深層心理

上手く伝えられたときは嬉しいのでそれもブログを書いている理由だと思います

先日1000記事を超えたとブログに書きましたが、ブログを始める前に比べて、自分の中ではかなりいい感じに伝えたいことを伝えられるようになったと思います。

もちろん他の人が見たら、何をいっているのか分からない記事を量産しているだけかもしれませんので、あくまで自分の中での基準です。

とはいうものの、例えばASK アクティブシニア交流会さんで新しい勉強会の講師を始めるときなどに、会員のみなさんに案内文を書いたりするのですが、役員の方のチェックを受けてそのまま通ることが多いので、少なくとも意味不明なところや誤字脱字のようなものはあまりないと思っています。

今考えてみると、昔から誤解のないように伝えることにずいぶん気を使ってきました。

二十代でゲーム開発会社のディレクターをしていたときは、プログラマーなどの開発部や営業部、宣伝部に内容や予算やスケジュールなどを伝え、販売店さんなどに向けて宣伝素材を作り、操作マニュアルも作っていました。

失敗も多かったですし、よく分からない説明もしょっちゅうしていたと思います。

それでも仕事自体は全然苦にならなかったので、向いていたのだと思います。

陰陽五行の性格診断をして心が楽になる五行を意識してみようと思います

陰陽五行に基づいて、自分の性格についてあれこれと思いを巡らせることがあります。

陰陽五行とは古代中国で生まれた思想で、木、火、土、金、水という五行にそれぞれ陰陽を当てはめる考え方です。

干支にも陰陽五行が配されていて、生年月日それぞれの干支の組み合わせで性格や運勢を占う四柱推命や算命学が有名ですね。

私の場合は五行がすべて揃っているのですが、中心にある五行の影響で、ものごとにきっちり対応しすぎる傾向があるようです。

いつも疲れている感覚があるのは、そこから来ているのかなぁと思います。

もちろん陰陽五行説というのは、科学や医学の分野ではないので、自分で納得するかどうかの話だと思います。

とはいえ以前ブログで書いたように、河合隼雄さんが心理療法の現場で、易を占いとしてではなくアイデアとして参考にするというお話に近いような気もします。

陰陽五行の考え方は、自分の経験だけで自分の性格を判断するやり方より、遥かに多くのパターンを提示してくれます。

そのパターンを参考にして、自分なりに性格の捉え方を修正して行くのは、とても効率のいい方法じゃないかと思うのです。

象徴を読み解くことをお仕事にされている方を羨ましく思ってしまいます

昨日から引き続き「象徴」について考えていました。

以前Wikipediaの「象徴」という項目に、ユングや図像解釈学(イコノロジー)が記載されているのを見つけて以来、気になっていたのです。

象徴とは何かといわれると私は上手く説明できないのですが、心理学の分野に限っていえば、「無意識の中のある内容を具体的なイメージとして表現したもの」というような感じでしょうか。よく分かりませんか・・・。

若桑みどりさんの本でイコノロジーのことを知って、絵画をこんなに面白く解釈する学問があったのかと、ちょっと衝撃を受けたんですね。

それに易経を学んでいたこともあって、そういえばどちらも象徴を解釈する過程が面白い、ということに気付いたわけです。

そこに気付くと私が今まで興味を持ったこと、例えばアーサー王や生命の樹、錬金術などで、ある象徴を解釈している解説を読んだり自分なりに読み解いて行くことにワクワクする、ということも分かってきました。

私はそのような解説を読む側なのですが、それらの本を書かれている作家さんや学者さんは面白いだろうなと思います。

私の興味のあることは「象徴」というキーワードでつながっていそうです

昨日は小松和彦さんの「憑霊信仰論」(講談社学術文庫)を読み終わったことを書きましたが、今日は先日購入していた小松さんの「新編・鬼の玉手箱」(福武文庫)という本を少し読んでいました。

