深層心理

みんなと同じことにお金を使えば後悔や罪悪感を感じなくて済むのかもしれません

昨日はある商品を買ったあと、その商品が他のお店で安く売られているのを見つけても、よく使うモノであれば損をした気にはならないということを書きました。

同じことは、たくさん投資したのに今使っていないモノについても、使い倒したという感覚があれば損をした気にはならないように思います。

昔MD(ミニディスク)をいう規格がありましたが、私もそれを持っていて、片っ端からレンタルCDなどを借りてそれに録音していました。

今でもそのときのMDディスクが百枚単位で残っています。

MDのポータブルプレイヤーはとっくに壊れてしまいましたし、ミニコンポで聴くことはできますが、音楽を聴くのは外出時がほとんどなので聴く機会がありません。

しかしMDは聴き倒したので元を取ったような感覚があります。

LPレコードもそうですね。学生の頃から一番お金を使ったと思いますが、世の中がCDに移行する時期に売ってしまいました。

こちらもMDと同じ感覚で、損をしたという気持ちはありません。

学生の頃といえば、学習参考書や辞書については買って損をしたという気持ちはあります。

全然成績が上がらないので、「これがいい」という話を聞けばその参考書や辞書を買っていました。

同じ商品を割高に買ったとしても使い倒せば損をした気にはなりません

今日ドラッグストアに寄ったので、最近飲み始めたトクホのドリンクセットを買っておこうと思って価格を見たら、近くのディスカウントストアより400円近く高かったので買うのをやめました。

千円以下で買える商品がこれだけ違うと、さすがに驚いてしまいます。

気になったので、帰る途中にある別のディスカウントストアに寄ってみると、いつも行くディスカウントストアより100円安い。

ラッキーと思って買って帰りました。

こんなことを書いたのは、実は昨日買った小型PCが、買ってしばらくして別のお店で4千円安く売られていたのを見つけたからです。

3万円前後の商品なので、ずいぶん値段が違う感じがします。

ただ、私は昔からパソコンやタブレットを買うと使い倒しているので、もし割高に買ったとしても元が取れると思うと残念な感覚はありません。

逆にいくら安く手に入れたとしても、使わないで置物になってしまうモノはもったいないと思います。

ずいぶん昔、衝動的に一眼レフカメラをディスカウントストアで安く手に入れたのですが、使ったのは最初のうちだけで、ほとんど使わずにしまってあります。

電子ピアノもそうです。

「やりたいことをやりきった」人というのは死ぬときどう思うのでしょうか

昨日は楠木新著「定年後」(中公新書)に書かれている、京都大学カ―ル・ベッカー教授の講演内容のエピソードを読んで驚いたというお話をしました。

功なり名を遂げた大半の人が、「自分の誇れるものは何か」という臨終前のインタビューで、幼い頃の思い出を語るというもの。

私はそれまで「死ぬときに後悔する○○のこと」というようなタイトルの本やネットのコラムで、「行きたい場所に行かなかったこと」とか「やりたいことをやらなかったこと」というような回答をする人が多いという話に、信憑性を感じていたからです。

インタビューを受けたのは、自他共に認める「功なり名を遂げた」という人が前提でしょうし、少なくとも「やりたいことをやらなくて」後悔している人ならば、「死ぬときに後悔する○○のこと」のような回答をしているんじゃないかと思います。

インタビューを受けた人の中には、完璧に「やりたいことをやりきった」人はいないかもしれませんが、それに近い人はいたんじゃないか。それにも関わらず大半が幼い頃の思い出を語るとは・・・。

もしかするとインタビューを受けた人たちの中に「やりたいこと」で功を成した人はいなかったのかもしれませんし、そもそも人間は「やりたいことをやりきった」なんて感情を臨終のときまで持ち続けることはできないのかもしれません。

