持って生まれたもの

今まで自社アプリを作ってきたのは発表などの機会が好きだからだと思います

先日、「楽々談話室」をテスト的に導入していただいているある団体で、今度その団体のメールマガジン会員の希望者にも使っていただくことになったことを書きました。

近々その団体の研究会があり、少しお時間をいただいて「楽々談話室」のことをお話させていただくので、その際に配る資料作りをしています。

先日も書いたのですが、ほとんどの方に「LINEを使っているのに、何でわざわざ別のチャットアプリを・・・」と思われそうなので、いくらメルマガ会員が百人単位だといっても、実際に使っていただけるのは数人だと思います。

まあ今後も、ちょくちょく「楽々談話室」のことをご紹介させていただきますし、時間をかけて少しずつ利用者が増えて行けばいいな、くらいの気持ちでいようと思います。

今作っているのは、研究会で配るA4一枚の資料とその団体専用のWebページ。

管理者がユーザー登録を始めとする一切の設定をやってくれるので、アプリの利用者が設定することは何もないこと、ユーザー登録にはメールアドレスや電話番号などの個人情報は不要なこと、セキュリティの問題などが発生したとき、管理者の判断でチャットシステム自体を停止させられること、などを分かりやすく説明しています。

自転車一つとってみても人の嗜好は多様だなと思います

いつも夕食などの買い出しに使っている自転車がヘタってきています。

以前パンク修理したとき、自転車屋さんから車軸のネジ山が擦り切れているので次はちょっと厳しいかも、といわれました。

カゴが必要なので次もママチャリですが、たまに自転車屋さんに並んでいる自転車や、スーパーの駐輪場の自転車を見て、こんなのがいいなと思ったりしています。

最近感じるのは、電動アシスト自転車というのでしょうか、あれ多いですね。

乗っている方は、高齢の方かチャイルドシートを付けた女性の方なのですが、先日若い男性の方が乗っているのを見かけました。

見た目は二十歳前後。チャイルドシートは付いていないので本人の自転車かもしれません。

このような若者、最近多いんですかね。ちょっと驚きました。

驚いたといえば、今日夕食の買い出しに行って帰っていたら、道路を横切って来た自転車が目の前にヒョイっと現れたのですが、その自転車のタイヤが巨大なこと。

オートバイのタイヤのようです。

あんな太いタイヤ、初めて見ました。

先程調べたらファットバイクというようですね。値段がすごく高い。

乗り心地はよさそうですが、パンクしたら大変そうです。

しっくりこなかった自分の本質も解釈次第で好きになれるように思います

昨日はたびたびブログに書いている陰陽五行の話として、それを人間に当てはめたとき、自分の資質が見えてくるというお話をしました。

人間も五行の木火土金水で構成されていて、その中でも自分の本質となる五行があって、私の場合は「金」であるとも。

そしてその「金」の意味するところが、「攻撃」であったり「単純で、考える前に行動する」と説明されていて、何か嫌だなぁと思っていたんですね。

しかし自分の本質というのは、それを活かしてこそよりよく生きられるというものらしいので、嫌ってばかりはいられない。

参考までに他の五行はどうかといえば、例えば「木」は「守備」。「わがまま」という説明もありますが、「自己肯定感が高い」ということのよう。いいですよね。

「火」は「伝達」。「無責任」なんてことも書かれていますが、「表現力豊か」ということなので羨ましい。

自分の本質に沿って生きている人は、気分がいいでしょうし、やっぱり上手く行ってるんだろうなと思います。

そこでここ数日、「金」の意味を自分なりに解釈して、自分の納得する行動に当てはめることはできないか考えていたんですね。

陰陽五行の自分の本質を活かしてこそよりよく生きられるようです

このブログでたびたび陰陽五行のことを書いています。

先日も、いわれがはっきりしない日本の風習などを、陰陽五行を使って読み解かれる民俗学者の吉野裕子さんについて書きました。

もともと学生の頃から、生年月日の干支を使って人の資質や運気を見る四柱推命や算命学の理論を、よく出来てるなと思っていました。

科学ではありませんが、以前ご紹介した根本幸夫・根井養智共著「陰陽五行説―その発生と展開」(薬業時報社)に「陰陽五行説は、陰陽説と五行説が結合したものであるが、中医学も含めて、すべての漢方医学の基礎である。」とあるように、東洋では昔から森羅万象を説明するために用いられてきた理論体系のようなんですね。