この本の第一章は、小松さんがどのように文化人類学や民俗学の世界に入って行ったかが書かれています。

その中に東京都立大で修士論文を提出した際のエピソードがありました。

何でも「信貴山縁起絵巻」という宗教絵巻を構造分析の手法を使って研究するために、パノフスキーの「イコノロジー研究」などで引用されている文献をできる限り援用して、この絵巻がいかに人類学の対象になるかという説明にあてた、とあります。

ああ、ここでパノフスキーが出てきました。

一昨日のブログに書いた若桑みどりさんは、イコノロジーがテーマの本を何冊も出版されています。

数日前のブログには、小松さんの「異人論」(ちくま学芸文庫)に河合隼雄さんの「昔話と日本人の心」(岩波書店)が参考文献として挙げられていたと書きました。

小松さん、若桑さん、河合さんの本は何度も読み返したいとブログに書いた途端にこれです。

人間の闇を中心に論文を発表されている方がいることがありがたいです

小松和彦さんの「憑霊信仰論」(講談社学術文庫)を読み終わりました。

昨日読み終わった若桑みどりさんの「マニエリスム芸術論」(ちくま学芸文庫)といい、どんだけ読み散らかしているんだと自分でも呆れています。

いざなぎ流陰陽道のことなどが書かれていて面白いと思って読んでいたのですが、読み始めたのがはるか昔なので内容を忘れてしまっています。

ただ以前ブログにも書いたように、二十代から小松さんの「日本の呪い」のような本を読んでいたので、本文に出てくる呪詛とか式神などの言葉は知っていました。

それに複数の論文をまとめたものなので、テーマも幅広く私にはすんなり読める内容でもないので、これだけ時間がかかってしまいました。

先日、数回読み返したい本が百冊くらいあるので、しないことリストに本を買いすぎないことを追加したと書きましたが、小松さんの本もそれに含まれます。

なのでこの本もいつかは読み返すつもりです。

この本の最後、佐々木宏幹さんという方が「解説」で次のように書かれています。

「小松和彦氏のこれまでの研究活動は、鬼とか憑霊とか、妖怪とか異人とか、闇とか”いざなぎ流”とか、何か隠微でおどろおどろしい性格のものとの印象を与えてきたし、本人もこれを認めているようだ。」

人間の得体の知れないイマジネーションに魅力を感じています

若桑みどりさんの「マニエリスム芸術論」(ちくま学芸文庫)を読み終わりました。

成毛眞さんの著書「本は10冊同時に読め!」ではないのですが、私は興味のある本を何冊も同時につまみ読みしているので、一冊を読み終わるのが遅いです。

しかも若桑さんのこの本は分厚くて内容が濃い。読み始めて何年かかったかなという感じです。

そしてこの本で、すっかり若桑さんのファンになってしまいました。

この本は、全編を通してレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロをはじめとする、膨大な数の芸術家とその作品の解説が続きます。

イコノグラフィー(図像学)というのを知りましたし、新プラトン主義、ヘルメス文書、錬金術など、私の興味のある内容も盛りだくさん。

この本の何に惹かれたんだろうと考えていたのですが、最後にそれが書いてありました。

「たしかにイエーツが言うように、「ルネサンスの魔術は、十七世紀の科学の直接の父である」。しかし、それは、決して「科学」ではなかった。」

「ひっきょう、この時代の人は、プラトンの洞窟の人間のように、魔術的世界の洞穴の中で、夢見ることを求めたのであろう。」

そうなんですよね。

個人的に唯識仏教のすごいなぁと思うところ、その2

三日前の続きで、説明が途中で終わってしまった「小随煩悩」について書いてみたいと思います。

大乗仏教の深層心理学ともいわれている唯識の中でも、私が特に興味を持っているのが心の働き、心の作用の面を細かく分析した心所有法といわれるものです。

心所は六つのグループ、五十一種類に分類されていて、小随煩悩は随煩悩というグループを更に三つに分けた中の一つです。

危害を加えようとするほどの怒りやうらみ、ねたみ、へつらいなど、これでもかというほど心の働きが列挙されていて、読んでいてどんよりした気分になってくるのですが、それは自分に心当たりがあるということなのでしょう。

