持って生まれたもの

テレビを見ていて本物のタレントさんっているんだなと思いました

今日、夕食を食べながらテレビを見ていたら、TVQの番組「ちょっと福岡行ってきました!」に榊原郁恵さんと柴田理恵さんが出演されていました。

最初の訪問地は何と福岡市早良区。私の地元です。

とはいっても私が住んでいる南の方ではなく、開けている北の方、海側でロケをされていました。西南学院大学や福岡タワーのある付近です。

西新商店街で食されていた蜂楽(ほうらく)饅頭は、私も子供の頃よく食べていました。懐かしい・・・。

そのあとは宗像市や北九州市戸畑区に移動されました。

この番組は私の親もたまに見ることがあって、自宅に近い場所や昔住んでいたゆかりのある場所だったりすると面白がっているのですが、そうでない場所であればチャンネルを変えることが多いです。

ところが今日は、最後まで面白がって見ていたんですね。

珍しいこともあるなと思っていたのですが、考えてみるとタレントさん二人が親でも知っている有名人だという理由が大きいように感じました。

昔から芸能界で活躍されていて、今でもテレビでよく見ます。

浮き沈みの激しい芸能界でこれだけ第一線に居続けられるということは、やはり特別なオーラがあるんだと思います。

自宅で仕事が続けられているということは仕事が向いているのだろうと思います

昨日は起業して自宅を事務所にすると、いろいろな誘惑に負けて仕事に集中することが難しいという記事を読んで、私の知人も同じように考えている人は多いが、自分には当てはまらないというお話をしました。

もちろんそれはその人の性格にもよるでしょうが、業種にもよると思います。

私はいくつかのゲーム開発会社でディレクションをしていたのですが、プログラマーやグラフィックデザイナーの中には、集中したいとき自宅でやりたいという人もいました。

きっちり仕事をしてくれるので好きにしてもらったのですが、これなんて一人でできる業種ならではですよね。

昨日の私が席を置かせてもらっていたデザイン事務所の人は、広告などを手がけるデザイナーでしたので、引っ切り無しに代理店の人が来て打ち合わせをしていました。

こういう人の場合は、同じグラフィックデザイナーでも、交通の便のいいところに事務所を借りる必要があるのでしょう。

昨日読んだ記事にも、自宅で上手く行かなかった人がコワーキングスペースに移って上手く行くようになった、と書いてありましたが、コワーキングスペースによっては、同じビル内にあるミィーティングルームを借りられたりしてとても重宝します。

自宅で仕事をしていても誘惑に負けないというか誘惑自体があまりない人もいます

インターネットを見ていたら、起業をして自宅を事務所にすると、どうしても自分を甘やかしてしまって仕事が上手く行かなくなる、という記事を見つけました。

私の知人が事務所代が負担だという理由で地元に引っ込んだり、安い事務所に変わったりしたところだったので、事務所をどこにするかで悩んでいる人は多いのかもと考えてしまいました。

その記事によると、自宅だとついゴロンと横になったりいろいろな誘惑に負けて仕事をサボったり、仕事とプライベートの区切りがつかずに体調を崩したりと、マイナス面が示されています。

10年くらい前だと思いますが、今ではかなり社員を抱えているIT起業の社長さんが、まさにこの記事と同じようなことをおっしゃっていたのを思い出しました。

そのときは「そういうものかなぁ」くらいにしか感じなかったのですが、周りで自宅を事務所にして仕事をしているのは私以外あまりいないので、やっぱりほとんどの人はそうなんだろうと思います。

私も独立した直後は同じようなことを考えて、知人のデザイン事務所の一角に机を置かせてもらったこともあるのですが、休日も自宅で同じように仕事をしていたので、自分の場合はどこが事務所でもあまり変わらないと感じていました。

情熱を持って取り組めることと年を取ってもできる仕事が両立すればいいのですが

先日より、バイクのツーリングクラブにいたときのコアメンバーやクラシック音楽愛好家の知人の話から、彼らのバイクや音楽に対する愛情には敵わないこと、私はこれからの人生どんなことに時間を使って行くのか考えてしまったこと、などを書いています。

