プラユキさんのお寺での活動から仏教心理療法の可能性を感じています

プラユキ・ナラテボーさんの「自由に生きる」(サンガ)を読んでいます。

この本ではプラユキさんがなぜ僧侶になられたかや、ご住職を務めるタイのスカトー寺での活動などが紹介されています。

お寺では主に瞑想指導をされていますが、職場の人間関係に悩んだり、うつや不眠といった心に傷を負った日本人を受け入れて、心理療法のようなこともされているようです。

その例として、日本人女性A子さんがどのように心を回復されていったかがつづられています。

「悟らなくたって、いいじゃないか」(幻冬舎新書)を読んだときにも感じたのですが、プラユキさんは抜苦与楽(苦しみを抜き楽を与える)を信条とされるとてもやさしい方です。

テーラワーダのお坊さんなので、ただひたすら解脱のために厳しい修行に励んでいらっしゃるイメージだったのですが。

プラユキさんご自身も最初はそのように思っていらっしゃったそうで、最初に指導を受けたサナーン師という方から、次のような実情を告げられています。

「タイではずっと寺は村の中心だった。仏教の行事を営む以外にも、お寺は村人たちの集会所として用いられていたし、また何か問題が起こったら村人はお寺に相談に来た。すなわちよろず相談所でもあったんだ。子どもたちの読み書きを習う学校でもあり、本が読める図書館でもあった。それから寺には仏伝をもとにしたいろんな絵画が描かれ、美術館としても親しまれていた。誰でもが泊まれるゲストハウスといった施設の機能も果たしていた。そして、寺の主である僧侶は、村のリーダーとして、村人の物心両面にわたる良き指導者でもあったんだ」

私が持っていたテーラワーダ仏教のイメージとぜんぜん違います。

そのような環境の中で、A子さんも回復されていったわけです。

マインドフルネスという言葉自体がテーラワーダから来たようですし、プラユキ・ナラテボーさんのお寺での活動から、仏教心理療法の大きな可能性を感じています。