福岡の西の方

北西九州の人は大陸や西洋に目が向いていたのではないかと思います

私は、ウニ屋さんのネットショップをお手伝いしていた時期があります。

その会社の社長は、ウニを買い付けに行くために世界中を回る方だったのですが、最も多く仕入れていたのは韓国産なんですね。

しょっちゅう漁場に出かけていました。

一方で、高級品として長崎県対馬産のウニも販売していました。

では、味や品質がそんなに違うのかといえばそうではない。

対馬から海を望めばすぐ近くに韓国が見える。社長がいうには、ウニが食べているものは一緒だよと。

このような地域の人たちにとっては、中央で武士と朝廷が争っていることよりは、すぐ近くの外国との交流の方に関心があるのは、当然じゃないかと思うんですね。

西洋のものにしても同じです。

ザビエルがキリスト教を伝えてから、九州にはキリシタン大名がかなりいたようですから、庶民も改宗した人は多かったと思います。

それが、キリシタン弾圧と鎖国を経て、江戸時代は長崎の出島しか西洋との交流はなかったけれども、今でもあれだけ平戸や天草などに教会が残っています。

西洋の文化の薫りも、そこに住む人々は、少なからず感じていたのではないでしょうか。

中央に対抗するような意識はあまりないようです

昨日は、来るもの拒まずのお話をしましたが、去るもの追わずということもいえると思います。

何となく、という感じで上京する高校の同級生は多かったです。私はもう少し目的がありましたが。

福岡出身の芸能人が多いのもそのせいかなと思います。

私の周りだけかもしれませんが、プロ野球のライオンズが所沢に移ったときも、ほとんど話題になっていませんでした。

出て行くのもあまりこだわりがない。

その当時から、熱しやすく冷めやすい県民性、といわれていたように記憶しています。

中年になってから、綱野善彦さんや井沢元彦さんの日本史に関する本を読むようになりました。

読んでいて感じたのですが、鎌倉幕府から武士が台頭してきて、足利尊氏が室町幕府を設立したり、朝廷が南北に分かれて争ったり、戦国時代よりも前は、歴史は近畿と関東、東北を中心に回りますよね。

当然、一方の地域に住む人たちは、他方の地域を意識していたんじゃないでしょうか。

九州に住む人たちは、近畿を意識していたのかといえば、それはなかったんじゃないかと思うんです。

南北朝時代に後醍醐天皇の皇子である懐良親王が、大宰府を占拠して、一時期、九州で南朝の勢力を拡大させました。

福岡の人は来るもの拒まず去るもの追わず?

昨年、大宰府に関連する遺跡発掘のニュースがいくつか報じらました。

私だけかもしれませんが、忘れた頃に大宰府に関するニュースが報じられているように感じています。

今検索してみただけでも、次のようなものがありました。

  • 菅原道真公が暮らした官舎の可能性がある建物。道真公に関連する遺構が見つかったのは初めて。
  • 大宰府政庁跡で、税を管理する役所・蔵司の一部とみられる大型建物跡出土。
  • 筑紫野市で大規模な7世紀の土塁発見。大宰府を守る防塁とみられ、丘陵上での土塁の確認は初めて。

昔から不思議だったのですが、大宰府は朝廷の重要な出先機関なのに、なぜ記録が少ないのか。

私は歴史に詳しくありませんので、この時代のものは全国的に同じ状況なのかもしれませんが、道真公はここで暮らしていたとか、大宰府の防塁はここまであったとか、言い伝えくらいは残っていてもよさそうに思います。

正確なことは分かりませんが、福岡の人の気質のせいもあるんじゃないかと思っています。

話は現代に飛ぶのですが、東京から福岡に戻ってきてちょっと驚いたのは、プログラミング言語のRubyを支援したり、IT企業を積極的に誘致していること。

福岡の西の方にも有名な神社はあります

福岡の東の方は、太宰府天満宮や宗像大社を中心とした朝廷の歴史を感じる神社は多いです。

以前お話したように、魏志倭人伝で最初に九州に上陸した場所が伊都国、つまり福岡の西の方ですから、歴史を感じる神社もあるはず。

一つは、室見川河口に位置する愛宕山にある愛宕神社。筥崎宮と同じように七五三に行く方も多いです。

ここは西暦72年、景行天皇の時代に創建された福岡で最も古い神社とのこと。

鎌倉幕府が元寇のあとに置いた鎮西探題は、現在は祇園付近(博多駅近く)にあったとされていますが、それまではこの愛宕山にあったのではないかといわれていました。

福岡市内と博多湾が一望できる見晴らしのよさが有名なので、古代より何か特別な場所だったのだろうと想像できます。

室見川上流には、以前ご紹介した吉武高木遺跡という、日本で最古の三種の神器が揃って発見された遺跡があります。

この吉武高木遺跡と、魏志倭人伝に紹介されている伊都国の遺跡である三雲南小路遺跡と平原遺跡の間に、飯盛神社で有名な飯盛山があります。

ちなみに平原遺跡は、「福岡県平原方形周溝墓出土品」の名称で国宝に指定されています。

元旦に近所の神社に三社参りに行ってきました

私は福岡の西の方に住んでいて、今年も近所の神社に三社参りに行ってきました。

年末からテレビでは、三社参りは太宰府天満宮、筥崎宮、宮地嶽神社へ、というCMが流れていました。

この時期になると、東の方に有名な神社が多いな、とあらためて感じます。

今年は特に、元旦より九州国立博物館で、「宗像・沖ノ島と大和朝廷」という、宗像市の沖ノ島で発掘された宝物が展示されることも、よりその気持ちを強くします。

CMの中の太宰府天満宮は説明の必要がないくらい有名ですね。

筥崎宮は放生会というお祭りが有名で、地元では「ほうじょうや」と発音しています。

子供の頃、参道に出店がずらりと並び、すごい賑わいで、お化け屋敷があったことを憶えています。

地元では、七五三にもここに訪れる人が多いです。

宮路嶽神社の裏手には、「宮地嶽古墳出土品」として国宝に指定されている宮路嶽古墳があります。

筥崎宮から少し東北方向に行くと、古事記や日本書紀にも出てくる香椎宮があります。

子供の頃より、福岡の東の方には有名な神社が多いなと思っていました。