深層心理

やっている仕事から考えてロールモデルが見つからないのはいいことかもしれません

昨日からなぜこんなことを書いているのかといえば、昨日も少し触れた深層心理とパソコンの話と関係があります。

深層心理の方は、大乗仏教の深層心理学といわれる唯識にはまりましたし、先日河合隼雄さんの対談のお話を書いて以来、易経の解説書をとても面白く読んでいます。

パソコンの方は、これも先日も書きましたが、AIの技術であるディープラーニングがとても面白いと思っています。

両者は深いところで繋がっているのかもしれませんが、世間的なジャンル分けからすれば180度ほども違うものです。

それを考えていたら、以前より気にかけていたロールモデルというのは見つからないのも当然かな、と思ったんですね。

私は小さなソフト開発会社を経営していますので、本来ならば経営者のロールモデルを探すのだと思いますが、メディアに載るような経営者の方で、私と同じ嗜好の方はちょっといそうにありません。

さらに考えてみれば、小さな会社は他社さんとの違いを意識しながら仕事をしているわけで、そう意識するればするほど、自分と似たお手本となる人(ロールモデル)を探すことから離れて行きそうです。

昔からロールモデルというものを探すのが苦手でした

ロールモデルとは、「あんな人になりたい」という生き方や考え方のお手本となるような人物のようです。

もちろんその有用性は分かります。

仕事にしろプライベートにしろ、毎日は選択の連続です。

生きにくくストレスが多い生活をしているとしたら、やはり今まで何気なく行っていた日々の選択を、見なおしてみるのがいいのだと思います。

しかし見なおすといっても、何を基準にどこから手を付けていいか分からないという状態ならば、ロールモデルとなる人物を設定することができれば効率はいいでしょう。

必然的にその人物は、自分と考え方や行動が似ている人(同じ匂いのする人?)ということになるんじゃないでしょうか。自分でそう感じればそれでいいと思います。

もちろん違う人間ですから、その人と自分はいろいろな点で違うと気付くでしょうが、その差異を認識できるということが自分を見つめるきっかけになるわけで、それがロールモデルを設定するメリットなんじゃないかと思います。

その人を真似ながらも、その人との差異によって、どのような結果の違いが生じるかを体験することで、自分が理想とする生き方に近づけるのではないかと思います。

思考の癖をどのように受け止めるかによって行動は変わってきます

もちろん人間にはいろいろなタイプがあり、子供を見ていても、社交的であったり、人見知りであったり、外で走り回るのが好きだったり、室内で静かに遊ぶのを好んだり、妙に大人びていたり、無邪気で子供っぽかったりと、いろいろです。

ただそんな中でも本人にとっては、学校生活に特に違和感を感じていない子もいれば、どうも居心地が悪い、居場所がないと感じる子もいると思います。

社会人になって同級生と昔話をしていたとき、学校が楽しくてたまらなかった、と聞いてビックリしたことがあります。

確かに彼はクラスの中心グループにいました。

少なくとも私は学校が楽しいと感じたことはありませんし、どちらかといえば嫌でした。

しかしそうはいっても、昨日お話したように、どのように行動すればいいか分からないので人を観察していた、という行為は、学校が嫌だということに罪悪感を感じたからやっていたのだと思います。

学校が嫌だと思うのはまともではない、つまりマイノリティだからであって、まともになるためには、他の生徒たちと同じような行動をしなければ、という理屈ですね。

子供の頃の思考の癖は一生変わらないんじゃないかと思います

私は存じ上げなかったのですが、お笑い芸人のロバート秋山さんが、架空のクリエイターを演じる「憑依芸」というのが話題になっているようですね。

インターネットで調べてみると、「こういう人いる!」と思ってしまうようなキャラクターを、何人も演じていらっしゃいます。

ほんとうにみんな面白いです。

この芸のことを知ったのは、たまたま西日本新聞を読んでいたら、ロバート秋山さんのインタビューが掲載されていて、憑依芸についてお話されていたからです。

秋山さんは学生の頃から、「はたから引いた目を持って」同級生や先生を観察されていたようで、「彼は今決め台詞をいったな」、みたいなことをことを想像しては、心の中でクスクス笑っていたそうです。

