マインドフルネス

この本で多くの方が、私も含めて、怒りに対応できればいいなと思います

先日ブログに、ティク・ナット・ハンさんの「怒り(心の炎の静め方)」(サンガ)を買ったことを書きました。

この本は、Amazonの書評などを見ると基本的に好評なのですが、ティク・ナット・ハンさん独特の詩的な語り口で書かれているので、戸惑っている方も多そうです。

確かに怒りを鎮める本にありがちな、人間の脳の性質など、医学的、科学的な根拠を元に書かれている本ではないので、本当にここに書かれている仏教的なエピソードを真似るだけで、本当に怒りが静まるのか疑問に思われる方もいそうです。

このブログで何度か紹介しているのですが、私にはティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」と「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(共に野草社)という本に書かれている、「息を吸いながら○○、息を吐きながら○○」などと唱える呼吸の瞑想が、驚くほど効果がありました。

そのような経験をせずに冒頭の本を読んでも、内容に共感しにくかっただろうなと思います。

確かにところどころに呼吸の瞑想や歩く瞑想が出てきますが、実践したことがなければ、ましてや効果を実感したことがなければピンと来ないと思います。

西洋の心理学や坐禅を長年やられた方の唯識仏教のやさしい解説です

岡野守也著「唯識で自分を変える」(すずき出版)という本を読んでいました。

プラユキ・ナラテボーさんの心理療法の実例を読んで感銘を受けたので、仏教と心理療法を組み合わせて書かれた本を何冊か読んでいます。

岡野さんは唯識仏教の専門家で、トランスパーソナル心理学を日本に紹介された方らしい。

論理療法やアドラー心理学と唯識仏教の統合などをテーマに本を書かれています。

そんな岡野さんの「唯識で自分を変える」の紹介文を見ると、「ごくふつうの市民が、大乗仏教の深層心理学ともいうべき「唯識心理学」を日常生活で実践し生かすためのやさしいワークブック」とのこと。

とても興味がわいたので注文してみました。

読んでみると、なるほど仏教を知らない若い人でも、無理なく唯識仏教のエッセンスを日常生活で生かせそうな内容です。

岡野さんのプロフィールを拝見すると、最初は牧師さんもやられていたようですが、主に心理学の研究者として執筆や講演などを中心に活動してこられたようです。

易とマインドフルネスを日々の生活を送るための拠り所にしています

今日も東京都と北九州市が新型コロナウイルスの感染者数で突出していました。

同じ福岡県に住む者としては、収束を願うばかりです。

インターネットを見ていると、コロナの影響で心の不調を訴える人が増えているという記事をよく見かけます。

これだけコロナの収束や経済の回復が見えない状況が続いていると、いつ自分が心の不調を訴える側になるか分かりません。

私も若かりし頃だったとはいえパニック障害を経験しましたので、本当にそう思います。

そんな中、芸能人やアーティストなどの方々が、人々を元気にするために動画をネットにアップされていますね。

一般の方もこれだけ自粛生活が長くなると、自分が何によって癒されるかが分かってきたんじゃないでしょうか。

私も日々の生活を振り返ってみると、そのようなことがいくつかあることに気が付きました。

このブログでも何度か書いていることです。

一つは易。

易を覚えるためにはやってみることが一番だと聞いたので、毎日「今日はどのような日になるでしょうか」と占って、その結果を解説書で検証したり実感したりしています。

例えば今日出た卦(か)は沢火革の四爻(こう)。

プラユキさんの心理療法がお坊さんのように感じなかった理由が分かりました

昨日ブログに、プラユキ・ナラテボーさんがカウンセリング的なことをやるとき、夢分析をされることもあるということを書きました。

また、「苦しまなくて、いいんだよ。」(Evolving)という本で「これからの仏教」を語る際、「影の統合」という心理学用語を使っていらっしゃいます。

そしてその二つがユングに関係しているように思える、ということをブログに書きました。

今日、藤田一照さんとの対談「仏教サイコロジー」(サンガ)を読んでいたら、次のような箇所がありました。

藤田 「今お聞きしたような夢の捉え方は、プラユキさん独特のものですか。西洋の深層心理学とか、夢分析の理論とかも勉強されていますか。」

プラユキ 「たしかにユングやフロイトも読んできました。それから河合隼雄さんの本は、かなり読みましたね。そうした学びの中で得た知見も援用しながら、自己流でやっています。」

