時代の変化

新しいルーターが送られて来たのを機に三年で近所の環境が変わったことに気付きました

今日新しく契約したWiMAXのプロバイダからルーターが送られてきました。

今までの機種はWX03というタイプで、新しいものはW05。横幅が倍くらい長くなって、重量も倍くらい重くなっています。

通信速度などの性能が上がっているのでしょうが、個人的には速度は遅くてもいいので、軽く小さく電池の持ちがいい方がいいです。

でも世の中のネットのコンテンツはますますリッチになるでしょうから、速度は速くせざるを得ないんでしょうね。

一方で、電源を取る際のコネクタがUSB Type-Cになっているので、いちいち向きを確認する必要がありません。これ好きです。

夕食の買い出しに行くために急いで設定を済ませて、家族に頼まれた栄養ドリンクを買うために、いつも行くお店とは反対方向のディスカウントストアへ。

お店に着いて目当ての商品を探したら売り切れていました。そこで、昨年できたすぐ近くにあるドラッグストアに行ったら、先程のお店の価格より安く売られていました。

この敷地には、BOOKOFFのような買取販売の本屋さんと100円ショップとかなり前に閉店したシューズショップがあったのですが、いったん更地にしたあと大きなドラッグストアと100円ショップが建ったのです。

現代の価値観とは全く異なる「求塚」という能の内容に衝撃を受けました

先日、岡野守也著「能と唯識」(青土社)という本を注文したことを書きましたが、昨日その本を読んでいて衝撃を受けたことがあります。

観阿弥に関わる作品といわれている「求塚(もとめづか)」の内容です。あらすじは以下。

「旅の僧に尋ねられて求塚に案内し、塚のいわれを語った女性は菟名日乙女(うないおとめ)の亡霊だった。

彼女は小竹田男(ささだおとこ)と血沼丈夫(ちんのますらお)に求愛され、水鳥を射て当てた方に決めようとするが、どちらの矢も当たる。

悩んだ乙女は水に身を投げる。

彼女の亡骸を埋めた塚で二人の男は刺し違えて死ぬ。

地獄で二人の男に責められ、鳥にもつつかれ、さらに地獄の責め苦が彼女を苦しめる。」

ひどくないですか?

菟名日乙女って勝手に愛されただけですよね。水鳥を殺したのも彼女じゃない。なのになぜ彼女だけが地獄で苦しめられなければならないのか。

観阿弥、世阿弥といえば当時のスターのはず。現代で人気者のシナリオライターや俳優がこんなシナリオを書いたら炎上してしまいそうです。

インターネットでこの作品を調べてみるといろいろな解釈があるようです。

WiMAXの契約が終わる2022年には新しい通信規格が普及し始めているかもしれません

今月、今使っているWiMAXの契約期間が終了するので、解約して新しいプロバイダと契約しました。

他社と比較して継続するかどうかを決めようと思ってインターネットで調べていたら、たまたま三年間の総額から平均の月額を比較しているWebサイトがあり、安い会社を見つけたんですね。平均の月額だと3200円を切ります。

どの会社さんも、最初の○か月は割引価格だとかキャッシュバックを適用すれば安くなるだとか、料金体系が複雑すぎます。今のプロバイダは新規で契約しなおしても、キャッシュバックキャンペーンは適用されない、なんて制約もあったり。

私は動画はほとんど見ませんので、通信速度は速くなくていいです。

前回契約したときのルーターはWX03という機種ですが、今ではWX05やW06なんて機種になっているみたいですね。

ルーターの通信速度は遅くてもいいので、その分バッテリーの持ちがよくて通信料金が安い方が助かります。

私と同じように思っている人は多いんじゃないでしょうか。

そうはいっても、ルーターの性能が上がるにつれて、みんながよく見るYahoo!のようなWebサイトの動画広告の画質も上がって、ますます高機能のルーターが必要になって行く、というサイクルは変わらないのでしょう。

自国の人も驚くような風景や映像でないと海外の人も驚かなくなると思っています

先日行われたヴィッセル神戸対サガン鳥栖のサッカーの試合のあとに、元スペイン代表のイニエスタ、ビジャ、トーレスの三選手が顔を合わせたときの写真を公開して、海外のファンが大騒ぎしているそうですね。

