持って生まれたもの

ふとしたきっかけで現れる子供の頃の行動が本来の気質なんだと思います

子供の頃からキレイ好きで、いつも手を洗っていた記憶があります。

キレイ好きというより、神経質を通り越して神経症だったと思います。

何でこんなことを書いているかというと、今でもふとしたことで症状が現れるからです。

夏になるといろいろな虫が出現しますよね。今日も目の前に現れました。

ギャっと驚いて駆除したのですが、捨てに行く前と後に何度も手を洗い、殺虫剤をかけた一帯も一生懸命に水拭きしました。

今振り返ってみると神経症的に行動していたと思います。

子供の頃はことあるごとにそんな感じでしたが、成長するに従って気にしたってしょうがないと思うようになり、日常生活ではほとんど出なくなりました。

社会に出ると、そんなことはいってられないことばかりですし。

現場のお手伝いなどもやりましたが、手を洗うところなんてありませんでした。

それに昔から妙に鈍感なところもあります。

あまり衛生的とは思えない飲食店でも平気ですし、回し飲みのようなことも気にしません。

そういうのを拒否する同僚や知人を見てきたので、自分が子供の頃神経質だったということも忘れています。

ところが冒頭で書いたように、ふとしたきっかけで症状が現れるんですね。

ステーキなどを食べて元気なシニアの方をよく見ますが私は違うタイプだと思います

今日本屋さんで雑誌をめくっていたら、五木寛之さんが対談で病院に行かない理由を語っていらっしゃいました。

昔、精神的に参って仕事を休んでいたとき、五木さんの本は随分読みました。

確かに、そのとき読んでいた本に病院に行かないと書いてあった記憶があります。

私の年齢くらいになると、だいたいどこかが悪くて病院のお世話になっている人が多いんじゃないかと思います。

とはいうものの、五木さんのこのお話が印象に残っていたのは、私の親戚に全くお医者さんのお世話にならない人がいるからなのです。

その人は高齢で入れ歯なので、唯一歯医者さんにはたまに行っているようです。

食べることが大好きなので、入れ歯の調子が悪いと我慢ならないみたいです。

私が親の薬を貰いに行ったりすると、お医者さんから「きちんと食事をされてますか」と聞かれるので、やはり食は大事なのでしょう。

瀬戸内寂聴さんや三浦雄一郎さんがステーキが好きなんて話を聞くと、だからその親戚は元気なんだろうなと思います。

それに比べると、私は食に執着がありません。

量は普通に食べていると思いますが、美味しいものを食べたいという欲求があまりない。

ブログが1000記事を超えましたが特に変わったことはありませんでした

ブログの投稿が1000記事を超えました。でも何も変わりません。アクセスも少ないですし。

単なる日記で、個人的な内容だからだと思います。

たまに技術的なことを書くことがあって、それらに少しアクセスがあるという感じです。

三年前にブログを始めるにあたって、やるからには長く続けたいので続けるコツのようなことが書いてあるサイトを随分見ました。

でも長く続けられている方は、やっぱり自分に向いているやり方なので続いているように感じましたし、自分に向いているやり方はやってみなければ分からないので、とりあえず始めました。

昔、請け負った仕事の関係上アクセスを増やす必要があって、いくつかのブログを立ち上げたことがあるのですが、自分とは関係のない業種ばかりでしたので、全て途中で挫折しました。

なので今回はアクセスを増やすことを考えずに、続けることだけを目標に、自分の仕事と興味のある内容に絞ってブログを書き始めました。

最初の数ヶ月は飛ばしすぎで挫折するのを恐れて、三日に一度投稿することを続けていたのですが、ある時期から毎日書きたいと思うようになって、それが現在まで続いています。

学生の頃授業のノートがきれいで文房具が好きだった人は決算の作業も得意そうです

やっと決算の資料を整理して税理士さんに渡し終えました。毎年気が重い作業です。

とくに最近は紙の領収書だけでなく、G SuiteやApple Developer Programのようなネット上で支払いが済むサービスが増えてきたので、整理をする際につい見落としてしまうんですよね。