年を取ってもできるだけ長く働かなくてはと思っているのですが、それを考えると、好きで長く続けたいことと仕事に繋がることが一致しているのが望ましいとは思います。

以前、野村克也元監督がある本の中で、野球には飽きない、毎日新しい発見がある、というようなことをおっしゃっていたと書きました。

野村さんは80代ですが、彼の野球解説を聞きたい人はたくさんいるでしょうから、まだまだ仕事はあります。

最高の人生ですよね。

サッカーでは、元プロサッカー選手のセルジオ越後さんも同じようなポジションですよね。いつもサッカーに対する情熱を感じます。

うらやましい限りです。

しかしこのような方々は現役の頃から一流で、解説者としても定評があるわけで、そう簡単になれるものではありません。

市民オーケストラに所属している知人がいて、コンサートを見に行ったりすると、うらやましいなと思うこともあります。

情熱を持って取り組んでいる人たちのことを思い出していました

昨日はバイクのツーリングクラブに入っていたときのことを書きました。

30代の初めに体を壊して、数年後に回復はしつつあるけど仕事もプライベートも迷っていた時期に、違う世界を経験してみようと参加したのです。

その他に、先生に就いてゴルフを習ったりもしましたが、数年続いたのはツーリングでした。

しかし今にして思えば、バイクやツーリングにかける情熱は、コアのメンバーほどにはありませんでした。

そんなことを思い出したのは、まったくジャンルが違うのですが、カラヤンの生誕110年を記念して、1975~7年にベルリンフィルと録音したベートーベン交響曲全集が発売されると聞いたからです。

なんでもSA-CDシングルレイヤーという、とても音のいい規格だとか。

録音当時私は中学生で、クラシック音楽の知識がなかったものですから、LPを買うときは雑誌を参考にするのですが、おススメ版としてカラヤンばかり紹介されていた記憶があります。

当時はカラヤンの全盛期でとても人気がありました。

知人に古典からロマン派にかけてのクラシック音楽好きが数人いて、二十歳くらいのときから知っていますが、30年以上経った今でも変わらず好きなようです。

便利なものに対しては自分に合ったレベルで無理せず関わって行くしかないと思います

昨日は、その時代その時代に便利なものは存在し、それを探し出して活用する人は年齢に関係なくいたと思う、ということを書きました。

現代でいえば、検索を始めとするインターネットのツールを駆使して、時代のトレンドを上手に追いかけている人たちがいます。

一方で、そんなツールを駆使するところまで行かなくても、それを駆使して時代の先端を走っている人を追いかける人、というパターンもありますね。

私は調べたいものがあるときに調べるというごく普通の活用レベルですが、中には調べたいものがあってインターネットを活用できる環境があるにもかかわらず、それをしない方も確かにいらっしゃいます。

そのような方はパソコンやインターネットをあまり使わず、それらを活用しなくても特に困らないような仕事や生活をされているのかもしれません。

インターネットがない時代は、例えばCやJAVAの勉強をしようにも、ちょっとコードを書けば構文が間違っていてエラーになるので、いつまで経っても解説書が手放せず、プログラマーってすごいなと思ったものです。

便利なものはどんな時代にもあり、それを活用する人は年齢に関係なくいたのでしょう

ゴールデンウィークに帰省した同級生と飲んでいて、別の店に行こうという話になってスマホで調べました。

このようなときは当然のようにスマホを使っていますが、スマホが一般的になる十数年前まではこのような光景はなかったんですよね。

今回実際に使ったのは、スマホというよりインターネットですが。

そんなことを考えていたら、インターネットがない時代のことを思い出しました。

その時代で先ほどの状況ではグルメガイドを見るのかな。

普段は本なんか持ち歩かないので、当時だったら店を出て記憶を頼りに別の店を探し始めたと思います。

本を持って行くのは旅行ですね。

以前は旅行ガイドブックを持って行って、その土地の名所や名物を調べていました。

ずいぶん昔に両親と旅行に行ったときに、ガイドブックを持って行ったことがあるのですが、両親はそんな本があることに感心していました。

「地球の歩き方」や「るるぶ」のような本が書店に氾濫しだしたのは1980年代だったような気がしますので、両親が若い頃はそのようなガイドブックを持って旅行するような習慣はなかったのかもしれません。