私はサッカーのことはあまりよく知りませんが、ニュースで話題になっていたのですごい選手たちだということは分かります。

サッカーファンならば「何でこのビッグスリーが日本にいるんだ?」ってことになるのでしょうね。

何年か前に、F1ドライバーのフェルナンド・アロンソが山手線に乗っている写真をインターネットに公開したときも、海外のF1ファンが「なぜ大騒ぎにならないんだ?」みたいな書き込みをしていて、日本は不思議に思われているんだろうなと感じたものです。

確かに自国の英雄が自国ではありえない状況で日本で過ごしているのを見ると、不思議だろうなとは想像できます。

逆に、例えば初音ミクのようなホログラムのライブに日本人の観客が熱狂している映像は、海外の人も不思議に思うだろうなとも思います。

私自身は初音ミクの音楽はたまに聴きますし、人間が歌うよりもいいなと思うこともあります。実際に、合成音声ならではの歌声の方が感動する音楽もあると思っています。

おじさんたちがタバコを吸いながら談笑している風景に昭和を感じていました

今日近所のスーパーに行って、夕食を買って外に出たら雨がしとしと降っていました。

出入り口の隣に設置されている屋根付きの自転車置き場に行ったら、仕事帰りと思しき作業服を着た男性三人がタバコを吸いながら談笑していました。

久しぶりに嗅ぐタバコの臭いとこの状況に、昭和を思い出してしまいました。

私はタバコは吸いませんが、吸っている人が隣りにいても特に嫌悪感のようなものは感じません。

三十年くらい前は、オフィスやお店でタバコを吸う人の姿は普通に見かけていたような気がします。

当時も健康への影響はいわれていたと思うので、吸う人も周りを気にしながら吸っていたとは思いますが。

今思い出したんですが、それよりも前の大学時代、同級生の多くはタバコを吸っていました。

部室でも部活動をしながら吸っていましたし、バンドのメンバーもミーティング中は吸っていた記憶があります。

誰かがいっていたのですが、難しい顔をして「フーッ」と煙を吐いているときって何も考えていないんですよね?

私はタバコを吸わないのでその気持は分かりませんが、でもそういうのは何だかいいなと思っていたものです。

情報が氾濫していなかった時代の決算セールのワクワク感が懐かしいです

今日郵便受けを見たら、ある家電量販店から「本決算特別セール」と書かれた派手なハガキが来ていました。

そういえば最近は「決算大セール!」みたいなCMってあまり見なくなったような気がします。

私が子供の頃は、CMでも新聞広告でもお店ののぼり旗でも「決算」の文字が踊っていた記憶があります。

決算の意味は分からなくても、何かお祭りのような雰囲気を感じていました。

基本的にはいくつかの安い商品を用意して景気のいい飾り付けをして、お客さんの購買意欲を高めようということなんだと思います。

今はインターネットを使えば価格.comなどで最安値の比較ができますし、Amazonや楽天市場に行けば大概安い商品を見つけることができます。

そういう意味では、毎日が決算セールということなのでしょう。

ただ決算セールに喜んで出かけていたときは、もちろん安く買えることを期待していたのでしょうが、お祭りのような雰囲気も楽しみにしていたように思います。

盆踊りや縁日とまではいいませんが、そんな感じだったんじゃないでしょうか。

インターネットもない時代、チラシなどでしか情報を得ることができない人たちが、期待に胸膨らませながら集うからそうなるわけです。

献血ルームの雰囲気も三十年前とはずいぶん変わりました

今日用事で天神に行った際に、時間があったので久しぶりに献血をしてきました。

献血ルーム行くたびにいつも思うのですが、スタッフの方がとても丁寧に健康状態をはじめとしていろいろなことを確認されます。

事故があってはならないので念には念を入れて、ということなのでしょうが、あまりに丁寧に対応されるのでこちらが気の毒になります。

献血の前にはまず健康診断をする部屋に呼ばれ、それが合格すれば血液検査に呼ばれます。どちらも白衣なのでお医者さんでしょうか。

献血の注射の針を刺すときは、チクッとしますので気分を楽にしてください、というようなことを何度かおっしゃるのですが、注射の針を抜くときも同じように何度かおっしゃいます。