私が請求する方も、現金での支払いを好むクライアントさんがいらっしゃいますので、発行した領収書も管理しておく必要があります。

何度やっても慣れません。こういうの好きな人いるのかなぁ。

人には得意不得意がありますから、そんなに嫌じゃないという人は結構いるんでしょうね。

そういえば私の知人に、パソコンを使う事務作業は仕事だからやっているだけで、できればパソコンは開きたくないという人もいます。

決算の作業は気が重いといっても年に一度ですが、今のご時世、パソコンを使う事務作業なんて毎日やるようなことでしょうから、毎日どんな気持ちなんでしょう。ちょっと想像できません。

しかしその人も事務作業自体は率先してやっているようなので、嫌いではなさそう。パソコンだけが苦手なんだと思います。

そういう意味では私とは逆ですね。

家族のように何年も一緒にいる人間関係は貴重なデータベースのように感じています

どんな家族にも、夫婦や兄弟や親子の間で口論になったり意見がかみ合わなかったりすることはあると思います。あるいは妙に意気投合することが多かったり取り入るのがうまかったり。

例えば夫婦間でよくそのようなことが起きるならば、子供はそれを見る機会は多いですよね。

私の親の世代は兄弟が多いので、何番目の兄弟は親にとても可愛がられていた、というような話も聞きます。

このような第三者の視点って、家族であれば一緒にいる時間が長いので、とても貴重な社会勉強になっているんじゃないかと思います。

何度も口論になるところを観察していれば、口論の原因をパターン化できて行くでしょうから、もし自分が当事者になったときに回避できる方法も思い付きそうです。

そういうのって多分、仕事の役に立っていますよね。

今になって思えば、私も会社でゲームのディレクションをやっていたとき、家庭で長年蓄積してきた問題をパターン化する方法を活用していたと思います。

文章の表現が変わらないのなら資料のあり方を最初から考えなおしてみます

明日の打ち合わせのために作成した資料を印刷する必要があったので、近所のディスカウントショップに置いてあるコピー機を初めて利用しました。

いつも買い物をするスーパーにも同じ機器が設置してあり、どちらもモノクロ一枚5円、カラー一枚30円です。

メモリースティックから印刷するのはコンビニが安いので、まずはコンビニでオリジナルを一枚ずつ印刷して、それをディスカウントショップで必要な枚数コピーしました。

来月ちょっとした発表会があって、A4カラーの資料を百枚近く印刷する予定なので、いよいよプリンターを買おうかなと思っていたのですが、今回のようにコピーで済ませてもいいような気がしてきました。

更にいえば、ネット印刷なんてカラーでも百枚数百円ですからね。

更にいえば、本当にカラーで見せる必要がある資料か?というのもあります。

更にいえば、・・・先程からこんな調子で考えていたのですが、そもそも百枚近く必要な資料なのかということも疑問に思えてきました。参加人数はまだ分からないのですが、一人につき三、四枚の計算です。

発表会は仕事ではないのですが、仕事につながればいいなと考えています。

若くて優しくてスタイリッシュなファミリーを見て驚いた自分に驚きました

今日夕方買い物に行く途中、団地のバス通り近くで、スラリと背が高く若いお母さんとよちよち歩きの子供を目にしました。

二人がバス通りに出ると、向かい側から若いお父さんらしき人と幼稚園児の二人組が。

幼稚園児がお母さんを見つけると、「ママー」と叫んで手を広げて駆け寄ってきました。お母さんも手を広げてその子を抱きしめました。

オオッ、何だか典型的なドラマの一場面を見ているようです。

普段あまり見かけない風景に驚きながら、夕食を買うためにスーパーに行き、買い物をしてレジに並んでいると、私の前にインド方面の方と思しき若いお父さんと小さな子供の二人連れが。

