深層心理

夢の分析は解釈するよりも鑑賞するような態度で臨んでみようと思いました

河合隼雄さんの本を少しずつ読み進めています。

今日は「イメージの心理学」(青土社)と「ユング心理学と仏教」(岩波現代文庫)を読んでいました。

先日ブログに、普段は夢を見ないけれど、上記のような本の夢に関連する部分を読んでいたら、立て続けに夢を見たということを書きました。

夢を解釈することで潜在意識の状態を知ることができるのではないか、と期待したのかもしれません。

なので、心理療法の教育を受けたことはないのですが、河合さんの本の中に解釈する方法のヒントが書かれていないか意識しています。

そんな中、「イメージの心理学」に次のような箇所がありました。

箱庭療法を受けた患者さんが作った作品に、河合さんがなるほどと納得できる解釈を施されたあと、次のように書かれています。

「このような考えは、おそらくあまり間違ってはいないだろう。しかし、このイメージをそのことだけに限定してしまうこと、および、クライエントに対して「自我の確立」という方向性を与えてしまうこと、は大きい危険性をはらんでいないだろうか。」

それに加えて、「その人の極めて個性的な面を見落としてしま」う可能性などの怖さを指摘されています。

そして次のような態度で臨むことを強調されています。

全部揃えたくなってしまうディドロ効果に負けるのは危険です

以前ブログで、自分の部屋が読まない本や使わないモノで溢れているので処分したい、ということを書きました。

ライフワークのようなものが見えてきたし、もう年も取ったので、若い頃のようにいつか読みたいと思った本を増やしてもしょうがありません。

ところが先日、河合隼雄さんの「〈心理療法〉コレクション」(岩波現代文庫)シリーズ全六巻を揃えたあとに、河合さんやユングの心理療法やカウンセリングに関する本を全部揃えたい気持ちがムクムクと湧いて来ました。

さらに、民俗学者の吉野裕子さんの全集(人文書院)の中から三巻購入したところ、どれも面白くて、こちらも全巻揃えたい欲求が。

いやいや、それはだめでしょう。

河合さんの本は心理療法やカウンセリングに関するものだけでも膨大ですし、吉野さんの全集も今すぐ読みたいタイトルばかりではありません。

それに全部揃えたものを隅から隅まで読んでいると、ライフワークをやる前に人生終わってしまいます。

インターネットで調べていて知ったのですが、こういうのをディドロ効果というらしいですね。

同じ雰囲気のもので統一したくなったり、全シリーズを買い揃えたくなったりする心理。マーケティングに活用されているそうです。

HSPにとって瑜伽行唯識派の思想は最適なんじゃないかと思います

今日、以前読んだ服部正明/上山春平共著「仏教の思想 4 認識と超越<唯識>」(角川文庫ソフィア文庫)の著者お二方の対談部分を読んでいました。

私にとっては難しい本なので、二、三度読んだだけでは頭に入りません。

すると次のような箇所に目が留まりました。

「服部:ええ。ですから、唯識の思想体系は瑜伽行-ヨーガの実践と深い関連を持っています。
上山:その点ですが、中観では瑜伽行というのは正面に出てこないでしょう。
服部:「般若」の知恵は瞑想によって得られるのですけれども、中観の哲学には実践的な契機が表面にあらわれていませんね。 (中略) 空を現実の心に対置することによって、現実の心は汚れているもの、煩悩をもつものとしてとらえられ、そこから空を主体的に追及する立場、つまり瑜伽行の実践が生まれてきます。六識に常に伴っている自我意識や、その根底にある潜在意識としてのアーラヤ識は、そういう実践的関心から自覚されてきたのだと思います。」

確かに以前中観の解説書を読んだとき、実践を説いているところはあまり見かけなかったように思います。

あえてこのようなことを意識すると、ふとHSP(Highly Sensitive Person)のことを思い出しました。

易経と唯識仏教が心の拠り所になっています

最近仕事で困ったことがあったりしても、易経や唯識仏教を学んでいるせいか、以前ほど焦らなくなりました。

ゲームソフトのディレクターをやっていたときは、仕事上スケジュールや制作費のことを常に考えている必要がありましたが、もともと気にしすぎるタイプなので、それなりに上手くこなせていたように思います。