献血の直前と直後は注意事項が書かれたパンフレットを見せてもらえますし、献血中は足の運動のパンフレットも見せてもらえます。

コーヒーやジュースやお菓子も自由に飲み食いしていいですし、帰りにお礼の品物ももらえます。

私が献血をするのは、血圧を測ってもらえたり、後日血液検査の結果を送ってもらうためです。大して痛くもないし体調も変わらないので、気が向いたときに寄る感覚です。

なのでこんなに丁寧に対応されると、逆に恐縮してしまいます。

ロボットなどが普及すると「ポツンと一軒家」のような番組は成り立たないかもしれません

夕食時に朝日放送系列でやっている「ポツンと一軒家」というテレビ番組を見ていました。

テレビをつけたらちょうどやっているときが多く、山の中の静かな自然環境が穏やかな気持ちにさせてくれるのでよく見ます。

なかには一軒家に高齢の方が住んでいたりして、食事の買い出しや病院などはどうするのだろうとちょっと心配になるときがあります。

しかし考えてみると、この番組ってGoogle Earthの衛星写真で見つけた一軒家を訪ねて行くという企画ですよね。

こんな精巧な衛星写真が一般の人にも使えるようになって始めて成り立つ番組です。

さらにいえば、スタッフの方が山の中の道なき道をクルマで走行しているのを、ドローンを使って俯瞰で撮影していたりします。

山奥の一軒家を、麓の住人などに尋ねながら探し当てるというアナログな内容と、これらのハイテク機器との対比が面白いなと思いました。

あと何年かすると、家事をするロボットや自動運転車が当たり前になって、このような一軒家に住んでいる人の生活はぐっと便利になるかもしれません。

唯識仏教や易経に興味を持ったのはITとは対極の世界を欲したからかもしれません

インターネットでKotlinのことを調べていたら、Androidアプリの開発だけではなく、バックエンドやサーバサイドにも使われてはじめているという記事をいくつか見かけました。

その中には「今注目すべきフレームワークは?」というような記事もあり、フロントエンドにはReact、Vue、Angularなどが挙げられていました。

私はWebフレームワークのことを調べなくなって何年も経っているので分からないことばかりなのですが、中にはJQueryは最適な選択肢ではないかもしれないとする記事もありました。

ああ、そうなんですか。

一時期は、JavaScriptライブラリといえばJQueryが真っ先に挙げられていたと記憶していますし、それもほんの数年前だった気がします。

私はほとんど使ったことがないのですが、一緒にWebサイトを作っていた人がJQueryをよく知っていたので覚えているんですね。

なぜこんなことを書いているかというと、今日竹村牧男著「「成唯識論」を読む」(春秋社)という本を読んでいて、それと比べてしまったからなんです。

「成唯識論」は1500年ほど前に書かれたもので、とても長い原典のほぼすべての内容を竹村さんが解説しています。

ヒカシューの「20世紀の終りに」を聴いていた当時21世紀の世界を想像できませんでした

深夜にインターネットで学生の頃流行った音楽を聴いていたら、急にヒカシューのことを思い出して「20世紀の終りに」を聴きたくなりました。

巻上公一さんの歌舞伎の喋り方のような歌声。懐かしい・・・。調べてみると1979年の曲なんですね。

確かにこの頃あたりから、世間も徐々に21世紀のことを意識し始めていたような気がします。

シブがき隊も「じたばたするなよ 世紀末が来るぜ」と歌っていました。この曲は1982年とのこと。

今思い出しましたが、高校のときの体育の先生が何の話だったか「君たちが21世紀を迎える頃は、男として油の乗り切った年齢だから・・・」みたいなことをおっしゃっていました。

当時はまだ先の話だなー、なんて思っていたのですが、来年は2020年。2000年に生まれた人が二十歳になってしまいます。

子供の頃は、21世紀になるとSF映画のような世界になっていると想像していたのですが、実際には何も変わりませんでした。

それどころか昭和の生活と変わらないじゃないか、と思ったものです。

しかし21世紀になってから20年近く経ってみると、少しずつSFのような話も聞くようになりました。

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