唯識の心所の解説を読むと自分だけの悩みではないと分かってホッとします

昨日は、暑くてイライラしている気持ちを沈めようと思ってたまたま読んだ本の箇所が、心を見透かされているようで驚いたというお話をしました。

そのうちの一冊が、太田久紀著「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」(大法輪閣)という唯識仏教を解説している本です。

唯識のことは何度かこのブログでも紹介しました。大乗仏教の思想で、末那(まな)識や阿頼耶(あらや)識という深層心理を説いていることで知られています。

私がこの本で感動したのは、「心所(しんじょ)」といって、心の働きを五十一種類に分けて詳細に説明している章。

自分でも心というのはやっかいなものだと日頃から感じていたり、自分以外の人も本当に同じように悩んでいるのかなと疑っていたりします。

そのような心の動きを、実際に名前を付けて解説してくれているんですね。

例えば「煩悩」のジャンルにある「慢」という心所。思いあがって他を見下す心作用、とあります。

何かに自信がつくと頭を持ちあげてくるし、これではいけないと自分にいい聞かせて、傲慢な気持ちを整理できたと思うと、整理できたと思う慢心がまた頭を持ちあげてくる。

このような説明を読むと、ああ、自分だけが悩んでいるんじゃなかったんだな、とホッとしたりします。

他にも「覆(ふく)」は自分の悪を覆い隠すこと。自分の利益を守るために罪をおおい隠してはいないか。「諂(てん)」はへつらい。師匠に一生懸命つかえる。師匠を大切にしているのか、おべっかをつかっているのか。

このように自分でも思い当たる心の動きが、これでもかと列挙されています。