深層心理

自分の仕事道具に対してもそんなに物欲がないことに気が付きました

知人がガスコンロやキッチン備え付けの換気扇、炊飯器などの調理器具一式を入れ替えるそうです。

購入してから10年、20年経っているようで、いろいろなところにガタがきているからだとか。

工事も必要になるのですから結構な出費だと思います。

シニアの方なので時間もあり、料理が趣味の方なので、気分的にも新しいものにしたいのでしょう。

私など料理は買ってきたものをレンジでチンくらいしかしないので、どんなに古くても動いてさえいれば気にしません。

それどころか、調理器具以外でも壊れてからじゃないと買い替えたりしないような気がします。

昔会社に勤めていた頃、来季の予算で必要なものを申請する際に、同僚がフロッピーディスクドライブやディスプレイなどを書いていたので、「あるのに何故?」と訪ねたことがあります。

「今あるのは古いから」とか「違うタイプを使ってみたいから」ということのようで、そのときは人それぞれモノに対して感じ方が違うなと思ったものです。

今考えてみると、食に対してこだわりはないので調理器具にもこだわらないのは当然ですが、ずっとパソコンの仕事をしているのに、そこまでこだわりがないのは不思議な気がします。

同僚の感覚の方が真っ当なのかもしれません。

唯識の心所の解説を読むと自分だけの悩みではないと分かってホッとします

昨日は、暑くてイライラしている気持ちを沈めようと思ってたまたま読んだ本の箇所が、心を見透かされているようで驚いたというお話をしました。

そのうちの一冊が、太田久紀著「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」(大法輪閣)という唯識仏教を解説している本です。

唯識のことは何度かこのブログでも紹介しました。大乗仏教の思想で、末那(まな)識や阿頼耶(あらや)識という深層心理を説いていることで知られています。

私がこの本で感動したのは、「心所(しんじょ)」といって、心の働きを五十一種類に分けて詳細に説明している章。

自分でも心というのはやっかいなものだと日頃から感じていたり、自分以外の人も本当に同じように悩んでいるのかなと疑っていたりします。

そのような心の動きを、実際に名前を付けて解説してくれているんですね。

例えば「煩悩」のジャンルにある「慢」という心所。思いあがって他を見下す心作用、とあります。

何かに自信がつくと頭を持ちあげてくるし、これではいけないと自分にいい聞かせて、傲慢な気持ちを整理できたと思うと、整理できたと思う慢心がまた頭を持ちあげてくる。

このような説明を読むと、ああ、自分だけが悩んでいるんじゃなかったんだな、とホッとしたりします。

仏教や易経の本に自分の心が見透かされてしまったような日でした

相変わらず暑い日が続いています。

私もうんざりしていますが、高齢の親もエアコンのある部屋にいるとはいえ、かなり参っています。

ここ数日、開発の仕事を受注するために仕様や見積もりを作成していて、ある程度ストレスも溜まっていたせいか、クーラーの温度調節のことなど、ちょっとしたことでイラッとしたりします。

まあ、どこの家庭でもよくあることだと思います。

最近イライラしていてよくないなぁと思い立って、少しずつ読み進めている本があるのですが、たまたま今日読んだ箇所に、ちょっと反省させられることが書いてありました。

一冊目は太田久紀著「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」(大法輪閣)という、唯識仏教を解説している本です。

以前にも書きましたが、唯識は仏教の深層心理学ともいわれていて、圧巻は「善」や「煩悩」というジャンルごとに、心の働きを五十一種類に分けて詳細に説明しているところです。

その「善」の中の「行捨(ぎょうしゃ)」と「不害」を説明する箇所。

前者は自分の好き嫌いで善悪を決めてはならない、後者は相手を傷つけてはならない、善を押しつけてはならない、とあります。

ああ、これはさっきの親とのやり取りのことじゃないかとドキッとしました。

ある時期から人を怖がらせることに別の目的を感じるようになりました

子供の頃は経験が乏しいので、暗いところにはお化けが潜んでいるようで怖いですよね。

心理学者のユングは、幼児期に恐ろしい「人食い」の夢を見て、これが生涯のトラウマとなり、心理学の考えを深めることにも繋がったとう話があります。

大人でも知識がないことに対して、その道の権威に何かいわれると、つい信じてしまいがちです。

お坊さんに地獄の話をされたり、霊能者といわれている人に幽霊の話をされたりすると、妙に説得力があるので信じてしまう気持ちも分かります。

太宰治が幼い頃、お寺で地獄絵図を見せられてあまりの恐ろしさに泣いたように、私も子供ながらに、なぜ仏教ってこんなに恐ろしい地獄を見せるんだろう、と疑問に思ったものでした。