・・・そうでしたか。

十日ほど前に、ブログに「ユング派の河合隼雄さんの心理療法と通じるところもあるようなので、こちらの方にも注目して読み進めてみたい」と書いたのですが、やはり河合さんのアプローチを参考にされていたんですね。

仏教と臨床心理分野との連携で新しい体系が生まれてくることを期待しています

今日プラユキ・ナラテボーさんの「苦しまなくて、いいんだよ。」(Evolving)を読み終わりました。

最初、魚川祐司さんとの対談「悟らなくたって、いいじゃないか」(幻冬舎新書)を読んで、プラユキさんは瞑想指導だけでなくカウンセリング的なこともやられているということを知りました。

なのでプラユキさんの著書、「自由に生きる」(サンガ)を読んでみたのですが、確かにA子さんという方に対する心理療法の克明な記録があります。

そしてこれがとても面白い。

しかもA子さんとともに、A子さんが見た夢の分析をされています。

夢分析といえばフロイトやユングが思い浮かびます。

フロイトといえば性的なものに関連付けられると思いますが、プラユキさんのアプローチを見ると、クライアントと一緒に考えるユングのものに近いような気がします。

さらに冒頭の「苦しまなくて、いいんだよ。」の最後の章、「付記 これからの仏教」には次のような記述があります。

瞑想をする人が増えるのに伴い上座仏教に関する情報も増えて行くと思います

片山一良著「パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ―『大念処経』を読む」(大法輪閣)を読み終わりました。

片山さんは曹洞宗のお坊さんということもあり、大乗仏教や禅の資料も含め解説されていますので、凄まじい術語の数です。

一割も理解できていないかもしれません。術語の理解のためにも数回読んでみるつもりです。

唯識など、他の仏教解説書に出てくる術語とも重なりますので、無駄にはならないと思います。

そもそも私は仏教の知識が圧倒的に不足しているので、理解できないのは仕方がありません。

唯識三十頌の世親(ヴァスバンドゥ)が説一切有部に所属していたときに著したアビダルマ倶舎論と、「『大念処経』を読む」でたびたび相応部の経典が参照されるのですが、その相応部のアビダルマとの関係など、分からないことばかり。

ただ、上座仏教やマインドフルネスなどに関する情報は近年知られるようになったので、分からないことが多いのはしょうがないところもある気がします。

「『大念処経』を読む」にしろ、ティク・ナット・ハンさんやプラユキ・ナラテボーさんの主な著作物にしろ、出版されたのは2000年以降のことですし。

新型コロナウイルスの影響で、心の安定を求める手段の一つとして瞑想をする人は増えると思います。

違う宗派どうしが影響しあって仏教が活性化しているんじゃないでしょうか

マインドフルネスの情報をインターネットで調べていたら、お坊さんたちが質問者の悩みなどに答える「hasunoha(ハスノハ)」というWebサイトを見つけました。

そのページには「独学で瞑想をしてもいいか」というような質問が。

それに対する回答が、以下のような文章から始まります。

「マインドフルネスのルーツですが仏教にあることは間違いありません。でも、それが日本の座禅なのか、ティクナットハンのマインドフルネスなのか、あるいはテーラワーダのヴィパッサナー瞑想なのか、その辺は混ざり合いがあって、どこにマインドフルネスのルーツがあるのかは、正確にはよくわかっていません。個人的には、ヴィパッサナー瞑想が一番近いかなと感じてます。」

