持って生まれたもの

40代くらいになると自分や同級生の生き方に規則性が見えてきました

30代くらいまでは、自分も他人も同じ人間で、考えていることなんて大して変わらないと思っていました。

それ以前に、そのようなことをまじめに考えたことさえなかったように思います。

もちろん、人間の個性や能力は人によって全然違うことは分かっていました。

スポーツでも勉強でも自分より優れた同級生がたくさんいるなんて、小学生の頃から分かりますよね。

そのような能力のことではなく、喜怒哀楽の感情や性欲、食欲のような本能の方は、同じ人間なので大した違いはないだろう、と思い込んでいたわけです。

思い込んでいたので、あえて意識するようなこともなく生活していたという感じです。

しかし年を取ってくると、そのようなことも人によってずいぶん違っているんだな、と感じるようになったんですね。

昨日書いたように、人によって怒るポイントが全然違う、食に対するこだわりも全然違う。

たぶん、仕事やプライベートでとても大きな失敗や後悔をして、「思い返してみれば過去にも同じような失敗や後悔をしたな」と回想する経験が増えてくるからなんじゃないでしょうか。

この年になって自分の感情が反応することに意識を向けるようになりました

ここ何年かで気付いたのですが、一般的に考えてムカッとするのが当然の酷いことをされているようでいて、自分の中では大してムカッとしていないことがあります。

その反対に、普通に考えてムカッとしないことなんでしょうが、自分の中ではなぜかムカッとしてしょうがないことがあります。

自分が大事にしていることとそうでないことの違いなんだと思います。

ムカッとすることでよく耳にする例でいえば、自信のある企画、こだわりのある企画にダメ出しされたときなどですね。

その逆は、自信のないもの、自分の中で優先順位が低くどうでもいいと思っているもの。

ダメ出しされても、まあ当然か・・・という感じです。

このようなことは、自分の中で分かっていることなので納得できます。

しかしそうではなく、客観的に考えて怒ってもいいようなことなのに、意外に腹が立たないので、ああ自分はこのことに対して執着はないんだな、と逆に発見したりするんですね。