「死ぬときに後悔する○○のこと」がないとしたら何を思うのか考えてしまいました

今日インターネットを見ていたら、ダイヤモンド・オンラインでちょっと驚くコラムを見つけました。

話題になった本「定年後」(中公新書)の著者、楠木新さんのコラムで、驚いたのはこの本から抜粋されている次の部分。

京都大学で日本人の往生感を研究しているカ―ル・ベッカー教授の講演を聞いたことがある。功なり名を遂げた人に臨終の前に「自分の誇れるものは何か」とインタビュ―すると、仕事や会社のことを話す人はいないという。大半が「小学校の頃、掃除当番をきっちりやった」など幼い頃の思い出を語るらしい。

以前このブログで、「死ぬときに後悔する○○のこと」というような本について書いたことがあります。

ネット上にも同じようなコラムを見かけますが、「行きたい場所に行かなかったこと」とか「やりたいことをやらなかったこと」など、似たような項目が挙げられていて、ああやっぱりほとんどの人が同じようなことを後悔するのか、とても考えさせられました。

逆にいえばそれらを叶えることができた人たちもいるのでしょうから、そのような人たちは、少なくとも死ぬときにこのような後悔はしないわけですね。

今後いろいろな形態のAI機器に接するにつれて人間の心理が分かってきそうで面白いです

もう1、2週間前になりますが、Raspberry Piで音声認識をさせるために、Juliusの簡単な辞書を作ったことを書きました。

次の段階は、認識した言葉を取得して天気予報などを喋らせることだと思いますが、それにはモジュールモードなるものがあるとのこと。

今日それをやってみました。

みなさん考えることは同じで、インターネット上には豊富に情報があります。

何でもJuliusの起動オプションに-moduleを付ければいいのだとか。Juliusがサーバーとして動作し、認識結果をXMLで送信してくれるようになります。

ネット上にあるサンプルを元に、先日作った辞書を読み込んで試してみたのですが、ほとんど上手く行くものの、何度かに一回はParseErrorが出てしまいます。

どうも余計なXML文を読み込んだときに吐き出すエラーらしい。

まあいっか。他に作業があることだし。今日はここまでにします。

ネットを見ていると、Raspberry Piに「ちゃん」づけしている人が結構いるようですね。気持ちは分かります。

強すぎる想像や妄想という性質だからこその喜びや感動があると思います

以前にも書きましたが、仕事などに役立つ自分の強みを教えてくれるストレングス・ファインダーをやってみて、五つのうち最初に来たのが「戦略性」でした。

物事に対する特殊な見方。あなたは常に「こうなったらどうなる?では、こうなったらどうなる?」と自問しています、というような説明があります。

確かに私にはそういうところがあるのですが、ストレングス・ファインダーをやった人が「他の人も自分と同じだと思っていた」というように、指摘されるまでは意識しませんでした。