流暢な日本語で店員さんと会話しながら、お子さんがいたずらしそうになると優しく注意されています。

買い物袋に詰め終わって私とすれ違うとき丁寧に挨拶されて、外で待っていた若いお母さんと三人で談笑されていました。

こんな田舎にインド系の方は珍しいのですが、さらに日本人以上に腰が低くて家族の仲もいい。

先程の若いファミリーと共にとても印象に残りました。

もちろん子供連れの若いファミリーは珍しいわけではなく、よく見かけます。

文章の表現や行動は子供の頃から変わらないんじゃないかと思いました

今日お客さんからメールが来て、何年か前に依頼したのと同じ作業をまたお願いします、とのこと。

昔のメールを確認したら確かにありました。しかもメールの文面が今回のメールと同じ。

失礼ながら、ちょっと微笑ましくなって笑ってしまいました。

こういうのは多分私も同じで、文章表現の癖なんて何年経っても変わらないんじゃないかと思います。

以前、小学校のときの卒業文集を五十年ぶりくらいに読みなおしたことがあるのですが、今の文章表現とほとんど変わっていないように感じました。

語彙は増えたとは思いますが、変わったのはそれだけかもしれません。

言葉だけじゃなくて行動についても同じだと思います。

親から聞いたことがあるのですが、私が小学校低学年のときに、担任の先生から私の癖を教えてもらったそうです。

その癖を親から聞いたとき、「それって今でもやっている」と驚いてしまいました。

それと同時に、その癖はクラスの中でも自分ひとりしかやらないほど特徴のあること、というのも分かりました。

先生からの指摘がなければ、今でもそれが人と違うことだというのを気付かずに過ごしていたと思います。

人は生まれたときから本質は変わらないんでしょうね。

人と違うところを自分で認識できれば社会の中で生きやすくなると思っています

ハフポスト日本版というWebサイトに「71年間、痛みも不安も感じずに生きてきた女性。その謎が解明される」という記事がありました。

その女性は怪我などをしても痛みを感じず、不安という感情もほとんど感じない特異体質だとか。

66歳のとき手術を受けたのですが、そのとき痛みを感じないことに医師たちが驚いたのをきっかけに、彼女が特殊な遺伝子を持っていることが確認されたとのこと。

そして彼女がその特異体質に気付いたのは、手術のきっかけとなった、お尻の関節がかなり悪化してうまく歩けなくなった65歳のとき。

彼女はBBCに次のように語ったそう。

「誰かに指摘されるまで、それが普通だと思うものです。私はいつも幸せな性格でした。それがほかの人と違うと思っていませんでした」

この方の場合はあまりに特殊な例なので驚いてしまいましたが、確かに指摘されなければ、人と違っていても気付かないことはいくらでもあると思います。

小学生の頃でさえ、自分のことは分からないけれど、人のことはハッキリと分かりましたよね。

例えば、小さな子供が好きな同級生には子供がすぐに懐いていましたし、やたらと異性にモテる同級生もいました。こういうのは少し大人になれば、自分でも気付くようになるんじゃないでしょうか。

物価の安い庶民的な街が好きなので安売り日などに意識が向かないのかもしれません

今日夕食の買い出しに行ったら、お刺身売り場などに、ことごとく品物がありません。

「どういうこと?」と思っていたら、あちこちの売り場に黄色い値札が立っていて、木曜特売日みたいな文字が書いてあります。

ああ、そういうことですか・・・。しょっちゅう行っているスーパーなのに気付きませんでした。

別のスーパーでも卵やチーズなどが安い日があるのですが、それも何かの特売日なのでしょう。

こんなに無自覚なのでお金が貯まらないのかもしれません。

ただ本当に安売りなどで生活費を浮かせたければ、物価が安かったり激安店が多い地域に住む方がいいと思います。

東京の練馬や江古田の近くに住んでいたとき、ビックリするほど安いスーパーや飲食店がありました。

一方で、港区の一等地に住んでいる友達のマンションに遊びに行ったときは、近所のスーパーの高級感に驚いたものです。

東京は地域によって物価の違いが大きいですよね。

同じく港区にある会社に一時期勤めていたことがあるのですが、昼食をとるとき庶民的な定食屋さんがなくて困った記憶があります。

そんなある日、ビルの谷間の薄暗い通路の中に、小さな定食屋さんを見つけたときは大喜びしました。もう毎日行きましたよ。