音楽関連

レコードプレーヤーからカセットテープに音楽を録音していたときの情熱を思い出しました

インターネットを見ていたら、ヤマハが27年ぶりにレコードプレーヤーを発売するというニュースに目が止まりました。

知人が持っていたのですが、ヤマハのプレーヤーといえばGT-2000です。

ターンテーブルが大きくどっしりしていて、本体の木の厚みが大きくどっしりしていて、専用ラックの木の厚みもどっしりしていました。

調べてみると1991年頃に限定生産品として復刻されたそうなので、それ以来ということでしょうか。

1980年代に普通に売られていたときは13万8千円。

そうなんですよね。凄まじいスペックの割にはとんでもなく高価ではなかった記憶があります。当時は59,800円のような価格帯に各社が魅力的な製品を投入して、しのぎを削っていましたから。

アルバイトをしたお金で何を買おうかいつも悩んでいて、しょっちゅう秋葉原に物色しに行っていました。

LPは欲しいは、オーディオは欲しいは、レコーディング機材は欲しいは、パソコンは欲しいは・・・。

今から思えば、世の中のバブル熱に浮かされて精神状態が普通じゃなかったと思います。

レコードプレーヤーなんてそんな時代の象徴的な商品のように感じるんですね。

そういえばカセットテープも人気だという話を聞きます。

いくつになっても新しい音楽を楽しめる人は音楽が大好きな人なのでしょう

先日より「新しい音楽を楽しめるのは30歳まで?」というニューズウィーク日本版の記事について書いています。

懐メロばかり聴いていて若い人の音楽が理解できない、そういう中高年にならずに、いつまでも音楽にオープンでいるためにはどうすればいいか、という提案で記事は終わっています。

考えてみると、今まで生きてきて、中高年の人で日々新しい音楽を発掘しようとしている人を見たことはありません。

私の周りにいるほとんどの人は、ミュージシャンや評論家の方などではない、つまり音楽とは関係のない職業の人ばかりです。

記事には、新しい音楽を聴かなくなる理由について、主に仕事や子育てで時間がないということが挙げられています。

しかし聴かなくなる理由は、そのようなライフスタイルの変化だけではないような気もします。

音楽を貪るように聴いていた10代、20代の頃を思い出してみると、あのような情熱が50代、60代、いや極論すれば死ぬまで続くとはとても思えません。

しかも音楽が好きな人ならば、どこかで自分の好きなジャンルを突き詰めて行く時期があると思います。

ある人はそれがジャズであり、ある人はワールドミュージックであり、ある人はオペラであり、ある人はバロックや室内楽であり・・・。

新しい音楽を楽しむといってもいろいろな考え方があると思いました

昨日ご紹介した「人々が新しい音楽を発掘する努力をやめる」年齢のような調査は、調査対象の人たちの傾向によっても大きく変わると思います。

高校を卒業するかしないかくらいの時期だったと記憶しているのですが、一度だけ行った中学の同窓会で、やんちゃしていた同級生たちが、「音楽は演歌だな」としみじみいっていたのには驚きました。

当時はYMOのようなテクノミュージックも流行っていて、まだまだ聴いてみたい音楽はたくさんあると思っていましたので。

ただ一方で、私の周りの親の世代で音楽が好きな人はほとんどいませんでしたし、その人たちがテレビで「いいね」といいながら聴いている音楽はほとんどが演歌でしたから、自分も将来はそうなるのかなと思ったりもしました。

以前ブログで、ビートルズばかり聴いている中学校の同級生のことを書きましたが、彼は音楽が大好きなわけです。

30代前半で独立したとき、一緒に仕事をしていた人も音楽が好きで、仕事中いつもBGMをかけていましたが、かける音楽はほとんど同じアーティストでした。

このような人たちは、最初から新しい音楽を発掘する努力をするタイプではないような気がします。

自分が新しい音楽を発掘する努力をやめたのはいつだろうと考えてしまいました

インターネットを見ていたら、ニューズウィーク日本版のWEBサイトで「新しい音楽を楽しめるのは30歳まで?」という記事を見つけました。

これはある音楽配信サービス会社の調査によるものとのこと。以下、その部分の抜粋です。

「フランスに本社を構える音楽ストリーミング配信サービスDeezerが、イギリスのユーザー1000人を対象に行った調査で、人々が新しい音楽を発掘する努力をやめるのは、平均して30歳と6カ月と発表した。」