その経験が、今の憑依芸につながっているんですね。

子供の頃からの思考の癖というのは、その人の一生変わらない資質なんじゃないかと思います。

私も同じように人を観察してはいたのですが、動機は違っていて、なぜか自分の人間としての行動に自信がなかったので、人はこういう場合にどう行動するんだろう?とか、どのように発言するんだろう?みたいな疑問を持って見ていた記憶があります。

秋山さんと違って暗いですね・・・。

易のアイデアという河合隼雄さんの考えに感動しました

「井筒俊彦著作集 対談鼎談集・著作目録」(中央公論社)という本の中で、井筒俊彦さんと河合隼雄さんが対談されているそうで、その一部がWEBサイトで紹介されていました。

河合さんが、「易経」を心理療法の仕事に使うことはないが、心理学者としてたいへん興味がある、ということを仰っています。

以下は、その部分の抜粋です。

「イメージです。私は患者さんに会っているときに、易経に描かれているイメージを持つことがあります。しかし、患者さんのために易をたてることはしません。もし、私が因果律による心理学にのみとらわれていると、私の心は狭くなってしまいます。そうすると、単純な因果関係でとらえられないことを患者が述べても、それに注目しなかったり、すぐ忘れてしまったりします。そして、すべてのことを母子関係に還元してしまったり、この問題の原因は父親だと決めつけたりするような、きわめで安易な考え方に従うようになります。私にとっては、事象はもっと複雑で、患者さんの来る日が晴れているか、雨が降っているか、そんなことすべては、その人の治ってゆく過程に関連しているかもしれないという態度をとっています。これが易のアイデアだと思うのです。」

井筒さんも、同席されていた心理学者のジェイムズ・ヒルマンさんも、これにはとても感銘を受けられています。

人が行動する範囲には、自分と似た価値観の人が集まっているのかもしれません

昨日はとても才能のあるミュージシャンが、ライブにかける価値観とはどのようなものか、とても興味を持ったということを書きました。

38個のうち、例えば「能力」、人よりも優れた演奏技術を磨きたいとか、「クオリティ」、質の高い音楽を提供したいとか。

あるいは「チームワーク」、メンバーと一致団結して目標を達成したい、ということかもしれません。

もちろんバンドの方たちは、一人ずつ価値観が違っていてもおかしくはありません。

しかしいえることは、私のように「レガシー=遺すもの」、将来に対して何かを遺したい、つまりソフトウェアやITサービスを普及させたい、というような情熱とは違うように感じます。

それに加えて彼らの地元、東京からついて来ているファンの方たちがいらっしゃったんですね。

追っかけというんでしょうか、私もアマチュアバンドを応援していて、バンドの運営を手伝っている人を知っています。

その知人には「忠誠」、バンドメンバーのために何かをやってあげたい、というような情熱を感じていました。

もしかすると、もっとシンプルに「楽しみ」、楽しく人生を過ごしたい、つまり人生を謳歌したいということですよね。そのような情熱もあるのかもしれません。

人間の価値観なんてあまり変わらないと思っていたのですが、そうでもないようです

自分のことを振り返ってみたのですが、私は社会人になって以降ゲームのソフト制作に携わっていて、やっぱり自分が担当したソフトはヒットして欲しい、世の中に広まって欲しい、と考えていました。

その意味では、昨日お話したように、自分の価値観は「レガシー=遺すもの」や「表彰」ということなのでしょう。

書いていて思い出したのですが、就職して何年か経って、久しぶりに幼馴染たちと会ったことがありました。

たまたま家電量販店の前を通りかかり、ゲームソフト売り場で自分が担当したソフトを発見して、「これヒットしたんだ」と伝えたとき、「そういうモノづくりの価値観もあるね」というような意味のことをいわれました。