しかしそれを自分の資質に当てはめたとき、前々からちょっと嫌だなぁと思っていることがあって、私の本質は金だったりするのです。

陰陽五行は、それぞれに陰陽を持つ五行の木火土金水で成り立っています。

「木」は守備、「火」は伝達、「土」は引力・魅力、「金」は攻撃、「水」は習得という基本的な意味があります。

さらに「金」の詳しい説明を見ると、「単純で、考える前に行動する」なんてかいてあります。

ケンカっ早いというわけではなく、じっとしていられない性格ということのよう。

人の性格の違いを陰陽五行ははっきりと分類してくれます

ここ数日、ブログに中村璋八著「五行大義」(明徳出版社)などの陰陽五行に関する本を読んでいることを書いています。

学生の頃から、生まれた干支の陰陽五行に当てはめて人の性格や運気を読み解く東洋占術が好きで、もう少し理論を深く学んでみたいと思ったんですね。

そんな折、知人がある人に結構きついことをいわれたようで、かなり落ち込んでいました。

なのでいろいろと話を聞いてあげて、そういう性格の人もいるからしょうがないよというような話をしてみました。

私もそうなのですが、その知人は気にしい。人のことを気にしすぎる性格です。

人と喋るとき気を使っているのを感じます。

私はその知人ほどではないのですが、それなりに気を使いますし、子供の頃はそれが普通だと思っていました。

でも中にはストレートな物言いをする同級生などがいて、年齢が上がって行くにつれて、いろいろな人がいることが分かってくるじゃないですか。

そういう性格の違いを、陰陽五行ははっきりと分類してくれるんですね。

知人にきついことをいった人はマイペース人間というか、我が道を行くタイプなんじゃないでしょうか。そんなに悪気があっていったんじゃないと思うのですが。

カウンセラーの素養がないことを思い知らされました

先日より、少しずつ河合隼雄さんの「カウンセリングの実際」(岩波現代文庫)を読んでいます。

河合さんの豊富なカウンセリング経験を通して語られる、人の心や心の変化のお話は本当に面白い。読んでいてワクワクします。

あまりにも豊富な例が語られるのでちょっと頭が混乱しているのですが、カウンセリングで重要なのは、クライエントさん(カウンセリングを受ける人)自らが自分の人格に望ましい変化を起こすのを手助けすることのようです。

ところがそれがなかなか上手く行かない。こうすればこう上手く行かなくなるし、ああすればああ上手く行かなくなるということばかり。

人の心は本当に難しいものだなと思います。

私は心について昔からいろいろ考えてきたつもりですので、読み始めたときは「カウンセラーという仕事は大変だけれど、やりがいがあるかもしれないな。」と少し憧れていたのですが、読み進めるうちに、とてもじゃないが自分には無理だと思うようになりました。

当然ですが、クライエントさんによっては付き合いはとても長くなります。

カウンセラーさんは、クライエントさんの内的な変化が起きるまで、いろいろな場面でじっと待つことが多いらしい。

私よりも周りのシニアの方々の方が変化に対応できているように感じます

先日ASK アクティブシニア交流会さんのパソコン・スマホ勉強会で、スマホアプリをインストールしたりアプリを操作したりする際に、分からない方の操作のお手伝いしていました。

受講者の中にiPhone Xというんですかね、その新しい機種を使っている方がいて、そのスマホでホームボタンを使おうとしたらボタンがない。

一瞬固まっていたら、持ち主の方が画面を指でなぞってホーム画面に戻してくれました。

う〜ん、こんな感じでIT機器からボタンが消えて行くのでしょうか。

私はガラケーと、タブレットにインストールした電話アプリを併用していますが、やっぱりガラケーのボタンがいいです。

タブレットのソフトウェアキーボードより、デスクトップパソコンのフルサイズキーボードがいいです。

昔、多重録音で音楽を作っていたとき、8バス32チャンネルのインラインミキサーを使っていました。ツマミや10mmフェーダーの感触はとても気持ちよかったです。

その後、パソコンの拡張ボードに挿すタイプのデジタルミキサーも使ったのですが、パソコンディスプレイを見ながらマウスやフェーダーを一つずつマウスで動かす操作は、どうもしっくりきませんでした。

