深層心理

今後いろいろな形態のAI機器に接するにつれて人間の心理が分かってきそうで面白いです

もう1、2週間前になりますが、Raspberry Piで音声認識をさせるために、Juliusの簡単な辞書を作ったことを書きました。

次の段階は、認識した言葉を取得して天気予報などを喋らせることだと思いますが、それにはモジュールモードなるものがあるとのこと。

今日それをやってみました。

みなさん考えることは同じで、インターネット上には豊富に情報があります。

何でもJuliusの起動オプションに-moduleを付ければいいのだとか。Juliusがサーバーとして動作し、認識結果をXMLで送信してくれるようになります。

ネット上にあるサンプルを元に、先日作った辞書を読み込んで試してみたのですが、ほとんど上手く行くものの、何度かに一回はParseErrorが出てしまいます。

どうも余計なXML文を読み込んだときに吐き出すエラーらしい。

まあいっか。他に作業があることだし。今日はここまでにします。

ネットを見ていると、Raspberry Piに「ちゃん」づけしている人が結構いるようですね。気持ちは分かります。

強すぎる想像や妄想という性質だからこその喜びや感動があると思います

以前にも書きましたが、仕事などに役立つ自分の強みを教えてくれるストレングス・ファインダーをやってみて、五つのうち最初に来たのが「戦略性」でした。

物事に対する特殊な見方。あなたは常に「こうなったらどうなる?では、こうなったらどうなる?」と自問しています、というような説明があります。

確かに私にはそういうところがあるのですが、ストレングス・ファインダーをやった人が「他の人も自分と同じだと思っていた」というように、指摘されるまでは意識しませんでした。

しかしこのような性癖は、いつも何かを想像している人にはありがちなことではないかとも思います。なかには取り留めのない妄想になっている人もいるかもしれませんが。

このような資質が仕事に役立つ部分もあるのでしょうが、想像や妄想は極度の恐怖感や不安感のようなマイナス面も生み出します。

私もそうでしたが、社会生活に支障をきたすほど苦しんでいる人は、本やインターネットの情報に何らかの助けを求めます。

よく見かけるのは、「想像力のある人は芸術家などのクリエイティブな仕事に向いています」というように結んでいるWebサイトです。

もちろん芸術家は想像力がないと作品は生み出せないとは思いますが、誰もが芸術家になれるわけではありません。

恐怖感や不安感を助長する想像や妄想の力も悪いものではないなと思っています

本などの情報で、恐怖感や不安感のような感情は妄想だということは、頭では理解しているつもりです。

禅に「莫妄想(まくもうぞう)」という言葉もありますね。妄想しないで今やるべきことをやりなさい、という意味のようです。

一方で、このような感情は人間が危険を察知して生き延びるために必要な能力であって、本能を抑えることは難しいとも聞きます。

そうはいいつつも、ほとんどの人は問題なく社会生活ができているのであって、そのような感情とうまく折り合いをつけながら生活しているわけですね。

しかし、中には社会生活に支障をきたすほど折り合いをつけられない人もいて、このような症状は不安障害とか神経症などと呼ばれているようです。

私も経験者なのでその辛さは分かります。

原因はいろいろ考えられるのでしょうが、想像力というか妄想力というか、それがとても強いと子供の頃から感じていました。

恐怖感や不安感のような感情は想像や妄想が助長する、というようにもいわれています。

最近、子供の頃からの自分の考え方や行動を省みて、この想像や妄想が思いの外大きく影響しているなと思っています。

自分の仕事道具に対してもそんなに物欲がないことに気づきました

知人がガスコンロやキッチン備え付けの換気扇、炊飯器などの調理器具一式を入れ替えるそうです。

購入してから10年から20年経っているようで、いろいろなところにガタがきているからだとか。

工事も必要になるのですから結構な出費だと思います。

シニアの方なので時間もあり、料理が趣味の方なので、気分的にも新しいものにしたいのでしょう。

私など、料理は買ってきたものをレンジでチンするくらいしかしないので、どんなに古くても動いてさえいれば気にしません。

それどころか、調理器具以外でも壊れてからじゃないと買い替えたりしないような気がします。

昔会社に勤めていた頃、来季の予算で必要なものを申請する際に、同僚がフロッピーディスクドライブやディスプレイなどを書いていたので、「あるのに何故?」と訪ねたことがあります。

