30年もあれば意外な場所も一等地になるかもしれません

先日、天神や博多駅は当然一等地・・・と書きましたが、思い起こしてみると、私が高校生までは街に遊びに行くといえば天神で、博多駅は昔からの駅ビルがあるだけなので、遊びに行く対象ではありませんでした。

それが1990年代半ばに、キャナルシティ博多が天神と博多駅の間に開業したあたりから、少しずつ人の流れがそちらに向き始めたようです。私は当時東京で生活していましたので、人づてに聞いただけですが。

2000年代に入ってからの博多駅再開発で、東急ハンズや阪急デパート、マルイなどが出店したことで、博多駅周辺も遊びに行く街のイメージが定着したようです。

そう考えてみると、30年くらいの年月でも、その魅力によって人が集まる場所に変わるんだな、とちょっと驚いてしまいます。

それではどうでしょう。ここ数十年の間に、西新あたりが一等地と呼ばれるようにならないでしょうか?

無理か・・・。

庶民的過ぎると笑われる方もいらっしゃるでしょうし、中にはもうなっていると反論される方もいるかもしれません。

少なくとも私が高校の頃までは、西南学院大学や修猷館高校がある文教地区ではあったのですが、とてもステータスを感じるような場所ではなかったように思います。

しかし1990年代に、市総合図書館や国宝の金印が展示されている市博物館が開館して、かなり文化的な地区に変わりました。

同じ頃福岡ドームができ、それより少し前の1989年に福岡タワーができました。

この二つは福岡市ベイエリアのランドマークになっていますね。

もう少し西に下れば、近年人気スポットの糸島地区がありますし、九大移転先の九大学研都市駅周辺は発展してきていると聞きます。

魏志倭人伝に登場する伊都国もちょうどこのあたりで、郡使の常駐する外交施設があったらしいので、当時は一等地だったのではないでしょうか。

どうでしょう、西新。やっぱり無理ですか。