時代の変化

いつから日本人はこんなに歯のことを意識するようになったのか考えていました

先日、親に買い物のついでに歯ブラシを買ってきて欲しいと頼まれて、商品名をメモしてディスカウントショップに行ってきました。

歯ブラシには「デンターシステマ」という商品名と番号が書いてあったのですが、お店にズラッと並んでいる商品を見ても同じ番号のものが見当たりません。

歯ブラシのヘッドがコンパクトかレギュラーか、毛がふつうかやわらかいか、毛並びが三列か四列か、などで番号が変わるようです。

いつも使っているということは気に入っているということでしょうから、違うタイプのものを買ってもしょうがないですよね。

今日ドラッグストアに行って、同じ番号のものを見つけたので買ってきました。

私もいつも磨いているときは、ヘッドがコンパクトなものと普通のものを使い分けています。

こだわるつもりはなかったのですが、お店でたくさんの種類の歯ブラシを見ると、自分に向いているものを意識してしまうんですよね。

私が子供の頃は、歯ブラシといえばメーカーが違うだけで、ヘッドのサイズも毛の硬さも一種類しかなかったように記憶しています。

小学校に歯の磨き方を指導するお姉さんが来ていたので、磨き方を知らない子供もいたということなのかもしれません。

扇風機が単に風で涼む機械から心地よくさせてくれる装置に進化していました

最近暑い日が続いていますが、今日もすごく暑かったので、近所のヤマダ電機に親の部屋で使う扇風機を買いに行きました。

小さめで操作もシンプルそうなのでPanasonicの製品にしました。

なになに?最近のはリモコンまで付いているんですか。しかもキャッシュカードのように異様に小さくて薄い。

電池なんて入らないんじゃない?と思って電池ホルダーを引き出してみたら、何とボタン電池が。

今はこうなっているんですか・・・。

確かに電源のON/OFFや風量の切り替えくらいしかないので、このサイズで十分なんですね。

親はさっそくリモコンで操作しているので、やっぱり便利なのでしょう。

それに風量に「1/fゆらぎ」というのが追加されています。

お店のPOP広告に、ぜひ使ってみてください的なことが書いてあったので設定してみたのですが、しばらくして親に聞くと「風が気持ちいい」とのこと。

ふ〜ん、と思ってインターネットで調べてみると、確かにとても評判いいですね。

単に「ブーン」と涼しい風が吹く扇風機を買いに行ったつもりなのに、今の扇風機は心地いい気分にしてくれる装置に進化しているようです。

照明器具を買いに行って蛍光灯の商品がないことに驚きました

居間の天井照明の電球が切れたので新しいものを買いに行きました。

切れたのは何年も前に親が買ってきたもので、和風のよくある照明器具なんですが、蛍光灯ではないようなので切れたときどうするんだろう?と前々から疑問に思っていたのです。