しかし三十過ぎて独立してから、あれこれ手を広げすぎたせいで、キャパオーバーを起こしてパニック障害になってしまいました。

ディレクターをやっていると、悪いことを想像して、先回りしてある程度それに対処できるように準備しておく必要があると思いますが、独立した当初は張り切ってしまって、四六時中いつでもどこまでも想像してしまうんですね。

歯止めが効かないというか。

そんなこともあって、治療のために仕事をセーブしている頃から、心の拠り所のようなものが欲しくていろいろな本を読んで来たつもりです。

そんな中で易経と唯識仏教に出会いました。

易経には64卦(か)の世界と384爻(こう)のストーリーがあります。

これだけ多岐にわたるストーリーがあれば、今困っていることもそのどれかに当てはまり、何かしら解決のヒントが見つかるだろうという安心感があります。

上手く伝えられたときは嬉しいのでそれもブログを書いている理由だと思います

先日1000記事を超えたとブログに書きましたが、ブログを始める前に比べて、自分の中ではかなりいい感じに伝えたいことを伝えられるようになったと思います。

もちろん他の人が見たら、何をいっているのか分からない記事を量産しているだけかもしれませんので、あくまで自分の中での基準です。

とはいうものの、例えばASK アクティブシニア交流会さんで新しい勉強会の講師を始めるときなどに、会員のみなさんに案内文を書いたりするのですが、役員の方のチェックを受けてそのまま通ることが多いので、少なくとも意味不明なところや誤字脱字のようなものはあまりないと思っています。

今考えてみると、昔から誤解のないように伝えることにずいぶん気を使ってきました。

二十代でゲーム開発会社のディレクターをしていたときは、プログラマーなどの開発部や営業部、宣伝部に内容や予算やスケジュールなどを伝え、販売店さんなどに向けて宣伝素材を作り、操作マニュアルも作っていました。

失敗も多かったですし、よく分からない説明もしょっちゅうしていたと思います。

それでも仕事自体は全然苦にならなかったので、向いていたのだと思います。

陰陽五行の性格診断をして心が楽になる五行を意識してみようと思います

陰陽五行に基づいて、自分の性格についてあれこれと思いを巡らせることがあります。

陰陽五行とは古代中国で生まれた思想で、木、火、土、金、水という五行にそれぞれ陰陽を当てはめる考え方です。

干支にも陰陽五行が配されていて、生年月日それぞれの干支の組み合わせで性格や運勢を占う四柱推命や算命学が有名ですね。

私の場合は五行がすべて揃っているのですが、中心にある五行の影響で、ものごとにきっちり対応しすぎる傾向があるようです。

いつも疲れている感覚があるのは、そこから来ているのかなぁと思います。

もちろん陰陽五行説というのは、科学や医学の分野ではないので、自分で納得するかどうかの話だと思います。

とはいえ以前ブログで書いたように、河合隼雄さんが心理療法の現場で、易を占いとしてではなくアイデアとして参考にするというお話に近いような気もします。

陰陽五行の考え方は、自分の経験だけで自分の性格を判断するやり方より、遥かに多くのパターンを提示してくれます。

そのパターンを参考にして、自分なりに性格の捉え方を修正して行くのは、とても効率のいい方法じゃないかと思うのです。

象徴を読み解くことをお仕事にされている方を羨ましく思ってしまいます

昨日から引き続き「象徴」について考えていました。

以前Wikipediaの「象徴」という項目に、ユングや図像解釈学(イコノロジー)が記載されているのを見つけて以来、気になっていたのです。

象徴とは何かといわれると私は上手く説明できないのですが、心理学の分野に限っていえば、「無意識の中のある内容を具体的なイメージとして表現したもの」というような感じでしょうか。よく分かりませんか・・・。

若桑みどりさんの本でイコノロジーのことを知って、絵画をこんなに面白く解釈する学問があったのかと、ちょっと衝撃を受けたんですね。

それに易経を学んでいたこともあって、そういえばどちらも象徴を解釈する過程が面白い、ということに気付いたわけです。

そこに気付くと私が今まで興味を持ったこと、例えばアーサー王や生命の樹、錬金術などで、ある象徴を解釈している解説を読んだり自分なりに読み解いて行くことにワクワクする、ということも分かってきました。