もう20年近く前ですが、田上太秀氏の「仏陀のいいたかったこと」(講談社学術文庫)という本を読みました。

その本の「霊魂を否定し、無我を唱える」という章に、仏陀は人の老死の現実的苦しみの由来について問うたのであり、霊魂について説くことはなかった、というようなことが書いてありました。

ずいぶん合理的な考え方をした人のようで、「いまの生き方、考え方がいかにあるべきかだけが問われている。」とあります。

当時はそのことを知って、とても驚いた記憶があります。

子供の頃は大人のいうことを素直に信じていました

今日夕食時にテレビをつけると、TBS系列で「この差って何ですか?」という番組をやっていました。

「「昔の健康常識」と「今の健康常識」の差」と題して、昔いいといわれていたことが今はそうではない、という例がいくつか挙げられていました。

「遠くを見ると目が良くなる」、「暗い所で本を読むと目が悪くなる」、「風邪を引いたら安静にする」などが間違いであるとのこと。

どれも子供の頃、親によくいわれていたことですが、医学的にいって視力が改善したり悪化したりするわけではない、というようなことのようです。

これを見ていて、以前にも書きましたが、小学校の保険の授業で、歯磨きをするときは歯ブラシにタップリ歯磨き粉をつけて、歯ブラシをグーで握って、横にゴシゴシこすりましょうと習ったことを思い出しました。

今はペンを持つように歯ブラシを軽く持ち、歯茎をマッサージするように横に小刻みに震わせるように磨く、というようにいわれていますので、昔とずいぶん違います。

そのことを思い出すたびに、常識なんて時間が経てば簡単に変わることや、大人のいうことを素直に信じていたことを意識します。

自分の好きなことと会社の業務が一致していれば会社に取ってもメリットがあるのですが

会社に所属して競馬や競輪のゲームを担当していたときは、一生懸命資料を読んだり、詳しい人に聞いたりして、商品パッケージの説明文や広告のコピーを書いていました。

しかし、資料や人に聞いた内容以上のことは書けないんですね。

独立してから、ある海産物加工品のネットショップや介護職関連のWEBサイトの運営の仕事をしたことがあります。

そのときも多くの資料を読み込んだのですが、資料の内容以上のことは書けませんでした。

前述の競馬ゲームのときは同僚に競馬好きがいて、いろいろと話を聞かせてもらっていました。

贔屓の馬を追い続けてきたり、馬券を買い続けてきたりして、競馬は彼の人生の一部になっていますから、競馬に関することは自分の意見を持っているのです。

ゲームの開発チームと雑談をするときも、とても話が弾んでいるようでした。

しかし彼は営業でしたので自分の業務に忙しく、時間があるときにデバッグを手伝ってもらうくらいで、開発チームに参加することはありませんでした。

私は学生の頃、楽譜作成ソフトで音楽創作活動をしていたので、入った会社がたまたま楽譜作成ソフトを開発していたこともあり、その担当になって経験を活かすことができました。

頭では仕事に取り入れようと思っても興味が持てなければ難しいと思います

先日知人が、Googleスプレッドシートのフォントサイズを変えたりして、見やすく印刷しようとしていたのですが、慣れていなくて苦戦していました。

その人はExcelを使えるので、Excelファイルとしてダウンロードできますよ、と目の前で手順を説明すると、それは便利だと喜んでいたのですが、後日一人で作業をするときには、ダウンロードのことは忘れてGoogleスプレッドシートを直接編集し、やはり苦戦したようです。

