深層心理

車検証を一時抹消登録しても楽しんで整備している人がいたりします

今日は久しぶりに晴れて風もなく、時間の余裕もあったので、バイクに油をさしたりして点検していました。

もう三年ほど前になりますが、自転車でコケて顔面骨折して入院したあとに、バイクに乗るのが怖くなって車検証を返納しました。

当時は忙しくてバイクに乗るどころじゃなかったですし、入院中同じ病室でバイク事故にあった方々のあまりにひどい怪我にショックを受けたからです。

それ以来、いつか再登録して再び乗るときのために、定期的にサビなどのチェックをしているんですね。

売ることはあまり考えませんでした。やっぱりバイクが好きだからです。

とはいうものの、いつか乗るときのために自動車検査証返納証明書をもらう手続きをするなんて、あまり聞いたことがありません。

あとで「やっぱりあのとき売っておけばよかった」と後悔するんじゃないか、という不安もよぎりました。

でも自分のバイクもバイクに乗ることも好きだし、試してみるのもいいかなと考えたんですね。

その結果、三年経った今でも全く後悔していません。

たまにバイク雑誌に載っている自分のと同じ車種を見てニンマリしています。

○○の日だから○○しなければというルールに距離を置きたい時代の気分があるのでしょうか

先程思い出したのですが、今日は3月14、ホワイトデーだったんですね。

Yahoo! JapanにもMSN Japanにもそれらしい記事がなかったので気が付きませんでした。

夕食を買い出しに行ったスーパーや、買い物に寄ったディスカウントストアでも気付かなかったので、特に販売コーナーを設けてはいないのでしょう。

ホワイトデーの名前は随分昔からあったと思うのですが、定着しているとはいえないかもしれません。

そういえば恵方巻きも、一時期は盛り上がっていたように記憶しているのですが、去年辺りから売れ残ったものが大量廃棄されている問題の方がニュースに取り上げられている印象があります。

その一方でハロウィンはここ数年、すごく盛り上がっているような気がします。

私にはトレンドを分析する力はありませんので、どういう理由でそうなっているのかは分かりませんが、人為的に流行を作るのは至難の業なんでしょうね。

そもそも私が子供の頃は、プレゼントをしたりお祝いをしたりする日って、盆と正月以外は、父の日や母の日など数えるほどしかありませんでした。

クリスマスでさえケーキを買うぐらいで、今のように街中にきらびやかな装飾が施されることもなかったように記憶しています。

髪が伸びるまで切らないのは子供の頃からヒッピー文化に興味があるせいかもしれません

髪が伸びたのでそろそろ散髪に行こうかと思って、ふと気付いたことがありました。

私は髪の毛で耳が完全に隠れてしばらくしてから散髪に行くことが多いです。それは学生の頃からあまり変わりません。

親はいつも軍人さんのように短く刈り上げていて、若い頃の写真を見ても同じですので、親の遺伝ではありません。

親戚にも私のように伸びっぱなしで平気な人はいませんし。

単に無精なんだろうと思ったのですが、学校や会社では遅刻も欠席もほとんどしたことがありませんし、締め切りなどの約束事も守っていますので(当たり前か・・・)、性格が無精というわけでもないように思います。

おととい洋楽の話を書いたのを思い出して、もしかすると中学に入った頃から読んでいたミュージック・ライフなどの洋楽雑誌の影響で伸ばすようになったのかな、何てことも考えました。

ロックミュージシャンはみんな髪が長いですからね。

親戚にはマイケル・ジャクソンが好きとか、サイモンとガーファンクルの昔の曲が好きとかいう親戚はちらほらいましたが、ディープな洋楽好きやバンドを組んでいた親戚はいません。