怒りを予防したり鎮めたりする手法が書かれているアンガーマネジメントの本がたくさん売られていますが、唯識の心所の解説と坐禅を組み合わせた手法を取り入れれば、アンガーマネジメントにとても効果があるのではないかと思っています。

小随煩悩は、次のように三種類の根本煩悩を根源として働くとされています(根本煩悩は六つのグループの一つ)。

「根本煩悩の貪(とん)・・・自分と自分の境遇に執着する」を根源として働く小随煩悩。

個人的に唯識仏教のすごいなぁと思うところ

数日前に、私が持っている唯識の本の心所有法について書かれている箇所を読み返していることを書きました。

心所有法とは心の働き、心の作用の面を細かく分析したものです。

唯識は大乗仏教の深層心理学ともいわれていて、私はその部分への興味から唯識に入って行ったのですが、この心所有法がまさに私の興味と合致するんですね。

しかし合致するとはいっても、心所は六つのグループ、五十一種類に分類されているので、全部に興味があるというわけでもありません。

今回その分類の中でも特に興味をひかれるところが分かったので、読み返してよかったと思っています。

一つは六つのグループの最初、「遍行(へんぎょう)」。

「遍(あまね)く行われるもの」という意味で、心が動くときに必ず働くといわれているものです。

多川俊映著「唯識とはなにか」(角川ソフィア文庫)には次のような説明があります。

唯識の善の心所を思い出すたびに自分の行為を反省してしまいます

数週間前から、私が持っている唯識の本の心所有法について書かれている箇所を読み返しています。

心所有法とは心の働き、心の作用の面を細かく分析したもの。六つのグループ、五十一種類に分類されています。

私が唯識仏教の中で特に惹かれている部分で、よくもまあここまで分析したなぁと驚かされます。

1500年前のお坊さんたちが瑜伽行(ヨガのことですね。坐禅のようなものではないかといわれています)をしながら、「ああでもない、こうでもない」と探求して行ったんだと思います。

この心所有法を知るまでは、心理学の本を何冊読んでも心というのはよく分からないものだと思っていました。

なのでこれを知ったときは、大乗仏教の範囲内ではありますが、ここまで心のことが体系化されていたんだなと感動しました。

先日読んだのは六つのグループのうちの善の心所。「信」から「不害」まで十一種類あります。

いつも感心するのは最後の二つ。行捨(ぎょうしゃ)と不害。

行捨は好き嫌いを離れ、平等にして偏らない。平静な気持ちを保つこと。不害は相手を傷つけない、相手へのおもいを忘れないこと。

易経と唯識の共時性の方向性の違いが少し分かりました

久しぶりに服部正明/上山春平共著「仏教の思想 4 認識と超越<唯識>」(角川文庫ソフィア文庫)を手に取って、湯浅泰雄さんの書かれた解説を読んでいたとき、次のような箇所に目が留まりました。

「アーラヤ識は個体の生死をこえて存続する超個体的な深層心理領域であるから、心理学にひきつけてみれば、ユングのいう集合的無意識や近年のトランスパーソナル(超個的)心理学のような考え方に通じるところがある。 (中略) ただし、アーラヤ識の考え方は、もっと複雑で広い内容をもっている。それは、個体の生死をこえて活動をつづけていると共に、人間ばかりでなく、すべての生命を輪廻転生させている宇宙的な生命活動の根底とも言うべきものである。表層的人間存在の中心にある「心王」は、個体の生から死に至る時間的持続に依存しているのに対して、アーラヤ識に支えられた生は、永遠にくり返す悠久な時間と活ける大自然のリズムの中にある生としてとらえられている。」

そうなんです。易経を唯識と似た興味を持って読んでいるように感じていたのですが、それが何なのか今ひとつはっきりしなかったんですね。

ユングが易経から集合的無意識のヒントを得たということと、その集合的無意識とアーラヤ識との関連性が指摘されていることは知っていたので、このあたりがポイントかなと思っていたのですが。

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