私はそのような解説を読む側なのですが、それらの本を書かれている作家さんや学者さんは面白いだろうなと思います。

私の興味のあることは「象徴」というキーワードでつながっていそうです

昨日は小松和彦さんの「憑霊信仰論」(講談社学術文庫)を読み終わったことを書きましたが、今日は先日購入していた小松さんの「新編・鬼の玉手箱」(福武文庫)という本を少し読んでいました。

この本の第一章は、小松さんがどのように文化人類学や民俗学の世界に入って行ったかが書かれています。

その中に東京都立大で修士論文を提出した際のエピソードがありました。

何でも「信貴山縁起絵巻」という宗教絵巻を構造分析の手法を使って研究するために、パノフスキーの「イコノロジー研究」などで引用されている文献をできる限り援用して、この絵巻がいかに人類学の対象になるかという説明にあてた、とあります。

ああ、ここでパノフスキーが出てきました。

一昨日のブログに書いた若桑みどりさんは、イコノロジーがテーマの本を何冊も出版されています。

数日前のブログには、小松さんの「異人論」(ちくま学芸文庫)に河合隼雄さんの「昔話と日本人の心」(岩波書店)が参考文献として挙げられていたと書きました。

小松さん、若桑さん、河合さんの本は何度も読み返したいとブログに書いた途端にこれです。

人間の闇を中心に論文を発表されている方がいることがありがたいです

小松和彦さんの「憑霊信仰論」(講談社学術文庫)を読み終わりました。

昨日読み終わった若桑みどりさんの「マニエリスム芸術論」(ちくま学芸文庫)といい、どんだけ読み散らかしているんだと自分でも呆れています。

いざなぎ流陰陽道のことなどが書かれていて面白いと思って読んでいたのですが、読み始めたのがはるか昔なので内容を忘れてしまっています。

ただ以前ブログにも書いたように、二十代から小松さんの「日本の呪い」のような本を読んでいたので、本文に出てくる呪詛とか式神などの言葉は知っていました。

それに複数の論文をまとめたものなので、テーマも幅広く私にはすんなり読める内容でもないので、これだけ時間がかかってしまいました。

先日、数回読み返したい本が百冊くらいあるので、しないことリストに本を買いすぎないことを追加したと書きましたが、小松さんの本もそれに含まれます。

なのでこの本もいつかは読み返すつもりです。

この本の最後、佐々木宏幹さんという方が「解説」で次のように書かれています。

「小松和彦氏のこれまでの研究活動は、鬼とか憑霊とか、妖怪とか異人とか、闇とか”いざなぎ流”とか、何か隠微でおどろおどろしい性格のものとの印象を与えてきたし、本人もこれを認めているようだ。」

人間の得体の知れないイマジネーションに魅力を感じています

若桑みどりさんの「マニエリスム芸術論」(ちくま学芸文庫)を読み終わりました。

成毛眞さんの著書「本は10冊同時に読め!」ではないのですが、私は興味のある本を何冊も同時につまみ読みしているので、一冊を読み終わるのが遅いです。

しかも若桑さんのこの本は分厚くて内容が濃い。読み始めて何年かかったかなという感じです。

そしてこの本で、すっかり若桑さんのファンになってしまいました。

この本は、全編を通してレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロをはじめとする、膨大な数の芸術家とその作品の解説が続きます。

イコノグラフィー(図像学)というのを知りましたし、新プラトン主義、ヘルメス文書、錬金術など、私の興味のある内容も盛りだくさん。

この本の何に惹かれたんだろうと考えていたのですが、最後にそれが書いてありました。

「たしかにイエーツが言うように、「ルネサンスの魔術は、十七世紀の科学の直接の父である」。しかし、それは、決して「科学」ではなかった。」

「ひっきょう、この時代の人は、プラトンの洞窟の人間のように、魔術的世界の洞穴の中で、夢見ることを求めたのであろう。」

そうなんですよね。