マインドフルネス

「瞑想難民」なる言葉を知ったので瞑想を勧めることにも慎重になろうと思います

このブログで何回か書いていますが、私は瞑想をすると心が落ち着きます。

瞑想といってもそんなにストイックなものではなく、ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」と「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(共に野草社)という本を参考に、「息を吸いながら○○、息を吐きながら○○」などと唱えながら呼吸をするだけです。

コロナの緊急事態宣言によって外出自粛が長引いているせいで、心が疲弊している人が増えているようなので、瞑想はいいものですというようなことを書いた記憶があります。

そんな中、今日「瞑想難民」なる言葉を知りました。

プラユキ・ナラテボーさんと魚川祐司さんの対談「悟らなくたって、いいじゃないか」(幻冬舎新書)に出てくるようで、何でも昨今の瞑想ブームのせいか、本格的な瞑想をやったが思い通りの効果が得られずに失望したり、精神状態を悪化させたりする人のことをいうらしい。

あれま、そうなんですか。無責任に瞑想を勧めてはいけないかもですね。

ちょっと心配になったので、その「悟らなくたって、いいじゃないか」という本を注文しました。

自分の場合瞑想を始めたのは、ずいぶん昔に坐禅の入門書を買ってやってみたのが最初です。

大乗のお坊さんが上座仏教の視点を取り入れた唯識の解説書を読みたいです

先日ブログで、外出自粛の期間が長引くことにより、気分が落ち込んだりアルコール依存になったりする人が増えているので、自分もそうなる前にもう少し瞑想について学んでみたい、と書きました。

その一環として、片山一良著「パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ―『大念処経』を読む」(大法輪閣)を注文しました。

マインドフルネスの元となったヴィパッサナー瞑想の解説書。

著者の片山さんは曹洞宗のお坊さんなので、大乗仏教的な捉え方をされているよう。面白そうです。

そしてヴィパッサナー瞑想はアビダルマに沿って行うとのこと。アビダルマといえば唯識にも発展していくわけで、その点からも学んでみたかった理由の一つといえます。

そういえば以前読んだ「「マインドフルネス×禅」であなたの雑念はすっきり消える」(集英社)の著者、山下良道さんも曹洞宗のお坊さんで、テーラワーダの比丘(びく)として瞑想の修行をされた方。

この本の第一刷発行は2018年で、先の「パーリ仏典に・・・」の方は2012年。

大乗仏教のお坊さんが、上座仏教の瞑想の解説をされるようになったのは最近のことのようです。

ヴィパッサナー瞑想がこれほどメジャーになったのは、マインドフルネスが流行って以降のことだと思います。

非日常の期間が続きそうなので瞑想について学んでみようと思っています

五十代で易経や唯識仏教と出会ってずいぶん助けられたと思います。

易経は行動指針を示してくれますし、唯識仏教は心の仕組みを教えてくれます。

前者は二千年以上前に、後者は千五百年ほど前に成立し、今日まで生き抜いてきたものですから、行動指針にしろ心の仕組みにしろ、これ以上のものはないんじゃないかと思っています。

今までは易経と唯識仏教を学ぶことで十分満足していました。

ところがコロナによる緊急事態宣言で状況が変わりました。

外出自粛の期間が長引くことにより、気分が落ち込んだりアルコール依存になったりする人が増えているそう。

私は今は大丈夫ですが、そのうちそんな気分になってしまうかもしれません。

先日ブログに、私にはティク・ナット・ハンさんのマインドフルネスが向いているということを書きました。

「ブッダの〈気づき〉の瞑想」と「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(共に野草社)という本に書いてあるように、「息を吸いながら○○、息を吐きながら○○」などと唱えながら、呼吸の瞑想をするだけです。

呼吸の瞑想は一日二十分程度行っています。とても気分が落ち着きます。

そうなんですね。瞑想は実際に心に作用してくれるのです。

今の時期、心を落ち着かせるために私には効果があったことを書いてみます

昨年よりこのブログで、私にはティク・ナット・ハンさんのマインドフルネスが向いているということを書いてきました。

今もその思いは変わっていません。

ハンさんに出会ったのは「ブッダの〈気づき〉の瞑想」と「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(共に野草社)という本から。

