物心付いた頃の身の回りの世界を再現するには物語を作るしかありません

今日久しぶりに同世代の知人と天神で飲みました。

博多どんたくの真っ最中で、天神はとんでもない人出です。

お互いの近況などを語り合っていると、最後には年を取ったという話に落ち着きます。

元号が変わったこともあって、いつもより昔の話が多かったです。

特に印象に残ったのは、物心付いたときに白黒テレビはあったか?ということ。

私のうちにはなかったように思うのですが、彼はあったといいます。帰ってきて親に確認したらあったらしい。

インターネットで調べてみると、さすがに1960年代には普及していたようなので、うちにもあったのでしょう。

物心付く年齢って三歳くらいですかね。

その頃は記憶があるといっても断片的なもので、はっきりしたものではありません。

なので記憶が曖昧になるのはしょうがないと思うのですが、今の若いお父さん、お母さんはしょっちゅう我が子をカメラや動画に収めていますよね。

そういう意味では、今の若い人は、物心付く前の自分の行動や周りの環境を写真や動画によって知ることができるわけです。

私のように、写真があるとすれば七五三のようなイベントのときしかない世代にとって、物心付く頃の身の回りの世界を再現するには、僅かな記憶とそれ以外は物語を作るしかありません。

今日は友達や親と、身の回りの世界がどのようなものだったかを、ああでもないこうでもないと長い時間かけて話し合っていました。

今の若い人は、自分の写真や動画を端末に映したり、インターネットで当時の情報を調べたりすることで、身の回りの世界をリアルに再現できるんでしょうね。

私が生まれた時代は遥か昔だなぁ、と再認識した日でした。