回答された方は浄土宗のお坊さん。文中のティクナットハンさんはベトナムの臨済宗(禅宗)のお坊さん。

同じ質問に、別のお坊さんも回答しています。こちらは曹洞宗(禅宗)の方で、タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)とのこと。

面白いですね。

同じ仏教ではありますが、いろいろな宗派が登場します。

日本テーラワーダ仏教協会が設立されたのは1994年とのことですので、そう古い話ではありません。

プラユキさんのお寺での活動から仏教心理療法の可能性を感じています

プラユキ・ナラテボーさんの「自由に生きる」(サンガ)を読んでいます。

この本ではプラユキさんがなぜ僧侶になられたかや、ご住職を務めるタイのスカトー寺での活動などが紹介されています。

お寺では主に瞑想指導をされていますが、職場の人間関係に悩んだり、うつや不眠といった心に傷を負った日本人を受け入れて、心理療法のようなこともされているようです。

その例として、日本人女性A子さんがどのように心を回復されていったかがつづられています。

「悟らなくたって、いいじゃないか」(幻冬舎新書)を読んだときにも感じたのですが、プラユキさんは抜苦与楽(苦しみを抜き楽を与える)を信条とされるとてもやさしい方です。

テーラワーダのお坊さんなので、ただひたすら解脱のために厳しい修行に励んでいらっしゃるイメージだったのですが。

プラユキさんご自身も最初はそのように思っていらっしゃったそうで、最初に指導を受けたサナーン師という方から、次のような実情を告げられています。

芸術作品の創作と瞑想との相性について興味深い指摘がありました

プラユキ・ナラテボーさんと魚川祐司さんの対談「悟らなくたって、いいじゃないか」(幻冬舎新書)を読んでいたら、最後の方に興味深い指摘がありました。

横尾龍彦さんという画家の方が、五十代に入って精神的な悩みを抱えていたので、禅の山田耕雲老師に参禅修行を願い出たところ、山田老師から「絵が描けなくなるよ」といわれたとのこと。

「それでもいいです」ということで禅をやられたら、実際に描けなくなった、と。

以下、そのことに関する魚川さんの見解の抜粋です。

「「心に生じてくる想念を、価値判断を差し挟まずに観察して、それにはまり込まない」ということは、浮かんでくる創作上のイメージに関しても、それを追いかけて没入するという行為をいったん停止するということです。そういうマインドフルな心のあり方が常態化すれば、創作に際して対象のイメージに人格の全てを集中して、それを展開させるという、ある種の芸術制作には必須の精神的なモードは、起動させにくくなるでしょう。」

横尾さんは「見性(禅における、一種の「悟り」体験)を認められるところまで修行を進めた」そうなので、禅や瞑想をすると誰もが絵を描けなくなるわけではないのだと思います。

プラユキさんは相談者の夢を聴いて心理療法的なこともやられているようです

先日、プラユキ・ナラテボーさんと魚川祐司さんの対談「悟らなくたって、いいじゃないか」(幻冬舎新書)を注文したことを書きました。

今日届いたのでサッと目を通してみたら、これがものすごく面白い。

面白いところがたくさんあるので、一通り読んだら整理して、そのうちブログに書いてみようと思います。

ちなみにこの本の中から一つだけ。プラユキさんのお寺では、瞑想指導だけでなくカウンセリング的なこともやってらっしゃるのだとか。

何でも相談者の夢を聴いてカウンセリングに応用するという、心理療法的なこともやられているらしい。

以下、抜粋です。

「最近は臨床心理士の資格を持っている僧侶の方も増えてきたようですし、それこそ「マインドフルネス」の流行との関係で、心理療法と仏教のコラボレーションは、むしろ普通のことになってきているんじゃないかな。私も最近カウンセラーやフォーカシングの先生とのコラボ講座とかやってるよ。」

へぇー、そうなんですか。

プラユキさんの他の書籍を調べてみると、「自由に生きる」(サンガ)という本の紹介文に、「認知行動療法の心療内科医・熊野宏昭氏との対談を収録」なんて書いてあります。