日々新型コロナウイルスの件で心が疲弊しているのを感じますが、そのようなときでも、「息を吸いながら○○、息を吐きながら○○」などと唱えながら呼吸の瞑想をするだけで、ずいぶん心が落ち着きます。

私は昔から、坐禅入門や瞑想入門のような本を買っては試してきました。

そんな中で、私にはたまたまハンさんの上座仏教の瞑想が向いていたということですね。

もちろん、どれに効果があるかは人によって違うと思いますが、ゆったりとした呼吸を行う方法のものは、どれも心を落ち着けてくれることだけはいえると思います。

Yahoo! JAPANのような情報ポータルサイトを見ていると、コロナ関連の情報に加えて、心の癒し系の情報も増えているように感じます。

それだけ多くの方が、多かれ少なかれ不安な状態でいるということなのでしょう。

先程、コロナ関連のニュースに対するたくさんのコメントを読んでいてそう思いました。

道元禅師の説く「絶対肯定・全肯定の思想」をちゃんと理解したいと思います

岡野守也さんの「道元のコスモロジー―『正法眼蔵』の核心」(大法輪閣)を少しずつ読んでいます。

唯識仏教の本を何冊も出版されている岡野さんなので、いつか読みたいと思っていたのですが、マインドフルネスストレス低減法のジョン・カバット・ジンさんが曹洞宗の開祖、道元さんに影響を受けたと聞いて注文していたのです。

本の帯には次のように書かれています。

「道元思想の核心は、世界・宇宙のすべてが一体であり、根源的に肯定されているという「全肯定・絶対肯定の思想」にある。」

う〜ん、何だか凄そうです。

本の内容は数回読まなければ理解できないと思いますが、「第二章 道元倫理学の完成ー「諸悪莫作」の巻」で次のような文章のあと、その思想の詳しい説明に入って行きます。

「それに対して道元は、善や悪がありありと実体的に生起しているという常識に反して、もっとも深い真理のレベルで言うと、善も悪も無記もすべて生起しないのだ、すべてのことは「無生」であり、根源的には「無漏」つまり清らかであり、「実相」つまりありのままで真実だ、と言う。 (中略) この世で起こることすべてに対する絶対肯定・全肯定である。」

易とユングに関する本とマインドフルネスと唯識に関する本を見つけてしまいました

Wikipediaの「仏教心理学」という項目を見ていたら、河合隼雄さんや秋山さと子さんがユングと禅の関係について日本に紹介した、との一文がありました。

この秋山さと子さんという方はユング派の心理学者。ご実家が曹洞宗のお寺のようで、数多くの本を出版されています。

その中に「占いとユング心理学―偶然の一致はなぜ起こるのか」(KKベストセラーズ)という本を発見。

タイトルの「占い」というのは易のことのようです。

何でもユングがシンクロニシティーを理解するために、易に傾倒して行った経緯なども書かれているらしい。

ユングと易がテーマの本は持っていませんし、何より著者が仏教をバックボーンにされている方なのでとても興味があります。

それに易の卦(か)や爻(こう)について、今はいろいろな人の解釈を知りたいところなのです。

そしてさらにWikipediaで「マインドフルネス」を見ていたら、ジョン・カバット・ジンさんが始めたマインドフルネスストレス低減法の基本理念が、道元禅師の曹洞宗とのこと。

本当ですか・・・。

唯識仏教のお坊さんたちは呼吸によるマインドフルネスをしていたかもしれません

一昨日からブッダダーサ比丘著「呼吸によるマインドフルネス」(サンガ文庫)を読んでいることを書いていますが、今日ご本人が講義された部分を読み終わりました。

この本は、経典アーナパーナサティ・スッタによる瞑想の教本です。

圧巻は心の構造や心の状態が詳細に語られていること。この瞑想では心はこのようになる、ということが延々と解説されています。

唯識仏教の経典の解説を読んでいるような感覚になりました。

唯識仏教の正式名称は「瑜伽行(ゆがぎょう)唯識派」。瑜伽=ヨガを実践しながら唯識の体系をまとめ上げた宗派です。

フロイトより1500年くらい前に、意識などの表層心理の下に末那(まな)識と阿頼耶(あらや)識という深層心理領域が存在すると説いたため、仏教の深層心理学ともいわれています。

