夢の分析は解釈するよりも鑑賞するような態度で臨んでみようと思いました

河合隼雄さんの本を少しずつ読み進めています。

今日は「イメージの心理学」(青土社)と「ユング心理学と仏教」(岩波現代文庫)を読んでいました。

先日ブログに、普段は夢を見ないけれど、上記のような本の夢に関連する部分を読んでいたら、立て続けに夢を見たということを書きました。

夢を解釈することで潜在意識の状態を知ることができるのではないか、と期待したのかもしれません。

なので、心理療法の教育を受けたことはないのですが、河合さんの本の中に解釈する方法のヒントが書かれていないか意識しています。

そんな中、「イメージの心理学」に次のような箇所がありました。

箱庭療法を受けた患者さんが作った作品に、河合さんがなるほどと納得できる解釈を施されたあと、次のように書かれています。

「このような考えは、おそらくあまり間違ってはいないだろう。しかし、このイメージをそのことだけに限定してしまうこと、および、クライエントに対して「自我の確立」という方向性を与えてしまうこと、は大きい危険性をはらんでいないだろうか。」

それに加えて、「その人の極めて個性的な面を見落としてしま」う可能性などの怖さを指摘されています。

そして次のような態度で臨むことを強調されています。

「このような考えを前提とし、その上、日本に箱庭療法や夢分析を導入するにあたって、象徴やイメージについての知識をほとんどもたない人でも、心理療法の経験をある程度もっている人たちに対して即戦力的に実際場面にあたって貰う必要があったため、ともかく箱庭療法や夢分析においても、治療者の無意識の世界に対して開かれていることと、クライエントを共感的に受けとめてゆくこと、の基本的態度を重視し、そこに示されたイメージを共に鑑賞するような態度をもつことを強調した。」

なるほど。

私は教育を受けていないため、治療者として人の夢分析をすることはできませんが、自分の見た夢に対してはこのような考え方で対応してみようと思います。