どういう傘を持つかでけっこう人の性格が分かるんじゃないかと思いました

今日夕食の買い出しに行って、スーパーを出る頃になって雨が土砂降りになりました。

小降りになりそうもなく時間も時間でしたので、諦めて帰りました。

大きめの傘を持っていましたが、首から下はずぶ濡れです。

帰る途中に、傘もささずにずぶ濡れで自転車を漕いでいる子供や学生さんを何人も見ました。

傘は荷物になるので、出かけるとき降りそうでも、まだ降ってなかったら持って行きたくない気持ちは分かります。

東京にいる頃、知人のコピーライターさんが、天気がいい日でも折りたたみ傘を持ち歩いているのをみて、不思議に思っていました。

いつも肩に大きなショルダーバッグをかけていた人なので、いろいろな備品が入っていたのだと思います。彼にとって傘は備品の一つだったのでしょう。

一方で傘を持ち歩かずに、外出先で雨に降られたらビニール傘を買う知人もいました。当然ですが、家にビニール傘が溜まってしょうがないといっていました。

今思い出したのですが、とても背が高い知人がいて、彼は傘をさしてもどうせ濡れるからといってほとんどささないんですね。

背の高い人がみんなそうではないでしょうが、こういう感覚は背が高い人しか分からないですよね。

忙しいときに限って気になることがやめられないという悪い癖があります

仕事で、手書きでタグを書いて簡単なWebページを作る必要があったので、コンテンツ部分の文章をDrupalのTinyMCEのFull HTMLモードで書いて行って、Plain textモードに変換しようとしていました。

途中で画像を挿入しようとして、Insert/Edit Imageボタンを押してウィンドウを出したら、パソコンのハードディスクからアップロードするためのBrowseボタンがありません。

あれっ?以前Browseボタン、あったと思うんだけど・・・。

このブログは画像を挿入しないので、滅多にInsert/Edit Imageボタンを押しません。

しかもこの作業をする前に、Drupal管理画面にWysiwygモジュールのアップデートのお知らせが来ていたので、実行しちゃったんですね。

私はこのブログのサイトの他に、もう一つテスト用のDrupalサイトを持っているのですが、どちらも何も考えずにアップデートをしてしまいました。

なので、試しにテスト用サイトの方のWysiwygモジュールを一つ前のバージョンに戻してみたのですが、症状は同じ。

いろいろ設定を見なおしてみたのですが、よく分かりません。

ふとしたきっかけで現れる子供の頃の行動が本来の気質なんだと思います

子供の頃からキレイ好きで、いつも手を洗っていた記憶があります。

キレイ好きというより、神経質を通り越して神経症だったと思います。

何でこんなことを書いているかというと、今でもふとしたことで症状が現れるからです。

夏になるといろいろな虫が出現しますよね。今日も目の前に現れました。

ギャっと驚いて駆除したのですが、捨てに行く前と後に何度も手を洗い、殺虫剤をかけた一帯も一生懸命に水拭きしました。

今振り返ってみると神経症的に行動していたと思います。

子供の頃はことあるごとにそんな感じでしたが、成長するに従って気にしたってしょうがないと思うようになり、日常生活ではほとんど出なくなりました。

社会に出ると、そんなことはいってられないことばかりですし。

現場のお手伝いなどもやりましたが、手を洗うところなんてありませんでした。

それに昔から妙に鈍感なところもあります。

あまり衛生的とは思えない飲食店でも平気ですし、回し飲みのようなことも気にしません。

そういうのを拒否する同僚や知人を見てきたので、自分が子供の頃神経質だったということも忘れています。

ところが冒頭で書いたように、ふとしたきっかけで症状が現れるんですね。