しかしこのような性癖は、いつも何かを想像している人にはありがちなことではないかとも思います。なかには取り留めのない妄想になっている人もいるかもしれませんが。

このような資質が仕事に役立つ部分もあるのでしょうが、想像や妄想は極度の恐怖感や不安感のようなマイナス面も生み出します。

私もそうでしたが、社会生活に支障をきたすほど苦しんでいる人は、本やインターネットの情報に何らかの助けを求めます。

よく見かけるのは、「想像力のある人は芸術家などのクリエイティブな仕事に向いています」というように結んでいるWebサイトです。

もちろん芸術家は想像力がないと作品は生み出せないとは思いますが、誰もが芸術家になれるわけではありません。

恐怖感や不安感を助長する想像や妄想の力も悪いものではないなと思っています

本などの情報で、恐怖感や不安感のような感情は妄想だということは、頭では理解しているつもりです。

禅に「莫妄想(まくもうぞう)」という言葉もありますね。妄想しないで今やるべきことをやりなさい、という意味のようです。

一方で、このような感情は人間が危険を察知して生き延びるために必要な能力であって、本能を抑えることは難しいとも聞きます。

そうはいいつつも、ほとんどの人は問題なく社会生活ができているのであって、そのような感情とうまく折り合いをつけながら生活しているわけですね。

しかし、中には社会生活に支障をきたすほど折り合いをつけられない人もいて、このような症状は不安障害とか神経症などと呼ばれているようです。

私も経験者なのでその辛さは分かります。

原因はいろいろ考えられるのでしょうが、想像力というか妄想力というか、それがとても強いと子供の頃から感じていました。

恐怖感や不安感のような感情は想像や妄想が助長する、というようにもいわれています。

最近、子供の頃からの自分の考え方や行動を省みて、この想像や妄想が思いの外大きく影響しているなと思っています。

自分の仕事道具に対してもそんなに物欲がないことに気づきました

知人がガスコンロやキッチン備え付けの換気扇、炊飯器などの調理器具一式を入れ替えるそうです。

購入してから10年から20年経っているようで、いろいろなところにガタがきているからだとか。

工事も必要になるのですから結構な出費だと思います。

シニアの方なので時間もあり、料理が趣味の方なので、気分的にも新しいものにしたいのでしょう。

私など、料理は買ってきたものをレンジでチンするくらいしかしないので、どんなに古くても動いてさえいれば気にしません。

それどころか、調理器具以外でも壊れてからじゃないと買い替えたりしないような気がします。

昔会社に勤めていた頃、来季の予算で必要なものを申請する際に、同僚がフロッピーディスクドライブやディスプレイなどを書いていたので、「あるのに何故?」と訪ねたことがあります。

「今あるのは古いから」とか「違うタイプを使ってみたいから」という理由でした。

そのときは人それぞれ、モノに対して感じ方が違うなと思ったものです。

今考えてみると、食に対してこだわりはないので調理器具にもこだわらないのは当然ですが、ずっとパソコンの仕事をしているのに、そんなにこだわりがないのは不思議な気がします。

唯識の心所の解説を読むと自分だけの悩みではないと分かってホッとします

昨日は、暑くてイライラしている気持ちを沈めようと思ってたまたま読んだ本の箇所が、心を見透かされているようで驚いたというお話をしました。

そのうちの一冊が、太田久紀著「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」(大法輪閣)という唯識仏教を解説している本です。

唯識のことは何度かこのブログでも紹介しました。大乗仏教の思想で、末那(まな)識や阿頼耶(あらや)識という深層心理を説いていることで知られています。

私がこの本で感動したのは、「心所(しんじょ)」といって、心の働きを五十一種類に分けて詳細に説明している章。

自分でも心というのはやっかいなものだと日頃から感じていたり、自分以外の人も本当に同じように悩んでいるのかなと疑っていたりします。

そのような心の動きを、実際に名前を付けて解説してくれているんですね。

例えば「煩悩」のジャンルにある「慢」という心所。思いあがって他を見下す心作用、とあります。

何かに自信がつくと頭を持ちあげてくるし、これではいけないと自分にいい聞かせて、傲慢な気持ちを整理できたと思うと、整理できたと思う慢心がまた頭を持ちあげてくる。

このような説明を読むと、ああ、自分だけが悩んでいるんじゃなかったんだな、とホッとしたりします。

仏教や易経の本に自分の心が見透かされてしまったような日でした

相変わらず暑い日が続いています。

私もうんざりしていますが、高齢の親もエアコンのある部屋にいるとはいえ、かなり参っています。

ここ数日、開発の仕事を受注するために仕様や見積もりを作成していて、ある程度ストレスも溜まっていたせいか、クーラーの温度調節のことなど、ちょっとしたことでイラッとしたりします。

まあ、どこの家庭でもよくあることだと思います。

最近イライラしていてよくないなぁと思い立って、少しずつ読み進めている本があるのですが、たまたま今日読んだ箇所に、ちょっと反省させられることが書いてありました。

一冊目は太田久紀著「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」(大法輪閣)という、唯識仏教を解説している本です。

以前にも書きましたが、唯識は仏教の深層心理学ともいわれていて、圧巻は「善」や「煩悩」というジャンルごとに、心の働きを五十一種類に分けて詳細に説明しているところです。

その「善」の中の「行捨(ぎょうしゃ)」と「不害」を説明する箇所。

前者は自分の好き嫌いで善悪を決めてはならない、後者は相手を傷つけてはならない、善を押しつけてはならない、とあります。

ああ、これはさっきの親とのやり取りのことじゃないかとドキッとしました。

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