案の定、親もよく分からないよう。

しかし近所のヤマダ電機に行ってびっくり。切れたものと同じで、蛍光灯ではないタイプしか売っていません。

店員さんに蛍光灯の照明はないんですか?と聞くと、今はこのタイプしかないとのこと。

何でもLEDらしく、電気代が安くて6、7年持つらしい。

おお、そうなんですか・・・浦島太郎状態でした。

ということは、蛍光灯も今後は使われなくなって行くということなんですね。白熱電球を使わなくなって随分経ちますが、蛍光灯も使わなくなるとは。

こんな感じで、私もだんだん時代に対応できなくなって行くのかもしれません。

今の若い人たちは固定電話の使い方が分からないと聞いたことがあるんですが、使い方を見たことがなければそうなりますよね。

チャンネルをガチャガチャ回すテレビも分からないと思います。

冷蔵庫も洗濯機も、私が子供の頃に見ていたものと今のものとではかなり変わりました。

出張修理の方がiPadでカード決済などすべての手続をされたので驚きました

家の冷蔵庫が故障したので、今日出張修理に来てもらいました。

技術者の方によると、製氷機で水道水以外のものを凍らせたのが原因だとか。家族が水以外の氷を作っていたので、それが怪しいとは思っていたのです。

修理も終わって費用を支払うとき、その方がiPadを取り出しました。

今はこれでサインからカード決済、領収書発行まで全部その場でできるとのこと。

サインはiPadの画面に指で書きますし、カードはiPadに接続したアダプターで読み取ります。

ハンディプリンタで修理明細書と領収書を印刷して終わり。・・・すごい。

何でも、現場では現金のやり取りをしないことになっているのだとか。

その方によると、高齢者の方は「○千円なんて今払うよ」とおっしゃるらしい。

そうですよね。昔はその場で修理代を払うのが普通でしたし、ましてや液晶画面を差し出されて「ここに指でサインしてください」といわれたら戸惑うと思います。

私はアプリの仕事をしていますので、このような仕組みは理解できますが、80代や90代になって全く仕組みが理解できない機械を取り出されたら、どういう気持ちになるのでしょう。

物心付いた頃の身の回りの世界を再現するには物語を作るしかありません

今日久しぶりに同世代の知人と天神で飲みました。

博多どんたくの真っ最中で、天神はとんでもない人出です。

お互いの近況などを語り合っていると、最後には年を取ったという話に落ち着きます。

元号が変わったこともあって、いつもより昔の話が多かったです。

特に印象に残ったのは、物心付いたときに白黒テレビはあったか?ということ。

私のうちにはなかったように思うのですが、彼はあったといいます。帰ってきて親に確認したらあったらしい。

インターネットで調べてみると、さすがに1960年代には普及していたようなので、うちにもあったのでしょう。

物心付く年齢って三歳くらいですかね。

その頃は記憶があるといっても断片的なもので、はっきりしたものではありません。

なので記憶が曖昧になるのはしょうがないと思うのですが、今の若いお父さん、お母さんはしょっちゅう我が子をカメラや動画に収めていますよね。

そういう意味では、今の若い人は、物心付く前の自分の行動や周りの環境を写真や動画によって知ることができるわけです。

令和の時代は戦争も大きな災害もない平和な世の中であって欲しいです

昨日、作業も終わって寝る準備を始めながらテレビを点けたら、ほとんどのチャンネルが令和へのカウントダウンを始めていました。

何だか年末みたいだなと思って見ていたら、日付が変わる頃に渋谷のスクランブル交差点の映像が。

ものすごい人出で警察官の方がクルマの上の高い所から平静を呼びかけています。

どうなるんだろうと思っていたら、日付が変わっても特に変化なし。お祭り騒ぎというわけではなかったようです。

考えてみれば、年末にしろハロウィンにしろ、毎年行われるイベントは経験の蓄積がありますので、その経験をもとに時間をかけて準備できますが、こんなに平和に元号が変わるのは現代の人にとっては初めてのことですので、準備のしようがありません。