最近も食事のときに理不尽なことをされたのですが、全然腹が立たなかったので、ああ、自分は食に対して人より執着がないんだなと改めて納得しました。

日頃からおいしいものを食べたいとか、おいしく食べたいという欲求が、それほど強くありません。

音楽を聴くスタイルは自分の意志では変えられないと思います

一昨日お話ししたように、私と同年代で中学、高校の頃に大好きだった洋楽を今でも聴いている人は大勢います。

大学の頃に所属していたクラシック同好会の同級生は、小学生からクラシックを愛好していたようですし、今でもみんな好きだと思います。

学生のとき好きだった音楽のジャンルは、何十年経っても好きだという人の方が大多数ではないでしょうか。

一方で、このお話のきっかけとなった私の同級生のように、一組のグループや一人のアーティストを愛し続ける人は、それほど多くはないようにも思います。

音楽への接し方はその人の自由ですし、どのスタイルがいい悪いといっているわけではありません。

とはいえ、私は学生のとき好きだったジャンルは今ではほとんど聴かず、相変わらず浅く広くつまみ食いのような聴き方をしています。

これには自分でも普通ではないと少し呆れています。

そんな中、糸井重里さんの文章を読んだことをきっかけに、ビートルズ一筋だった同級生のことを思い出して、当時も「すごいな」と感心していたことを思い出したんですね。

それと同時に、彼はある教科を熱心に勉強していて自信を持っていたこと、それを私は「すごいな」と感心していたことも思い出したんです。

一つのことに集中できるのは持って生まれた資質なのかもしれません

昨日は、ほぼ日刊イトイ新聞に糸井重里さんがビートルズについて書かれた文章から、私にもビートルズが大好きだった同級生がいたことを思い出した、というお話をしました。

私はビートルズ一筋の彼とは正反対で、いろいろなアーティストの曲をつまみ食いして行くスタイルでした。

それは成人しても変わらず、クラシックやジャズやワールドミュージックなどを浅く広く聴いてきて、今は主に古楽を聴いています。

今思うと、この嗜好は生活全般に当てはまるように思います。

実は糸井さんのその文章を読んだとき、昔のあるできごとが私の中でつながりました。

受験のとき、私は参考書一つ取ってみても、あの参考書が評判いいだの、この参考書で誰々が合格しただのと耳にしては、あっちフラフラこっちフラフラしていました。

もともと成績はよくなかったのですが、そんなやり方をしていたものですから、案の定受験に失敗しました。

このことがあってから、自分の優柔不断な性格はダメだ、なおさなければと反省し、何事も一つのことに集中するように意識してきました。

それから30年以上経ちますが、いまだになおりません。

私もビートルズ一筋で聴き込んでいた人を知っています

糸井重里さんが、ほぼ日刊イトイ新聞の「今日のダーリン」で、「ビートルズナイト」という催しのことを書かれていました。

ビートルズのコピーバンド「パロッツ」がすばらしかった、というお話の中で「ビートルズは、聴きこんでいる人も多いから、さまざまな曲の細かい部分について、あそこがいいだの、ここがいいなんてことを、みんな実によく知っているし語りたがる。そういう人たちが聴いているところで、おなじみ過ぎるくらいの曲を演奏するというのは、とんでもなくむつかしいことだ。」とおっしゃっていました。

それを読んで、私はビートルズが大好きな同級生を思い出しました。

お互い中学に入ってから洋楽を聴き始めたのですが、彼はビートルズにのめり込んでいて、一緒にレコード店に行くとビートルズばかり買っていました。

正規版はほとんど持っていたはずで、ビートルズじゃないレコードを買いに行ったつもりでも、やっぱりビートルズの海賊版を買っていました。

私はといえば、ビートルズは最初に「イエスタディ」が大好きになったのですが、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」やらクイーンの「キラー・クイーン」やら、洋楽を聴き始めたら次から次にすばらしい曲が見つかるものですから、さまざまなアーティストを片っ端から聴くようになりました。

普通に生活している限り収まるところに収まるのだと思います

この方たちは、価値観にしろ会話にしろ全然違うと感じることもありました。

そのような世界を目の当たりにすると、ああ、人というのは自分の資質を活かして仕事をしているな、というか、必然的に自分の資質に合う仕事にたどり着くんだな、という印象を持ちました。

私が以前勤めていた会社には、学生アルバイトからそのまま就職したのですが、自分が採用されたのは技術者としてなのでちょっと特殊です。他の社員は普通に面接を受けて入ってきていました。

ですので、新入社員が話しているのを聞いていると、本当はあの部署に配属されたかった、などといっていました。

つまり大きな会社は、最初は自分の希望や資質とはあまり関係なく、さまざまな部署に配属されて行くんですね。

補足しますが、いくら希望した部署ではないといっても、業種は家電やエンターテインメント系という大きなくくりがありますから、希望した業界の仕事ではあるわけです。

そういう光景を当たり前のように見ていたものですから、独立してからまったく違う世界の業者さんを見ていると、自分は世間を見る目が狭かったなとつくづく感じたものでした。

独立してからは会社員のままでいたら会えないような職業の方に会ってきました

このような分不相応なことに対応できないのは、お金に限らず生活のさまざまな場面にいえることです。

昨日挙げた本のタイトルがとても印象的だったので、つい考え込んでしまいました。

生活のさまざまな場面となるとあまりに範囲が広いので、仕事に限っていうと、私がゲーム開発会社の社員だったころ、担当したタイトルがヒットして社長表彰を受けたことがありました。

