちにとっては、中央で武士と朝廷が争っていることよりは、すぐ近くの外国との交流の方に関心があるのは、当然じゃないかと思うんですね。

西洋のものにしても同じです。

ザビエルがキリスト教を伝えてから、九州にはキリシタン大名がかなりいたようですから、庶民も改宗した人は多かったと思います。

それが、キリシタン弾圧と鎖国を経て、江戸時代は長崎の出島しか西洋との交流はなかったけれども、今でもあれだけ平戸や天草などに教会が残っています。

西洋の文化の薫りも、そこに住む人々は、少なからず感じていたのではないでしょうか。

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