それでも歴史的瞬間に立ち会えてよかったなと思います。

新しい天皇陛下は私より少しお年が上ですが、いよいよ近い世代の方が即位されたんだなぁとちょっと感慨深くなりました。

新しい元号に変わるときは、毎回みんな平和な世の中であって欲しいと願うんじゃないでしょうか。平成が始まるときもそうでした。

幸い戦争は起きませんでしたが、大きな災害に見舞われました。私も平成が始まって十年くらいは、人生の中で最も激動の時代だったと思います。

時代の移り変わりを感じることが身の回りで起きると感慨深さも違います

元号が変わったりお札が新しくなったりするニュースを聞くと、時代は移り変わって行くんだなぁと感慨深くなります。

私が子供の頃に活躍されていた歌手や俳優さんたちが亡くなるのを知るたびに、同じように感じてしまいます。

元号やスターの方々は自分にとって遠い世界ですが、身近なところでも同じように感じることがよくあります。

今日、団地の回覧で回ってきた組長の順番予定表にも、時代の移り変わりを感じました。

組長というのは一年ごとに持ち回りで担当して、団地の決め事などを各家庭に報告する、どの団地にもあるような当番制度です。

私は小学校の頃にこの団地に引っ越してきたので、親たちがやっていました。

それが今では自分たちの世代がやるようになってきています。

一つの組は十数世帯で構成されているので、前回は私の親が担当していたのですが、今度回ってくるときは私がやることになります。

仕事の内容からすれば定年退職された方が十分やれることなので、自分たちの親はずいぶん長い間組長をやっていたことになりますね。

それだけ親の世代が高齢になったということなのでしょう。

若い頃に利用していたお店で買った荷物が届いたので当時のことを思い出していました

少し特殊な道具が必要になったのですが、ちょっと離れたホームセンターにしか売っていないものなので、インターネットで注文して今日荷物が届きました。

購入したお店はアスクルさん。

私が会社に所属していた頃、文房具が必要になって事務のOLさんにお願いすると、いつもここに注文していたのを覚えています。なので随分昔からあるんですよね。懐かしい・・・。

ネットでこの会社を調べてみると、1993年にプラス株式会社アスクル事業部が首都圏で事業を開始とありますので、その頃かなと思います。

OLさんから「明日来るからアスクルなんじゃない?」といわれて「なるほどぉ」と驚いた記憶があります。

当時はパソコンレンタルとか、インターネットプロバイダ、レンタルサーバーのような新しいジャンルの会社が次々に生まれていた時代で、私も二十代後半から三十代になるくらいの年齢なので、世の中にはいろいろな職業があるなといつも感心していました。

そのような新しく生まれる会社を横目で見ながら、自分も独立して○○のようなソフトを大ヒットさせたいとか、評判のいい音響機器を作るメーカーになりたいとか、いろいろ夢を膨らませていました。

今ある情報をもとに最善を尽くしても思ってもみないことというのは起きるのでしょうね

今日打ち合わせに行ったところは社長さんのご自宅兼事務所。かなり昔に整備された住宅地にありました。

私の自宅と同じように、高度経済成長期に分譲されたものですので、お話を聞くと住民は高齢の方ばかりとのこと。

私の自宅より都心に近く、高級住宅地として知られているところですが、高台にあるため坂が多いです。

なので外出をする際にはクルマが必須とのこと。

同じような時期にできた、坂の多い高級住宅地が実家の同級生を何人か知っていますが、昭和四十年代にはそのような住宅地が日本中に次々に誕生していたんだと思います。

うちの団地は平地に建っているのでクルマがなくても何とかなっているのですが、高級住宅地とは程遠い交通の不便な田舎であったことが幸いしたのかもしれません。

親に聞くと、購入した当時は若くて給料もそんなにないため、手頃な住宅地が売りに出されたと聞けば、抽選に申し込みが殺到していたのだとか。

そのような状況なので、将来自分たちが高齢者になったときに、坂が多ければ外出が大変になるなんてことは考えたこともなかったそうです。

確かに引っ越してきた当時は、近くのファミリーレストランに行くと若いファミリーばかりだった記憶があります。

私にとって平成は社会の仕組みが変わるといわれ続けて変わらなかった三十年でした

今さらですが平成元年は1989年なんですね。

まだバブルが弾ける前で、私は二十代後半。この頃から三十歳くらいまでが、人生の中で一番仕事をしていた時期でした。

このあと、「このまま一生会社に居続けていいのか」と思い悩んだ末に独立することになるので、平成が始まってから五年ほどの間が人生のターニングポイントだったように思います。

バブルの崩壊は1991年といわれているようですが、その辺りから昭和も終わって時代が変わる、終身雇用や年功序列なども終わる、といわれていたように思います。

ITの世界もPC-9801からDOS/Vパソコンに変わる、MS-DOSからWIndowsに変わる、パソコン通信が当たり前の時代になる、・・・。

このような世の中の変化も、独立の決断を後押ししたように思います。

実際にインターネットが普及したり、携帯電話もiモードやJavaを使ったゲームなどができるようになったりと、確かにIT技術はどんどん進化して行ったのですが、終身雇用や年功序列のような社会の仕組みはほとんど変わらなかったように感じます。

2008年にはリーマンショックのような経済的に大きな事件もあり、私のような小さな会社は大きな影響を受けました。