「今あるのは古いから」とか「違うタイプを使ってみたいから」という理由でした。

そのときは人それぞれ、モノに対して感じ方が違うなと思ったものです。

今考えてみると、食に対してこだわりはないので調理器具にもこだわらないのは当然ですが、ずっとパソコンの仕事をしているのに、そんなにこだわりがないのは不思議な気がします。

唯識の心所の解説を読むと自分だけの悩みではないと分かってホッとします

昨日は、暑くてイライラしている気持ちを沈めようと思ってたまたま読んだ本の箇所が、心を見透かされているようで驚いたというお話をしました。

そのうちの一冊が、太田久紀著「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」(大法輪閣)という唯識仏教を解説している本です。

唯識のことは何度かこのブログでも紹介しました。大乗仏教の思想で、末那(まな)識や阿頼耶(あらや)識という深層心理を説いていることで知られています。

私がこの本で感動したのは、「心所(しんじょ)」といって、心の働きを五十一種類に分けて詳細に説明している章。

自分でも心というのはやっかいなものだと日頃から感じていたり、自分以外の人も本当に同じように悩んでいるのかなと疑っていたりします。

そのような心の動きを、実際に名前を付けて解説してくれているんですね。

例えば「煩悩」のジャンルにある「慢」という心所。思いあがって他を見下す心作用、とあります。

何かに自信がつくと頭を持ちあげてくるし、これではいけないと自分にいい聞かせて、傲慢な気持ちを整理できたと思うと、整理できたと思う慢心がまた頭を持ちあげてくる。

このような説明を読むと、ああ、自分だけが悩んでいるんじゃなかったんだな、とホッとしたりします。

仏教や易経の本に自分の心が見透かされてしまったような日でした

相変わらず暑い日が続いています。

私もうんざりしていますが、高齢の親もエアコンのある部屋にいるとはいえ、かなり参っています。

ここ数日、開発の仕事を受注するために仕様や見積もりを作成していて、ある程度ストレスも溜まっていたせいか、クーラーの温度調節のことなど、ちょっとしたことでイラッとしたりします。

まあ、どこの家庭でもよくあることだと思います。

最近イライラしていてよくないなぁと思い立って、少しずつ読み進めている本があるのですが、たまたま今日読んだ箇所に、ちょっと反省させられることが書いてありました。

一冊目は太田久紀著「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」(大法輪閣)という、唯識仏教を解説している本です。

以前にも書きましたが、唯識は仏教の深層心理学ともいわれていて、圧巻は「善」や「煩悩」というジャンルごとに、心の働きを五十一種類に分けて詳細に説明しているところです。

その「善」の中の「行捨(ぎょうしゃ)」と「不害」を説明する箇所。

前者は自分の好き嫌いで善悪を決めてはならない、後者は相手を傷つけてはならない、善を押しつけてはならない、とあります。

ああ、これはさっきの親とのやり取りのことじゃないかとドキッとしました。

ある時期から人を怖がらせることに別の目的を感じるようになりました

子供の頃は経験が乏しいので、暗いところにはお化けが潜んでいるようで怖いですよね。

心理学者のユングは、幼児期に恐ろしい「人食い」の夢を見て、これが生涯のトラウマとなり、心理学の考えを深めることにも繋がったとう話があります。

大人でも知識がないことに対して、その道の権威に何かいわれると、つい信じてしまいがちです。

お坊さんに地獄の話をされたり、霊能者といわれている人に幽霊の話をされたりすると、妙に説得力があるので信じてしまう気持ちも分かります。

太宰治が幼い頃、お寺で地獄絵図を見せられてあまりの恐ろしさに泣いたように、私も子供ながらに、なぜ仏教ってこんなに恐ろしい地獄を見せるんだろう、と疑問に思ったものでした。

