北西九州の人は大陸や西洋に目が向いていたのではないかと思います

私は、ウニ屋さんのネットショップをお手伝いしていた時期があります。

その会社の社長は、ウニを買い付けに行くために世界中を回る方だったのですが、最も多く仕入れていたのは韓国産なんですね。

しょっちゅう漁場に出かけていました。

一方で、高級品として長崎県対馬産のウニも販売していました。

では、味や品質がそんなに違うのかといえばそうではない。

対馬から海を望めばすぐ近くに韓国が見える。社長がいうには、ウニが食べているものは一緒だよと。

このような地域の人たちにとっては、中央で武士と朝廷が争っていることよりは、すぐ近くの外国との交流の方に関心があるのは、当然じゃないかと思うんですね。

西洋のものにしても同じです。

ザビエルがキリスト教を伝えてから、九州にはキリシタン大名がかなりいたようですから、庶民も改宗した人は多かったと思います。

それが、キリシタン弾圧と鎖国を経て、江戸時代は長崎の出島しか西洋との交流はなかったけれども、今でもあれだけ平戸や天草などに教会が残っています。

西洋の文化の薫りも、そこに住む人々は、少なからず感じていたのではないでしょうか。

私が小学生のときの修学旅行は長崎でしたが、グラバー邸などの異国情緒溢れる佇まいは、今でも覚えています。

新しいものを受け入れる土壌が当時からあったと思うのです。