これなんて、たまたま担当者だっただけであって、自分の実力とは関係ないのですが、当時は20代でしたし、チヤホヤされるので若干勘違いしていたところもあります。

しばらくして少しは自信を持って独立したのですが、やがて自分に実力なんてないことが分かって愕然とすることになります。

独立して何年かは、独立前にお付き合いのあった会社のお仕事をいただいていたのですが、その後は本当にいろいろなお仕事をしてきました。

独立前は大きな会社の社員でしたので、ソフトのマスターがアップしたあとは、自らプレスのために系列会社の工場に納品に行くんですね。

それと並行して、宣伝部隊や営業部隊が売るために動いてくれます。

部署ごとにやっていることは全然違いますが、自社製品を売るという目的は共通ですから、その意味ではやっている仕事内容は理解できます。

分不相応な幸運を手に入れてもそれを活かしきれないと思います

鈴木信行著「宝くじで1億円当たった人の末路」(日経BP社)という本があるようですね。

書評を見ると、それ以外にもいろいろな人の末路が書かれているようです。

宝くじに関していえば、インターネット上には高額当選者のその後は破産する話が多く見られます。

それだけの大金を手にすれば、働くことは馬鹿らしくなるでしょうし、仕事を辞めたら辞めたで人生を終えるまでの数十年間、何をして暮らすかという話になりますよね。

静かに考える時間があればまだいいでしょうが、知らない親戚が尋ねてくるでしょうし、資産運用の営業は引っ切り無しにやってくると思います。

知人からこれと同類の話を聞いたことがあります。

昔のことですが、自分の土地に国鉄電車の駅ができるため巨額の立ち退き料を受け取った人が、仕事を辞めたはいいが、暇なので昼間からお酒ばかり飲んで、体を壊した挙句に亡くなった・・・。

このような話を聞くと、人が運用できるお金は分相応に決まっていて、それ以上のお金は身につかないということのようです。

もちろん、中には見たこともない大金を手にしても、立派に運用できる人もいるかもしれませんが、その人は元々そういう資質があったということなのでしょう。

何を持って幸福かということなんだろうと思います

「幸せだから成功する」という考え方は、クリエイティブの世界では当てはまらないこともあるのではないか、というお話をしました。

以前、あるアーティストさんのブログを拝見していたら、その方が昔好きだったアーティストが、幸せになったのか、活動が面白くなくなったと嘆いていらっしゃいました。

アーティストはハングリーでなければ、ということのようでした。

心が満たされている状態では作品を生み出せないということですね。

作品を生み出すためにはエネルギーが必要ですから。

もちろん、今の幸せを守りたい、維持したいというエネルギーもあるのでしょうが、それが作品を生み出すエネルギーに成り得るのかどうかは分かりません。

世の中がお花畑のように感じる人や、幸福の遺伝子を持っている人は、そうでない人に比べて心が安定しているとは思います。

本人が望んでいるのは何か、ということかもしれません。

安定した仕事に就いて、温かい家庭を持って・・・という穏やかな人生を望んでいるのか、その反対に、アスリートや芸術家など、メディアに取り上げられるような活躍をしたいのか。

あえて不幸を望んでいる人はそんなにいないと思います。

幸福であれば上手く行くことばかりでもないような気がします

以前、TEDトークで話題になったので知っている方も多いと思いますが、心理学者のショーン・エイカーさんという方がおっしゃっていた「成功すると幸せになるのではなく、幸せだから成功する」という考え方があります。

簡単にいえば、脳がポジティブな状態のときの方が、ネガティブな状態のときよりも生産性が高くなる。その結果として、成功しやすくなるということのようです。

何を持って成功かという話はちょっと置いといても、一般的なことでいえば、学業やスポーツや仕事でいい成績を上げるということには貢献するだろうと思います。

上手く行かなかったことを散々絞られたあとに行動するよりも、上手く行ったことを賞賛されたあとに行動する方が、全然パフォーマンスが違いそうだということは理解できます。

その一方で、クリエイティブの世界では、この考え方はちょっと当てはまらないような気もしています。

例えば小説家や作曲家、画家のように作品を生み出す人ですね。あるいは役者や歌手のような表現をする人。

もちろん、底抜けに明るいお話や歌というのも、あるにはあると思います。

しかし、じっくりと味わってみたいと思わせる作品には、心を動かされる何かがあるのではないでしょうか。