とはいえ洋楽好きがみんな髪が長いなんてことはありません。長い知人も結構いますが。

みんなと同じことにお金を使えば後悔や罪悪感を感じなくて済むのかもしれません

昨日はある商品を買ったあと、その商品が他のお店で安く売られているのを見つけても、よく使うモノであれば損をした気にはならないということを書きました。

同じことは、たくさん投資したのに今使っていないモノについても、使い倒したという感覚があれば損をした気にはならないように思います。

昔MD(ミニディスク)をいう規格がありましたが、私もそれを持っていて、片っ端からレンタルCDなどを借りてそれに録音していました。

今でもそのときのMDディスクが百枚単位で残っています。

MDのポータブルプレイヤーはとっくに壊れてしまいましたし、ミニコンポで聴くことはできますが、音楽を聴くのは外出時がほとんどなので聴く機会がありません。

しかしMDは聴き倒したので元を取ったような感覚があります。

LPレコードもそうですね。学生の頃から一番お金を使ったと思いますが、世の中がCDに移行する時期に売ってしまいました。

こちらもMDと同じ感覚で、損をしたという気持ちはありません。

学生の頃といえば、学習参考書や辞書については買って損をしたという気持ちはあります。

全然成績が上がらないので、「これがいい」という話を聞けばその参考書や辞書を買っていました。

同じ商品を割高に買ったとしても使い倒せば損をした気にはなりません

今日ドラッグストアに寄ったので、最近飲み始めたトクホのドリンクセットを買っておこうと思って価格を見たら、近くのディスカウントストアより400円近く高かったので買うのをやめました。

千円以下で買える商品がこれだけ違うと、さすがに驚いてしまいます。

気になったので、帰る途中にある別のディスカウントストアに寄ってみると、いつも行くディスカウントストアより100円安い。

ラッキーと思って買って帰りました。

こんなことを書いたのは、実は昨日買った小型PCが、買ってしばらくして別のお店で4千円安く売られていたのを見つけたからです。

3万円前後の商品なので、ずいぶん値段が違う感じがします。

ただ、私は昔からパソコンやタブレットを買うと使い倒しているので、もし割高に買ったとしても元が取れると思うと残念な感覚はありません。

逆にいくら安く手に入れたとしても、使わないで置物になってしまうモノはもったいないと思います。

ずいぶん昔、衝動的に一眼レフカメラをディスカウントストアで安く手に入れたのですが、使ったのは最初のうちだけで、ほとんど使わずにしまってあります。

電子ピアノもそうです。

「やりたいことをやりきった」人というのは死ぬときどう思うのでしょうか

昨日は楠木新著「定年後」(中公新書)に書かれている、京都大学カ―ル・ベッカー教授の講演内容のエピソードを読んで驚いたというお話をしました。

功なり名を遂げた大半の人が、「自分の誇れるものは何か」という臨終前のインタビューで、幼い頃の思い出を語るというもの。

私はそれまで「死ぬときに後悔する○○のこと」というようなタイトルの本やネットのコラムで、「行きたい場所に行かなかったこと」とか「やりたいことをやらなかったこと」というような回答をする人が多いという話に、信憑性を感じていたからです。

インタビューを受けたのは、自他共に認める「功なり名を遂げた」という人が前提でしょうし、少なくとも「やりたいことをやらなくて」後悔している人ならば、「死ぬときに後悔する○○のこと」のような回答をしているんじゃないかと思います。

インタビューを受けた人の中には、完璧に「やりたいことをやりきった」人はいないかもしれませんが、それに近い人はいたんじゃないか。それにも関わらず大半が幼い頃の思い出を語るとは・・・。

もしかするとインタビューを受けた人たちの中に「やりたいこと」で功を成した人はいなかったのかもしれませんし、そもそも人間は「やりたいことをやりきった」なんて感情を臨終のときまで持ち続けることはできないのかもしれません。

「死ぬときに後悔する○○のこと」がないとしたら何を思うのか考えてしまいました

今日インターネットを見ていたら、ダイヤモンド・オンラインでちょっと驚くコラムを見つけました。

話題になった本「定年後」(中公新書)の著者、楠木新さんのコラムで、驚いたのはこの本から抜粋されている次の部分。

京都大学で日本人の往生感を研究しているカ―ル・ベッカー教授の講演を聞いたことがある。功なり名を遂げた人に臨終の前に「自分の誇れるものは何か」とインタビュ―すると、仕事や会社のことを話す人はいないという。大半が「小学校の頃、掃除当番をきっちりやった」など幼い頃の思い出を語るらしい。