このような内容の調査は、以前にも何度か聞いたような気がします。

私の場合は今の古楽好きになったのは40代でしたから、調査には当てはまらないような気もしますが、クラシック音楽自体は中学生の頃から好きでしたから、「同じジャンルじゃないか」といわれれば反論できません。

ただ、この調査の指摘する年齢で「新しい音楽を発掘する努力をやめ」たわけではないようにも思います。

精神の病気で音楽を聴く気になれなかった時期もありましたが、30代以降もコンスタントにCDを買ったりCDをレンタルすることは続けていました。

とはいうものの、この記事で指摘されているように、新しい音楽を発掘する意欲が満々だったのは20代前半までのような気がします。

何度聴いてもよく分からないから聴いているような気がします

今年の1月にニューイヤーコンサートに行ったことをブログに書きました。

そのときのプログラムにはビゼーの「アルルの女」組曲 第2番があり、それは中学1年のとき初めて買ったクラシックのレコードであること、40年以上聴いていないのにメヌエットやファランドールをよく覚えていたことも書きました。

メヌエットでフルートの人が息継ぎをするところや、ファランドールで輪唱のようにビオラが旋律を追いかけるところなどです。

じゃあ、なぜ40年以上も聴かなかったのかというと、レコードを買った当時、何度も繰り返し聴いてある程度曲を覚えてしまったからだと思います。

印象に残るメロディの曲とか、ドラマチックで心を動かされる曲などは、しっかりと記憶に残るので、聴き始めると記憶が曲を先読みしてしまう。なので聴く前から気分が冷めてしまう、というのが聴かなかった理由のような気がするのです。

もちろんビゼーの「アルルの女」組曲は名曲揃いで、メヌエットの美しいメロディなんて今聴いても心が震えます。

だからこそ記憶に刻み込まれるのだと思うんですね。

私が古楽を好んで聴くのは、そのようなことが少なく、同じCDを何度聴いても飽きないからです。

何がよくて古楽を聴いているのかちょっと考えてみました

以前、「中世&ルネサンス・レコーディングズ」という古楽の50枚組みCDボックスのことを書きました。

この時代の音楽は、楽器も和声も発声法も今の私たちが聴き慣れたものではありません。

ほとんどの人が日ごろ耳にするのは、バッハやヴィヴァルディのようなバロック期くらいまでの音楽で、それより前の音楽はテレビやラジオでもあまり流れません。

一般的には中世、ルネサンス、バロック期の西洋音楽を古楽と呼んでいるようですが、私はこの時代の音楽をよく聴きます。

今も外出したときはこのCDボックスの一枚を聴いているのですが、中にはいい曲だなと思うものがあって、そういうときはこのブログに書きたくなります。

今回そう思ったのは、14枚目のCD「デュファイ:世俗音楽集」の4曲目「心に痛みを抱くこの私」と12曲目「コンスタンチノポリスの聖母教会の歎き」という曲なんですが、ここで紹介しても「ああ、あの曲ね」と同意する人も、「聴いてみよう」と思う人もいないと思います。

もし聴いたとしても「どこがいいの?」と感じると思いますし、私もそう思われて仕方がないと思います。

当時、邦楽より洋楽の方が大人びて聴こえていたのは当たり前でした

昨日はポール・サイモンの公演活動引退の話から始めて、テレビで昔から今に至るアイドルを振り返る番組をやっていたことや、洋楽はアルバム一枚を通して芸術性の高いコンセプトを持っていることに驚いた話などを書きました。

