音楽を聴くスタイルは自分の意志では変えられないと思います

一昨日お話ししたように、私と同年代で中学、高校の頃に大好きだった洋楽を今でも聴いている人は大勢います。

大学の頃に所属していたクラシック同好会の同級生は、小学生からクラシックを愛好していたようですし、今でもみんな好きだと思います。

学生のとき好きだった音楽のジャンルは、何十年経っても好きだという人の方が大多数ではないでしょうか。

一方で、このお話のきっかけとなった私の同級生のように、一組のグループや一人のアーティストを愛し続ける人は、それほど多くはないようにも思います。

音楽への接し方はその人の自由ですし、どのスタイルがいい悪いといっているわけではありません。

とはいえ、私は学生のとき好きだったジャンルは今ではほとんど聴かず、相変わらず浅く広くつまみ食いのような聴き方をしています。

これには自分でも普通ではないと少し呆れています。

そんな中、糸井重里さんの文章を読んだことをきっかけに、ビートルズ一筋だった同級生のことを思い出して、当時も「すごいな」と感心していたことを思い出したんですね。

それと同時に、彼はある教科を熱心に勉強していて自信を持っていたこと、それを私は「すごいな」と感心していたことも思い出したんです。

それを思い出すまでは、私はものごとに対してあっちフラフラこっちフラフラ優柔不断な性格だけど、意志さえ強く持てば改めることができる、とどこかで信じていました。

しかし、好きな音楽のジャンルがフラフラと変わる性格と、目標を決めてもそれに集中できない性格が、脳や遺伝などに影響されているとしたら、もうそれはどうしようもないことじゃないかと思ってしまいます。

ここまで書いてきて、どうも優柔不断を正当化する言い訳のように思えてきました。自分の中でもうちょっと考えてみようと思います。

それほどビートルズを聴き込んでいる人というのは、自分にとって異次元のことだったのです。