強すぎる想像や妄想という性質だからこその喜びや感動があると思います

以前にも書きましたが、仕事などに役立つ自分の強みを教えてくれるストレングス・ファインダーをやってみて、五つのうち最初に来たのが「戦略性」でした。

物事に対する特殊な見方。あなたは常に「こうなったらどうなる?では、こうなったらどうなる?」と自問しています、というような説明があります。

確かに私にはそういうところがあるのですが、ストレングス・ファインダーをやった人が「他の人も自分と同じだと思っていた」というように、指摘されるまでは意識しませんでした。

しかしこのような性癖は、いつも何かを想像している人にはありがちなことではないかとも思います。なかには取り留めのない妄想になっている人もいるかもしれませんが。

このような資質が仕事に役立つ部分もあるのでしょうが、想像や妄想は極度の恐怖感や不安感のようなマイナス面も生み出します。

私もそうでしたが、社会生活に支障をきたすほど苦しんでいる人は、本やインターネットの情報に何らかの助けを求めます。

よく見かけるのは、「想像力のある人は芸術家などのクリエイティブな仕事に向いています」というように結んでいるWebサイトです。

もちろん芸術家は想像力がないと作品は生み出せないとは思いますが、誰もが芸術家になれるわけではありません。

精神的に苦しんでいる人にとっては、あまり参考にはならないように思います。

最近私が感じていることは、昨日も書きましたが、子供の頃からの自分の考え方や行動は、この強すぎる想像や妄想から大きな影響を受けていたということです。

絵や作文で褒められたようなことではなく、買ったものとか食べたものとか行った場所とか選んだ進路とか、今までやってきたことすべて。

強すぎる想像や妄想という性質がなかったとすれば、社会生活に支障をきたすほどの恐怖感や不安感を感じないで、もう少し生きやすい人生だったかもしれません。

しかしそうであったならば、今までやってきたこととはまったく違うことをした人生だったわけです。

果たしてそれでいいのか?

一つ一つを思い出してみると、苦しいことは多かったけれども、この性質だからこその喜びや感動もあったように思うのです。

これから何か行動をするとき、そのようなことを意識してみると、想像や妄想が今より少ない性質だったら違う行動をするだろうな、と思う場面も多いと思います。

そう考えてみると、今まで本やインターネットに書いてあることがあまり響かなかった方も、自分の性質に少しは明るさというか、嬉しさようなものは感じないでしょうか。