以前このブログで、「死ぬときに後悔する○○のこと」というような本について書いたことがあります。

ネット上にも同じようなコラムを見かけますが、「行きたい場所に行かなかったこと」とか「やりたいことをやらなかったこと」など、似たような項目が挙げられていて、ああやっぱりほとんどの人が同じようなことを後悔するのか、とても考えさせられました。

逆にいえばそれらを叶えることができた人たちもいるのでしょうから、そのような人たちは、少なくとも死ぬときにこのような後悔はしないわけですね。

今後いろいろな形態のAI機器に接するにつれて人間の心理が分かってきそうで面白いです

もう1、2週間前になりますが、Raspberry Piで音声認識をさせるために、Juliusの簡単な辞書を作ったことを書きました。

次の段階は、認識した言葉を取得して天気予報などを喋らせることだと思いますが、それにはモジュールモードなるものがあるとのこと。

今日それをやってみました。

みなさん考えることは同じで、インターネット上には豊富に情報があります。

何でもJuliusの起動オプションに-moduleを付ければいいのだとか。Juliusがサーバーとして動作し、認識結果をXMLで送信してくれるようになります。

ネット上にあるサンプルを元に、先日作った辞書を読み込んで試してみたのですが、ほとんど上手く行くものの、何度かに一回はParseErrorが出てしまいます。

どうも余計なXML文を読み込んだときに吐き出すエラーらしい。

まあいっか。他に作業があることだし。今日はここまでにします。

ネットを見ていると、Raspberry Piに「ちゃん」づけしている人が結構いるようですね。気持ちは分かります。

強すぎる想像や妄想という性質だからこその喜びや感動があると思います

以前にも書きましたが、仕事などに役立つ自分の強みを教えてくれるストレングス・ファインダーをやってみて、五つのうち最初に来たのが「戦略性」でした。

物事に対する特殊な見方。あなたは常に「こうなったらどうなる?では、こうなったらどうなる?」と自問しています、というような説明があります。

確かに私にはそういうところがあるのですが、ストレングス・ファインダーをやった人が「他の人も自分と同じだと思っていた」というように、指摘されるまでは意識しませんでした。

しかしこのような性癖は、いつも何かを想像している人にはありがちなことではないかとも思います。なかには取り留めのない妄想になっている人もいるかもしれませんが。

このような資質が仕事に役立つ部分もあるのでしょうが、想像や妄想は極度の恐怖感や不安感のようなマイナス面も生み出します。

私もそうでしたが、社会生活に支障をきたすほど苦しんでいる人は、本やインターネットの情報に何らかの助けを求めます。

よく見かけるのは、「想像力のある人は芸術家などのクリエイティブな仕事に向いています」というように結んでいるWebサイトです。

もちろん芸術家は想像力がないと作品は生み出せないとは思いますが、誰もが芸術家になれるわけではありません。

恐怖感や不安感を助長する想像や妄想の力も悪いものではないなと思っています

本などの情報で、恐怖感や不安感のような感情は妄想だということは、頭では理解しているつもりです。

禅に「莫妄想(まくもうぞう)」という言葉もありますね。妄想しないで今やるべきことをやりなさい、という意味のようです。

一方で、このような感情は人間が危険を察知して生き延びるために必要な能力であって、本能を抑えることは難しいとも聞きます。

そうはいいつつも、ほとんどの人は問題なく社会生活ができているのであって、そのような感情とうまく折り合いをつけながら生活しているわけですね。

しかし、中には社会生活に支障をきたすほど折り合いをつけられない人もいて、このような症状は不安障害とか神経症などと呼ばれているようです。

私も経験者なのでその辛さは分かります。

原因はいろいろ考えられるのでしょうが、想像力というか妄想力というか、それがとても強いと子供の頃から感じていました。

恐怖感や不安感のような感情は想像や妄想が助長する、というようにもいわれています。

最近、子供の頃からの自分の考え方や行動を省みて、この想像や妄想が思いの外大きく影響しているなと思っています。

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