マインドフルネス

易とユングに関する本とマインドフルネスと唯識に関する本を見つけてしまいました

Wikipediaの「仏教心理学」という項目を見ていたら、河合隼雄さんや秋山さと子さんがユングと禅の関係について日本に紹介した、との一文がありました。

この秋山さと子さんという方はユング派の心理学者。ご実家が曹洞宗のお寺のようで、数多くの本を出版されています。

その中に「占いとユング心理学―偶然の一致はなぜ起こるのか」(KKベストセラーズ)という本を発見。

タイトルの「占い」というのは易のことのようです。

何でもユングがシンクロニシティーを理解するために、易に傾倒して行った経緯なども書かれているらしい。

ユングと易がテーマの本は持っていませんし、何より著者が仏教をバックボーンにされている方なのでとても興味があります。

それに易の卦(か)や爻(こう)について、今はいろいろな人の解釈を知りたいところなのです。

そしてさらにWikipediaで「マインドフルネス」を見ていたら、ジョン・カバット・ジンさんが始めたマインドフルネスストレス低減法の基本理念が、道元禅師の曹洞宗とのこと。

本当ですか・・・。

唯識仏教のお坊さんたちは呼吸によるマインドフルネスをしていたかもしれません

一昨日からブッダダーサ比丘著「呼吸によるマインドフルネス」(サンガ文庫)を読んでいることを書いていますが、今日ご本人が講義された部分を読み終わりました。

この本は、経典アーナパーナサティ・スッタによる瞑想の教本です。

圧巻は心の構造や心の状態が詳細に語られていること。この瞑想では心はこのようになる、ということが延々と解説されています。

唯識仏教の経典の解説を読んでいるような感覚になりました。

唯識仏教の正式名称は「瑜伽行(ゆがぎょう)唯識派」。瑜伽=ヨガを実践しながら唯識の体系をまとめ上げた宗派です。

フロイトより1500年くらい前に、意識などの表層心理の下に末那(まな)識と阿頼耶(あらや)識という深層心理領域が存在すると説いたため、仏教の深層心理学ともいわれています。

しかし、その肝心の「瑜伽」というのが、実際にはどのようなことをしていたかよく分かっていない、ということを以前読んだことがあります。

そこで冒頭の「呼吸によるマインドフルネス」です。

瑜伽行派のお坊さんたちは、ブッダダーサさんが書かれている瞑想のようなこともやっていたのではないでしょうか。

坐禅と同じようにヴィパッサナー瞑想のことも知られるようになるといいと思います

昨日はテーラワーダ仏教のお坊さんが解説するヴィパッサナー瞑想の本を読みたくて、マハーシ・サヤドー著「ヴィパッサナー瞑想」とブッダダーサ比丘著「呼吸によるマインドフルネス」(共にサンガ文庫)を注文したことを書きました。

どちらも瞑想の修行法が詳細に書かれているのですが、「ヴィパッサナー瞑想」の方は別冊に「上級編」があるので、私が注文した方は入門編にあたるのだと思います。

「呼吸によるマインドフルネス」の方は、経典であるアーナパーナサティ・スッタ全文が解説されています。

どちらも初めて聞く修行法ばかりです。

日本のお坊さんが書いた坐禅の入門書は何冊か読んだことがあるのですが、上座仏教の瞑想とは内容がまったく違います。

紀元前後に大乗仏教が興ってから別々に発展して行ったので、内容が異なるのは当たり前なのでしょうが、同じ仏教なのに不思議なものだなぁと思います。

坐禅や禅宗のことは、子供の頃からテレビや雑誌などで目にする機会もあるでしょうから、日本人ならある程度どういうものか知っていますよね。

一方で上座仏教やヴィパッサナー瞑想のことは、アルボムッレ・スマナサーラさんのような方の活動によって知られてきたとはいえ、まだまだ知らない人は多いんじゃないでしょうか。