もちろん国内と欧米のマーケットは違うので比べることなどできません。

ただ先日のエルトン・ジョンもそうですが、「引退」という言葉が気になって年齢を調べてみるとどちらも70代。

中学生の私にとって、国内のヒット曲より総じて大人びて聴こえたのは当たり前だったと思います。

昨日名前を挙げた郷ひろみさんも山口百恵さんも、私と10歳も離れていません。

私が中学生のときにアイドルだった方たちは、当分引退する年齢ではないのでしょう。

しかしそれをいうと、クラシック畑の人たちは洋楽のアーティストより更に年上の印象があります。

私は大学生の頃、ほとんどクラシック音楽を聴くようになっていましたが、当時ブームだったのはマーラーで、中でも注目されていた若手指揮者はクラウディオ・アバドでした。

小澤征爾さんもそうでしたが、若手といわれていても私とは30歳前後離れていたんですね。

その頃巨匠といわれていたのは、ヘルベルト・フォン・カラヤンやレナード・バーンスタイン。

先日のエルトン・ジョンに続いて、今度はポール・サイモンが公演活動から引退するようです

このブログで、中学に入ってから洋楽を聴き始めたことを書いてきましたが、その最初のアーティストの一人(一組)がサイモン&ガーファンクルでした。

アルバムも最初に全部揃えたアーティストで、中でもアルバムタイトルになっている曲「明日に架ける橋」は、アート・ガーファンクルの高い声をまねてLPと一緒に何度も歌っていました。

ソングブックを買って、フォークギターを必死で練習していた記憶があります。

今日たまたま夕食時にテレビをつけたら、「歌のゴールデンヒット -青春のアイドル50年間-」という番組をやっていました。

ちょうど1970年代の頃のアイドルを紹介していて、フィンガー5、天地真理、郷ひろみ、山口百恵などの大スターが懐かしいヒット曲を歌っていました。

当時、居間ではテレビでこのようなアイドルの曲を聴いて、自分の部屋ではFMやレコードで洋楽に熱中していたんですね。

もちろんアイドルの方たちの曲は、今聴いてもメロディや歌詞がすばらしいのですが、洋楽はLP一枚=アルバムを通してすばらしいというのが衝撃的だった気がします。

構造が単純で大きくて乾電池で動く音響製品は長持ちするようです

カナル型のイヤホンは外の音を遮断して音楽がよく聴こえるので、流行りだした頃から買っているのですが、今まではケーブルが断線したのを機に買い換えていました。

SHUREのイヤホンはケーブルを交換できるので、長く使えると安心していたのですが、踏んづけて折ってしまうなんて想像できませんでした。

そういえば、以前SHUREの密閉型ヘッドホンも買ったことがあります。

こちらもケーブルが交換できるので安心していたのですが、使っているうちにヘッドホンバンドが折れてしまいました。

ケーブルが断線することを期待しているわけではないのですが、わざわざ交換できない部品の方が壊れてしまうのは、マーフィーの法則みたいで悲しいものがあります。

考えてみれば持ち運びながら使う音響製品は、ウォークマンにしろiPodにしろ、どこか壊れたりバッテリーに寿命が来たりして、いつかは買い換えるのはしょうがないと思います。

しかし、イヤホンって5万円や10万円の高級品もかなりありますよね。

そんな製品の寿命が来る理由の一つに、「踏んづけて折る」というのがあるのはちょっと恐ろしい気がします。

イヤホンを踏んづけて折ってしまったので接着剤でくっ付けました

以前、外出するときはSHURE SE215というイヤホンをしていることを書きましたが、先日ATMでお金を下ろしたり記帳したりしているとき、イヤホンを耳から外していました。

すべて終わって通帳を見ながら数歩後ずさりしたら、足元で「バリッ」と嫌な感触が。

SE215を踏んづけて、耳の穴に差し込む部分の根元から折ってしまいました。かばんに入れたつもりが、下に落ちて引きずっていたのです。

「ああっ・・・」

このあと打ち合わせだったので、何とか気分を落ち着かせながら打ち合わせ場所に向かいました。

帰ってからインターネットで「SE215 折れた 修理」と検索してみると、たくさんヒットします。

私のように折ってしまった人は多いようです。

想像した通りですが、メーカーが片側だけ売っているはずはありません。

ちょっと驚いたのは、サードパーティ製の外側のプラスティックケースだけが売られているんですね。「自分で修理しましょう」と・・・。

私には無理です。それならば新品を買います。

そんな中、アロンアルフアで結構ちゃんとくっ付くという記事がありました。

後日、アロンアルフアを買ってきて挑戦してみました。

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