唯識仏教をもとに瞑想を解説するアプローチにちょっと感動しています

ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(野草社)という本に書いてあった瞑想法がとてもよかったので、瞑想以外の本も読んでみたくなって、「死もなく、恐れもなく」(春秋社)という本を買って読んでいました。

縁起のことや無常のことなど、仏教の知識についてとても分かりやすく書かれています。

パラパラとページをめくっていたら、「走るという習気(じっけ)」という題の文章がありました。

ティク・ナット・ハンさんがインドに行ったときの話で、旅のガイドの方が低い身分だったため、怯えるように行動していたというのです。

「このような生活をつづけていくと不安という習気が巨大化していく。」

「習気」は唯識仏教のことばですね。

意識などの活動は潜在意識の阿頼耶識に刻印(熏習(くんじゅう))されるのですが、そのことが竹村牧男著「知の体系」(佼成出版社)には次のように説明されています。

「その、阿頼耶識に熏習されたものを、熏習された気分ということで、習気と呼びます。その刹那滅の相続の中で、絶えず次の現在の阿頼耶識に伝えられていくわけです。」

そしてその習気が、次の活動に影響を与えることになる。だからこそ、そのような習気を将来に伝えていく必要などないのですね。

ティク・ナット・ハンさんのこの本には、呼吸による瞑想によって、このような習気を変えていく方法も書かれています。

私は仏教色のない瞑想入門や唯識仏教の解説本は持っているのですが、唯識仏教をもとに瞑想を解説している本は初めてです。

唯識仏教へのこのようなアプローチがあることに、ちょっと感動しています。