とはいうものの、若い頃に存在しなかったとしても、買おうと思えば誰でも手に入れることはできます。

夜の方が自分の世界を広げる活動をするのに向いているのかもしれません

昨日は、中学生の頃にオールナイトニッポンの第二部を聞いていたとき、とてもワクワクしたことを書きました。

今にして思えば、昼間は家庭や学校に緊張感というか、ストレスを感じていたんだろうと思います。

夜が更ければ更けただけ、開放感のようなものを感じていたんじゃないでしょうか。

「草木も寝る丑三つ時」というくらいですから、昔は人が寝静まった時刻だったのでしょう。

インターネットで調べてみると、オールナイトニッポンの第二部が始まる午前三時は丑寅の時刻。

丑寅といえば鬼門の方角なので、ワクワクというより、昼間の世界とは違う気配のようなものを感じていたのかもしれません。

以前、五木寛之さんの何の本かは忘れたのですが、ある島の先住民は一日という考え方をしないで、一つの昼と一つの夜という数え方をする。人間が活動する時間帯と精霊などが活動する時間帯を分けるという世界観はとても豊かだと思う、というようなことを書かれていました。

それを読んで、いい話だなと感動したことを覚えています。

高校生までは、夜更かしをしても遅刻しない程度に早く起きて学校に行っていました。

朝型に変えられる人はもともと朝型の資質があったんじゃないかと思います

ゴールデンウィークの影響もあってか、最近夜寝るのが遅くなっています。

昨日も午前三時くらいでした。

小学生の低学年の頃から夜遅くまで起きていて、学校でアクビばかりしていたので、先生から「何時に寝てるの?」と注意されていた記憶があります。

そんなことを思い出したのは、たまたまインターネットを見ていたら、齋藤孝さんが自著「夜型人間のための知的生産術」(ポプラ新書)を紹介されている記事を読んだからです。

去年出版された本で、私も書店で見かけたとき、齋藤孝さんも夜型なんだとちょっとうれしくなりました。

かなり前から、世の中の風潮は、生産性を高めるために朝型になることを勧める本や記事ばかりになって、夜型の私は肩身の狭い思いをしていました。

記事は東洋経済ONLINEの「「夜型人間」だから蓄えられる種類の知識ある」というインタビューで、夜のよさを次のように表現されています。

「効率よく手早く段取りよく進めるのが昼間の仕事で、夜は効率は求めず自分と向き合い、考えを深め、教養を身に付ける。じっくり自分の世界に浸れるのが夜のよさです。」

私が教養を身に付けられているかどうか分かりませんが、自分の世界に浸れるというのはその通りだと思います。

ライプニッツというキーワードに興味のあるテーマがすべて含まれていました

先日、二進法を確立したライプニッツが、易経の先天図の中に二進法の計算術があるのを見出したという話に興味を持って、「知の教科書 ライプニッツ」という本を買ったことを書きました。

その本に、微小表象という、のちの時代に無意識と呼ばれることになる概念も考察していたことが書いてあり驚いた、とも書きました。

がぜんライプニッツに興味がわいてきたので、清水富雄、他訳「モナドロジー・形而上学叙説」(中公クラシックス)という本を注文してしまいました。

到着するまで数日かかるので、インターネットで論文などがないか少し調べてみたところ、私の興味のあるテーマで五つほど見つかりました。

(1)『華厳経』と『モナドロジー』 ― 村上俊江におけるライプニッツ受容 ― 酒井潔

(2)ライプニッツと仏教と西田 ― 窓のあるモナドロジー ― 大西光弘

(3)書評 「共時性:非因果的連関の原理」 C.G.ユング 大垣俊一

 ユングの共時性に通ずる概念としてライプニッツの予定調和を挙げています。

(4)ライプニッツからの感性論=美学 ― 微小表象論の射程 ― 小田部胤久(東京大学)

(5)コウルリッジの芸術論の形成 ― 極理論と無意識概念の系譜 ― 高山信雄

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