本当に必要なとき以外はパソコンを使わない人で、業務でパソコンを使っていなかった年代の方ということもあり、なかなか覚えられないのだと思います。

そういう私も、ゲーム開発会社に所属していた頃は、ゲームのことを覚えようとしてもなかなか覚えられませんでした。

その会社で楽譜作成ソフト担当だった時期は問題なかったのですが、20代後半は楽譜作成ソフトの担当を外れたので苦労しました。

覚えられないのは年齢のせいもあるかもしれませんが、やはり興味があるかないかが一番大きいと思います。

エーコの小説で神秘的なものに惹かれて行く人の心の過程を体験したいです

昨日はウンベルト・エーコの小説「フーコーの振り子」の在庫がもう切れていたため、買えなくなってはマズいと思い、中古本を買ったことをお話しました。

仕事の合間にほんの十数ページ、目を通してみました。

Amazonなどの読者のレビューを見ると、同著者の小説「薔薇の名前」よりも内容が難しいと書いてあるだけあって、最初の「振り子」の説明から難解です。

先が思いやられる・・・。

しかしぜひ読んでみたいと思ったのは、小説は錬金術や秘密結社などの多くのオカルトを題材にしながら、虚構に過ぎないことにも意味を持たせようとする人の心性を、エーコは描いているらしいからです。

以前三田誠広さんの本を読んだときも、ニュートンのような科学者たちは、神を信じるがゆえに神の原理=科学原理を追求したわけで、彼らの錬金術師のような怪しげなオカルト研究のイメージも、後世の人の脚色から来ていることを知りました。

ウンベルト・エーコの「完全言語の探求」にも、ライムンドゥス・ルルスの「大いなる術」が後世の人々によってカバラと結び付けられ、魔術師のようなイメージに変えられていく過程が描かれています。

積読覚悟でウンベルト・エーコの「フーコーの振り子」を買ってしまいました

ウンベルト・エーコの「完全言語の探求」(平凡社ライブラリー)を半分以上読み進んでいて、とても面白いので小説も読んでみようと思い立ちました。

ウンベルト・エーコといえば、ショーンコネリー主演の映画の原作「薔薇の名前」という小説が有名で、いつか読んでみたいと思っていたものです。

最近ライプニッツに注目するようになって、本人以上に彼の周辺、カバラやライムンドゥス・ルルスといったことに興味を持つようになりました。

以前、Amazonで「完全言語の探求」の目次を見ていたら、ライプニッツを始めとする私の興味のある項目が並んでいたので、つい買ってしまいました。

しかし内容は、「アダムの言語」や「完全言語」というものを追い求める人々の思想史ですので、なかなか仕事をしながら気軽に読み進められる本ではありません。

そこで息抜きに同じ作家の小説でも・・・と思ったんですね。

Amazonなどで「薔薇の名前」を読んだ人のレビューを見てみると、ちょっと内容が難しいという意見がチラホラ。

息抜きに読むという感じではないかもしれません。

そして何より単行本しかなくて、上下刊で計5千円とのこと。ちとお高い。

その時代の社会情勢によってクリスマスの気分も変わるんですね

週刊誌にいつも「AIがあなたの仕事を奪う!」なんて見出しが躍っていたら、毎日浮かれていていいんだろうか、という不安も芽生えてくるでしょう。

1ヶ月も2ヶ月も前から、クリスマスの飾り付けをする気分にはならないということなのかもしれません。

その代わり、昨日お話したハロウィンなんかは年々盛り上がり具合が大きくなっているような気がします。渋谷なんて凄いみたいですね。

そういえば、先日終わったプロ野球のクライマックスシリーズは大盛り上がりでした。

予選も含め、サッカーのワールドカップも多くの人が熱狂しています。

先が見えない時代の不安の裏返しで、短い期間に、瞬間湯沸かし器のように発散したい気分になりたいのかもしれません。

鎌倉時代、蒙古襲来などの社会不安におびえる民衆に熱狂的に受け入れられた一遍上人の踊り念仏、江戸時代、黒船来航や飢饉などの同様の不安から発生した「ええじゃないか」。

不安な時代というのは、盆踊りのような、年に数えるほどしかないイベントではハレの日が足りないので、民衆自らイベントを作り出したようなところがあるのかもしれません。

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