福岡の西の方にも有名な神社はあります

福岡の東の方は、太宰府天満宮や宗像大社を中心とした朝廷の歴史を感じる神社は多いです。

以前お話したように、魏志倭人伝で最初に九州に上陸した場所が伊都国、つまり福岡の西の方ですから、歴史を感じる神社もあるはず。

一つは、室見川河口に位置する愛宕山にある愛宕神社。筥崎宮と同じように七五三に行く方も多いです。

ここは西暦72年、景行天皇の時代に創建された福岡で最も古い神社とのこと。

鎌倉幕府が元寇のあとに置いた鎮西探題は、現在は祇園付近(博多駅近く)にあったとされていますが、それまではこの愛宕山にあったのではないかといわれていました。

福岡市内と博多湾が一望できる見晴らしのよさが有名なので、古代より何か特別な場所だったのだろうと想像できます。

室見川上流には、以前ご紹介した吉武高木遺跡という、日本で最古の三種の神器が揃って発見された遺跡があります。

この吉武高木遺跡と、魏志倭人伝に紹介されている伊都国の遺跡である三雲南小路遺跡と平原遺跡の間に、飯盛神社で有名な飯盛山があります。

ちなみに平原遺跡は、「福岡県平原方形周溝墓出土品」の名称で国宝に指定されています。

魏志倭人伝に出てくる奴国が、この室見川流域にあったというのは、まだ仮説の域を出ないようですが、少なくともこの流域には、早良王国といわれるクニが存在したようです。

伊都国にも早良王国にも、重要な神域はあったでしょうし、これらのクニが今に続く大和朝廷のような国家に所属していたならば、福岡の東の方と変わらないような、有名な神社が数多く残っていたのかもしれません。

今でこそ、飯盛山の麓は、地下鉄と首都高ができて交通量がとても多いですが、つい15~20年くらい前は、原っぱと田んぼだけでしたし、それは昔から変わらなかったはずです。

吉武高木遺跡のようなクニがあった紀元前2世紀頃も同じ風景だったんだろうな、と飯盛山を見ながらたまに考えています。