今でこそ福岡は、うどん、そば、饅頭の発祥の地という雑学を耳にするようになりましたが、私が子供の頃は、そのような話が話題に上ったことはなかったです。
たぶん近年の、ご当地グルメ番組などの影響ではないでしょうか。
調べたところによると、鎌倉時代に円爾(えんに)という禅宗の僧が、うどんやそばなどの製粉技術を持ち帰ったという言い伝えから、このような話になっているようです。
これは今まで書いてきたように、福岡は大陸に近く、多くの人たちが行き来する中に、円爾さんのような方がいたということではないでしょうか。
当時の庶民の生活には、あまり関係なかったように思います。
成田空港に、外国から珍しいものを持ってくる人はいるでしょうが、成田に住む人にはあまり関係ないのと同じようなことです。ちょっと例えが飛躍しすぎてますか・・・。
うどんやそばと同じように知られているのは、同じ禅僧の栄西さんが、当時脊振山にあった霊仙寺付近でお茶を栽培したことです。
そのお茶は、栄西さんから明恵上人に送られたそうですので、やはり大陸の新しいものは、まずは京の都を目指したのではないでしょうか。
とはいえ昨日書いたように、北西九州の人は、新しいものが入ってきているという感覚を常に持っていたと思います。
そのことが、大宰府などについての言い伝えがあまり残っていないことと、関係があるような気がするのです。