昭和の映像を見ながら成長するに従って郊外に引っ越して行った記憶が蘇りました

Googleマップで明日打ち合わせに行くクライアントさんのご自宅兼事務所の住所を調べていました。

以前おうかがいしたときは、駅から車で送ってもらったので、実際どこにあるのか確認しようと思ったんですね。

そのときクライアントさんがおっしゃたのは、この辺りは昔から開けているのでとても住みやすいのだとか。

確かにクルマの中から見た景色はマンションなどが立ち並んでいましたし、Googleマップを見ても近くに大きな空き地はありません。さすがに昔から発展している西鉄大牟田線沿線です。

天神からの直線距離では私の家の方が少し近いのに、私の方は大きな空き地がたくさんあります。

最寄りの鉄道の駅までを比べても、私の家の方が半分くらいの距離です。

それでもこの辺りを「開けているのでとても住みやすい」という表現するのは、はばかられます。スーパーも数件あったりして普通に住みやすいのですが。

このようなお話をするのは、夕食のときにテレビをつけたら、来年平成も終わるということで昭和の記録映像が流れていたというのもあるのです。

昔の白黒の映像とともに、ここに引っ越してくるまでの記憶が蘇ってきたんですね。

私の親は、結婚当初は市営住宅に住み、アパートの団地、一戸建ての住宅と、だんだん郊外に引っ越して行きました。当時の多くのファミリーも同じような感じだったんじゃないでしょうか。

それから考えると、私の感覚では西鉄大牟田線は東京でいえば東急東横線のようなイメージがを持っていて、そのような沿線に新築の家を構えるファミリーってすごいな、と素直に感心してしまうのです。