しかし、その肝心の「瑜伽」というのが、実際にはどのようなことをしていたかよく分かっていない、ということを以前読んだことがあります。

そこで冒頭の「呼吸によるマインドフルネス」です。

瑜伽行派のお坊さんたちは、ブッダダーサさんが書かれている瞑想のようなこともやっていたのではないでしょうか。

坐禅と同じようにヴィパッサナー瞑想のことも知られるようになるといいと思います

昨日はテーラワーダ仏教のお坊さんが解説するヴィパッサナー瞑想の本を読みたくて、マハーシ・サヤドー著「ヴィパッサナー瞑想」とブッダダーサ比丘著「呼吸によるマインドフルネス」(共にサンガ文庫)を注文したことを書きました。

どちらも瞑想の修行法が詳細に書かれているのですが、「ヴィパッサナー瞑想」の方は別冊に「上級編」があるので、私が注文した方は入門編にあたるのだと思います。

「呼吸によるマインドフルネス」の方は、経典であるアーナパーナサティ・スッタ全文が解説されています。

どちらも初めて聞く修行法ばかりです。

日本のお坊さんが書いた坐禅の入門書は何冊か読んだことがあるのですが、上座仏教の瞑想とは内容がまったく違います。

紀元前後に大乗仏教が興ってから別々に発展して行ったので、内容が異なるのは当たり前なのでしょうが、同じ仏教なのに不思議なものだなぁと思います。

坐禅や禅宗のことは、子供の頃からテレビや雑誌などで目にする機会もあるでしょうから、日本人ならある程度どういうものか知っていますよね。

一方で上座仏教やヴィパッサナー瞑想のことは、アルボムッレ・スマナサーラさんのような方の活動によって知られてきたとはいえ、まだまだ知らない人は多いんじゃないでしょうか。

テーラワーダのお坊さんが解説する気づきと呼吸の瞑想も参考にしたいと思います

先日よりブログに、ティク・ナット・ハンさんの瞑想が私にはとても合っているということを書いています。

具体的には「ブッダの〈気づき〉の瞑想」と「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(共に野草社)という本です。心がとても落ち着くので毎日少しずつやっています。

ティク・ナット・ハンさんは、Google本社などでマインドフルネスの指導を行った世界的にも有名な方。ベトナムの臨済宗のお坊さんだけあって、日本人にも親しみやすい語り口です。

ただ気になっていたのは、マインドフルネスはテーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想に端を発していること。

なのでテーラワーダ仏教のお坊さんが解説する、気づきの瞑想と呼吸の瞑想の本も読んでみたいと思っていました。

ちなみに先ほどの「気づきの瞑想」はサティパッターナ・スッタ=四念処経、「呼吸の瞑想」はアーナパーナサティ・スッタという経典を解説したものです。

調べてみると本はすぐに見つかりました。

マハーシ・サヤドー著「ヴィパッサナー瞑想」とブッダダーサ比丘著「呼吸によるマインドフルネス」(共にサンガ文庫)。後者は「瞑想初心者のためのアーナーパーナサティ実践マニュアル」という副題が付いています。

早速注文して少しずつ読み進めています。

唯識仏教をもとに瞑想を解説するアプローチにちょっと感動しています

ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(野草社)という本に書いてあった瞑想法がとてもよかったので、瞑想以外の本も読んでみたくなって、「死もなく、恐れもなく」(春秋社)という本を買って読んでいました。

縁起のことや無常のことなど、仏教の知識についてとても分かりやすく書かれています。

パラパラとページをめくっていたら、「走るという習気(じっけ)」という題の文章がありました。

ティク・ナット・ハンさんがインドに行ったときの話で、旅のガイドの方が低い身分だったため、怯えるように行動していたというのです。

「このような生活をつづけていくと不安という習気が巨大化していく。」

「習気」は唯識仏教のことばですね。

意識などの活動は潜在意識の阿頼耶識に刻印(熏習(くんじゅう))されるのですが、そのことが竹村牧男著「知の体系」(佼成出版社)には次のように説明されています。

「その、阿頼耶識に熏習されたものを、熏習された気分ということで、習気と呼びます。その刹那滅の相続の中で、絶えず次の現在の阿頼耶識に伝えられていくわけです。」

そしてその習気が、次の活動に影響を与えることになる。だからこそ、そのような習気を将来に伝えていく必要などないのですね。