テーラワーダのお坊さんが解説する気づきと呼吸の瞑想も参考にしたいと思います

先日よりブログに、ティク・ナット・ハンさんの瞑想が私にはとても合っているということを書いています。

具体的には「ブッダの〈気づき〉の瞑想」と「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(共に野草社)という本です。心がとても落ち着くので毎日少しずつやっています。

ティク・ナット・ハンさんは、Google本社などでマインドフルネスの指導を行った世界的にも有名な方。ベトナムの臨済宗のお坊さんだけあって、日本人にも親しみやすい語り口です。

ただ気になっていたのは、マインドフルネスはテーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想に端を発していること。

なのでテーラワーダ仏教のお坊さんが解説する、気づきの瞑想と呼吸の瞑想の本も読んでみたいと思っていました。

ちなみに先ほどの「気づきの瞑想」はサティパッターナ・スッタ=四念処経、「呼吸の瞑想」はアーナパーナサティ・スッタという経典を解説したものです。

調べてみると本はすぐに見つかりました。

マハーシ・サヤドー著「ヴィパッサナー瞑想」とブッダダーサ比丘著「呼吸によるマインドフルネス」(共にサンガ文庫)。後者は「瞑想初心者のためのアーナーパーナサティ実践マニュアル」という副題が付いています。

早速注文して少しずつ読み進めています。

唯識仏教をもとに瞑想を解説するアプローチにちょっと感動しています

ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(野草社)という本に書いてあった瞑想法がとてもよかったので、瞑想以外の本も読んでみたくなって、「死もなく、恐れもなく」(春秋社)という本を買って読んでいました。

縁起のことや無常のことなど、仏教の知識についてとても分かりやすく書かれています。

パラパラとページをめくっていたら、「走るという習気(じっけ)」という題の文章がありました。

ティク・ナット・ハンさんがインドに行ったときの話で、旅のガイドの方が低い身分だったため、怯えるように行動していたというのです。

「このような生活をつづけていくと不安という習気が巨大化していく。」

「習気」は唯識仏教のことばですね。

意識などの活動は潜在意識の阿頼耶識に刻印(熏習(くんじゅう))されるのですが、そのことが竹村牧男著「知の体系」(佼成出版社)には次のように説明されています。

「その、阿頼耶識に熏習されたものを、熏習された気分ということで、習気と呼びます。その刹那滅の相続の中で、絶えず次の現在の阿頼耶識に伝えられていくわけです。」

そしてその習気が、次の活動に影響を与えることになる。だからこそ、そのような習気を将来に伝えていく必要などないのですね。

私にはティク・ナット・ハンさんのマインドフルネスがとても向いているようです

昨日は易経の「艮為山(ごんいさん)」という卦(か)のお話をしました。

河村真光著「易経読本」(光村推古書院)の解説によると「世の事象がいかに目まぐるしく動いても、己の心さえ艮(とど)まるべき処に止まっていたら、振り回されることも、また迷うこともない」というもの。

仏教のお坊さんがいっているようでもあり、私はとても好きな卦です。

しかし一方で、実際に怒りがわいたり悲しみに沈んだりしたときは、心の状態を何とかしたいので、易経の知恵で解決できるかといえばちょっと違うような気がします。

易経や陰陽五行は、世の中の仕組みや人間の資質などを知るには最適だと思っています。

心の方は、若い頃に神経症で悩んでいたとき、坐禅の本を買ってきて坐禅の真似事をしたのですが、そのときは効果がありそうだと思ったものの、そのあとが続きませんでした。

数年前には瞑想入門を買ってきて、こちらは細々と続けています。

そして先日、ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」と「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(共に野草社)という本を買ってきて試したところ、私にはこれがとても効くようなんですね。