そのときは自分のやっている仕事のことを話していて、お互いの仕事を肯定的に捉えていたと思います。

その記憶から考えてみても、自分の価値観は確かに38分の1でしかない、ということなのでしょう。

実は、この「達成する力」という本のことを思い出したのは、先日書いたジャズバンドを見たからなんですね。

プロとして活動されているので、当然ですが演奏がものすごく上手い。曲もいい。

しかしジャズというジャンルは、老若男女が日頃から親しんでいる、とはちょっといえないですよね。

目標を達成するために自分の価値観を知ろうという記事を見つけました

以前インターネットで、38の価値観=アイデンティティから、自分の最も大切にしているものを選んでみよう、という記事を見つけました。

パニック障害を患ってから、私はこれまで、自分がやりたいと思っていることをやってこなかったツケが回って来たのかな、と反省した時期がありました。

それ以来、自分の価値観の見なおしをしようと考えて、折に触れてそれを試みていたのですが、何度も想像したり調べたりしていると、自分の持っている価値観はいくつかにパターン化できることが分かりました。

そう感じるようになった一方で、たまに知らなかった考え方に巡り会ったりすることもあったのですが、これもその一つでした。

さっそく出典元の書籍、豊福公平著「達成する力」(きずな出版)を買って読んでみました。

38の価値観から私が選んだのは、「レガシー=遺すもの」と「表彰」でした。

前者は自分が将来に何かを残すために行動する価値観、後者は自分の価値が世のなかに認められ表彰されることを追い求める価値観、ということのようです。

しかし後者は、有名なマズローの欲求5段階説の承認欲求に属するような気がして、みんなが持っているんじゃないかな、とも思います。

一流のものは言い訳をしなくても売れるんですね

先日、知人に誘われて、小さなライブハウスにジャズバンドのコンサートを見に行きました。

東京を中心に活動しているそうで、ニューヨークで学んでいた方々のようです。

それはもう上手くて曲もいい。

福岡と佐賀を廻るツアーだそうです。

ジャズファンの中には知っている方もいらっしゃるでしょうが、ジャズを聴かない方にとっては、多分バンドの名前も聞いたことがないのではないかと思います。

ジャズに限らず、どんなに上手くて魅力的な音楽をやっていても、テレビや映画のようなメジャーなメディアで取り上げられる音楽でなければ、一般の方は知らないと思います。

しかし、こうやって地方でもライブを観に来る人たちがいるのですから、すごいことですよね。

そんなことを思いながら、帰りのバスを待っていたら、やって来たバスが超満員でした。

多くの人がソフトバンクホークスのユニフォームを着ています。

ちょうどホークスの試合が終わったんですね。

私も何度か福岡ドームにホークスの試合を見に行ったことがあるのですが、あの大きな球場が人でいっぱいになるなんて、大したものだと感心してしまいます。

自分をよく見つめて自分に合いそうなものを取り入れて行けばいいと思います

21世紀になっても、国民的アイドルグループのSMAPが「世界に一つだけの花」という曲を出すくらいですから、一人ひとりは全く違う人間だという認識が浸透してきたのは最近ではないかと思います。

子供のころから学校では、教科書の問題、例えば国語の「このとき作者はどのように思ったか答えなさい」のように、クラス全員が一つの解答に導かれるように訓練されて、私に限っていえば、そのことに疑問を持たずに大人になったように思います。

今は全く違うのかもしれませんが、私が小学生だった1970年前後は、全体行動を意識していたように記憶しています。

私の場合、そのような思い込みが、「こうすれば性格を変えられる」とか「こうすれば自信が持てる」という文章に接して、そのとおりに実践したのに、上手く行かない自分はやっぱり落ちこぼれだ、と決め付けていたのではないかと思うのです。

そうではなくて、まずは自分をよく見つめて、より自分が解るようになってから、そのような話に少しずつ耳を傾けて行く。

意思の力でこうあるべきという方向に変えるのではなくて、本来の自分に合ったものを発見して行くという方向です。

まだ経験が少ない若い人は、ある程度年齢を重ねるまで難しいと思いますが。