もう20年近く前ですが、田上太秀氏の「仏陀のいいたかったこと」(講談社学術文庫)という本を読みました。

その本の「霊魂を否定し、無我を唱える」という章に、仏陀は人の老死の現実的苦しみの由来について問うたのであり、霊魂について説くことはなかった、というようなことが書いてありました。

ずいぶん合理的な考え方をした人のようで、「いまの生き方、考え方がいかにあるべきかだけが問われている。」とあります。

当時はそのことを知って、とても驚いた記憶があります。

子供の頃は大人のいうことを素直に信じていました

今日夕食時にテレビをつけると、TBS系列で「この差って何ですか?」という番組をやっていました。

「「昔の健康常識」と「今の健康常識」の差」と題して、昔いいといわれていたことが今はそうではない、という例がいくつか挙げられていました。

「遠くを見ると目が良くなる」、「暗い所で本を読むと目が悪くなる」、「風邪を引いたら安静にする」などが間違いであるとのこと。

どれも子供の頃、親によくいわれていたことですが、医学的にいって視力が改善したり悪化したりするわけではない、というようなことのようです。

これを見ていて、以前にも書きましたが、小学校の保険の授業で、歯磨きをするときは歯ブラシにタップリ歯磨き粉をつけて、歯ブラシをグーで握って、横にゴシゴシこすりましょうと習ったことを思い出しました。

今はペンを持つように歯ブラシを軽く持ち、歯茎をマッサージするように横に小刻みに震わせるように磨く、というようにいわれていますので、昔とずいぶん違います。

そのことを思い出すたびに、常識なんて時間が経てば簡単に変わることや、大人のいうことを素直に信じていたことを意識します。

自分の好きなことと会社の業務が一致していれば会社に取ってもメリットがあるのですが

会社に所属して競馬や競輪のゲームを担当していたときは、一生懸命資料を読んだり、詳しい人に聞いたりして、商品パッケージの説明文や広告のコピーを書いていました。

しかし、資料や人に聞いた内容以上のことは書けないんですね。

独立してから、ある海産物加工品のネットショップや介護職関連のWEBサイトの運営の仕事をしたことがあります。

そのときも多くの資料を読み込んだのですが、資料の内容以上のことは書けませんでした。

前述の競馬ゲームのときは同僚に競馬好きがいて、いろいろと話を聞かせてもらっていました。

贔屓の馬を追い続けてきたり、馬券を買い続けてきたりして、競馬は彼の人生の一部になっていますから、競馬に関することは自分の意見を持っているのです。

ゲームの開発チームと雑談をするときも、とても話が弾んでいるようでした。

しかし彼は営業でしたので自分の業務に忙しく、時間があるときにデバッグを手伝ってもらうくらいで、開発チームに参加することはありませんでした。

私は学生の頃、楽譜作成ソフトで音楽創作活動をしていたので、入った会社がたまたま楽譜作成ソフトを開発していたこともあり、その担当になって経験を活かすことができました。

頭では仕事に取り入れようと思っても興味が持てなければ難しいと思います

先日知人が、Googleスプレッドシートのフォントサイズを変えたりして、見やすく印刷しようとしていたのですが、慣れていなくて苦戦していました。

その人はExcelを使えるので、Excelファイルとしてダウンロードできますよ、と目の前で手順を説明すると、それは便利だと喜んでいたのですが、後日一人で作業をするときには、ダウンロードのことは忘れてGoogleスプレッドシートを直接編集し、やはり苦戦したようです。

本当に必要なとき以外はパソコンを使わない人で、業務でパソコンを使っていなかった年代の方ということもあり、なかなか覚えられないのだと思います。

そういう私も、ゲーム開発会社に所属していた頃は、ゲームのことを覚えようとしてもなかなか覚えられませんでした。

その会社で楽譜作成ソフト担当だった時期は問題なかったのですが、20代後半は楽譜作成ソフトの担当を外れたので苦労しました。

覚えられないのは年齢のせいもあるかもしれませんが、やはり興味があるかないかが一番大きいと思います。