「息を吸いながら○○、息を吐きながら○○」などと唱えながら呼吸の瞑想をするだけです。

易経にも仏教のマインドフルネスに通じるところがあるように感じています

易経を覚えるために、毎日「どのような日になるでしょうか」と占って、出た結果の解説を読んでいます。

今日出たのは「艮為山(ごんいさん)」。

卦辞には「其の背に艮(とど)まりて、其の身を獲ず。其の庭に行きて、其の人を見ず。咎なし。」とあります。

この卦は艮(ごん)卦が上下に並んでいる純卦といいます。

このような上下が同一の純卦は他に七つあるのですが、それらには四徳といわれるめでたい徳性のどれかが備わっているのに、この艮為山だけは一つもありません。

本田濟著「易」(朝日選書)はその理由について、清の王夫之の説明を紹介しています。

「それは我を忘れ人を忘れるという、この卦の心境が、ともすれば老荘のような逃避的退嬰的態度に陥る危険があるからだ、と。」

それでも、朱子が「最も好(よ)き卦」というように、私も過去にこの卦が出たときは何だか共感できる気がしていました。

今回、先日購入した河村真光著「易経読本」(光村推古書院)の解説を見て、その理由が分かりました。

易と仏教の本で似た記述を見つけた話、その2です

一昨日ブログに、易は「吉か凶か」ではなく「吉凶併せ持つのが人生」という発想のようだと書きました。

凶だと思っていた卦(か)が、河村真光著「易経読本」(光村推古書院)という本に、「そうではない」と解説されていたんですね。

「卦辞の「維れ心亨る」は、険難も真っ向から取り組めば、誠意は必ず天に聞き届けられると太鼓判を押し」ている。「人は生きている限り、災禍は誰の上にも等しく、しかも正確無比に降りかかるものと、日頃から腹をくくっておくべきである」、というように。

逆境のときも含めて人生であること、さらにいえば、その逆境をさえ前向きに利用しようという発想があるようなのです。

そして数日前にも書きましたが、河村さんの本と同時に読んでいるティク・ナット・ハンさんの本にも、似たような記述があるんですね。

今日、ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈今を生きる〉瞑想」(野草社)を読んでいたら、そのような箇所がありました。

この本は三つの経典について解説しているのですが、その中の一つ、「大いなる人の八つの悟り(仏説八大人覚経)」について、ハンさんが日常の中で応用できるように十一のガイドラインを作成されています。以下、その十一番目からの抜粋です。

唯識の各心所を見つめていい変化をもたらしてくれる瞑想が書いてありました

先日ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」(野草社)という本に、大乗仏教の唯識のことが触れられていると書きました。

例えば「欲求を観察する」というエクササイズがあること、ブッダのお弟子さんがそのエクササイズを行うことで無欲な生き方をするようになったこと、唯識学派には十一の善の心所があり、その中の無貪というのが無欲にあたる、というようなことです。

今まで、唯識をどうやって生活に活かせばいいのかよく分からなかったのですが、ティク・ナット・ハンさんの本を読むとそのヒントが得られそうな気がしてきました。

そこで同じ出版社の「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」という本を注文してみました。

すると、さらに具体的な方法が書いてある箇所がありました。「第三節 四種の気づきの確立(四念処)」の中。以下、抜粋です。

瞑想の説明に対応して唯識の解説がされているので唯識を生活に活かせそうです

昨日は、マインドフルネスの普及活動を行っているベトナムの僧、ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」(野草社)のことを書きました。

大乗仏教の方なので、この本にはたびたび唯識のことも触れられています。

例えば、「欲求を観察する」というエクササイズには、「何かを欲しいと思うとき「心は欲しがっている」と気づき、欲しいと思わないとき「心は欲しがっていない」と気づく。」から始まって、「憎んでいる/憎んでいない」、「緊張している/緊張していない」・・・のように、いろいろな心の状態を観察する瞑想のことが書かれています。

そしてバッディーヤというブッダのお弟子さんが、このような瞑想によって無欲な生き方をするようになり、幸福と平安を味わったというエピソードが語られています。

最後には「唯識学派では、「無欲」-----あるものを切望する欲求の不在-----を十一の健全な思いの形成のひとつにあげています。」という説明とともに、脚注にその十一種類の内容と「このうちで無貪が無欲にあたる。」という解説があります。

これは唯識の善の心所のことですね。

私は唯識の解説書を読むたびに、その緻密な理論体系に圧倒されるのですが、それをどうやって生活に活かせばいいのかは、今ひとつ分からないでいました。