文字通り「一等」の場所がそうたくさんあるわけはありません

私の実家は福岡市西南部の端っこ、田んぼや原っぱが広がっています。

それに比べたら六本松は都心も都心、次元が違います。

ここ数年、「福岡市の一等地、九大六本松跡地に云々」という新聞記事も、何の違和感もなく目を通していました。

ただ最近の複合施設関連の報道は、九州大学が移転した → 人通りが減った → 閉店するお店が増えた → 再開発が始まった → 街に活気が戻った、というような文脈なんですね。

「一等地」という言葉は不動産屋さんのチラシ以外ではあまり見かけませんので、今まで気にしたことがなかったのですが、今回改めて「一等地とは、ほっといても人が集まってくる場所」みたいに思い込んでいたことに気付きました。

ちなみに、インターネットで「福岡市 一等地」と検索してみると「大濠公園」などが出てきます。

なるほど。福岡市市民憩いの場といえばここ、というくらい有名ですし、大濠公園は移転はしないでしょう。

高級住宅地になると「浄水通」あたりは昔からそうですね。

ここはもう福岡のステータスシンボルのような場所なのかもしれません。

そう考えてみると、文字通り「一等」の場所がそういくつもあるわけはないですよね。

一方で、その都市の住民に、長い間トップクラスの文化的な生活を提供できるような地区は、将来「一等地」に格上げされることもあるんじゃないでしょうか。

そんなことを思いながら、福岡市の地図をしばらく眺めていました。