パソコンと想像力

みんな物語を欲しているなと思っていたら、一番欲しているのは自分でした

昨日お話したライムンドゥス・ルルスは、記号の操作で文字列を生成する機械を考案した人です。

そのアイデアをライプニッツが気に入って、それを発展させた「結合法論」という著作を書き、のちに機械仕掛けの計算機を作り上げます。

このようなことを考える人たちですので、とても論理的な思考を持っていたはずなのですが、熱心なキリスト教徒だったせいか、ちらほら秘密結社や錬金術の話が聞こえてくる。

ルルスなんて魔術師のように扱われた時期もあったらしい。

このような扱われ方は、陰陽師の安倍晴明と似たような感じを受けます。

この人は優れた天文学者で、国家にとって重要な暦を作る仕事をしていた公務員ですよね。

当時としては最先端の科学であっても、普通の人にとっては得体の知れない魔術なわけです。

そのイメージが、後世の人たちによって、平安京に跋扈する魔物を式神を操って退治する人物に作りなおされます。

ある程度重要なノンフィクションさえあれば、フィクションで脚色しても、それが面白ければ面白いほど人は感情移入できるのでしょう。

刀女子なんてその典型ですよね。

「刀剣乱舞」というゲームが火付け役のようです。

コンピューターの歴史を遡っていたらルルスの術に行き当たりました

先日より、コンピューターの基礎である二進法を作ったライプニッツへの興味から、ふと思い出してはインターネットで情報を集めています。

「そんなことより、ライプニッツの著作物を読み込んでモナドのことなどを理解せいっ」て思いますが、私にとっては業務に差し支えるほど難しくて頭を使うので、無理せず少しずつ読み進めているところです。

ライプニッツには、どんな思想もアルファベット26文字の組み合わせで表現できるように、基本的な概念を組み合わせることで、無数の概念を作り出すことができるはずだと考え、「結合法論」という著作を著したそうです。

その考えがのちに、十進法で掛け算や割り算などができる計算機や、二進法の計算機の発明に繋がることになります。

ちなみにこの「結合法論」には基となるアイデアがあって、それが13世紀の思想家、ライムンドゥス・ルルス(ラモン・リュイ)のルルスの術と呼ばれるものらしいのです。

この人は、哲学者、宣教師、作家などいろいろな肩書きを持っているようですが、後世には魔術師のような扱いを受けていた時期もあるらしい。

東京大学大学院情報学環教授の西垣通さんという方は、このルルス、ライプニッツの普遍記号学が20世紀のコンピューターに至る流れを指摘されています。

ライプニッツも興味のあるテーマの一つに加わりました

昨日は、ライプニッツに関するインターネットで見つけた論文や図書館にあった本から、私の興味のあるテーマのものを、そのタイトルだけご紹介しました。

ライプニッツについては、自分なりに内容を消化してからブログに書こうと思っていたのですが、あまりに自分の興味と一致するものが多かったので、ついうれしくなってメモしてしまったのです。

しかしここでご紹介したテーマは、ライプニッツの活動のほんの一部で、彼の活動範囲は政治や宗教なども含む広範なものです。

先日注文した本「モナドロジー・形而上学叙説」が来たので、その解説を読んでみると、彼が活動したのは三十年戦争のあとのドイツとのこと。

彼には荒廃した社会の再統合という目的があったようです。

それを考えると、中国への興味、心理学、計算機(今でいうコンピューター)のように、一見何の脈絡のないものが思索のテーマに含まれていることも理解できます。

それどころか、ライプニッツの確立した二進法に基礎を置くコンピューターが、ありとあらゆる分野で活躍している理由も、彼の目的とどこか共通するものを感じます。

コンピューターには技術さえ身に付けば参加資格が手に入るイメージがあります

昨日、私は自分がパソコンを好きな理由をなかなか上手く説明できない、ということを書きました。

毎晩、寝る前にiPadでWEBブラウジングをしたり、Evernoteに気付いたことをメモしたりしているのですが、Windowsタブレットで同じことをするのに比べて快適だと思います。

しかし、パソコンがない環境に持って行くとしたらWindowsタブレットの方を選びます。

それはファイルを開いたり、ちょっとしたスクリプトを書いたりしなければならなくなったとき、パソコンのように使えるという安心感があるからです。

もちろんiPadでも大抵のことはできると思いますし、私に知識が不足しているだけなのでしょうが、やっぱり作業するためのツールがいろいろ揃っていることは、保険が利いている安心感があります。

私が始めてパソコンを買ったときのことを思い出してみると、最初は音楽で使うためにMSXパソコンを買い、次に大学の卒論で使うためにNEC PC-9801を買いました。

パソコンの知識はあまりなかったにもかかわらず、自分にとってPC-9801の何でもできる感は圧倒的でした。

ライプニッツが計算方法を確立しただけにコンピューターの適応力に納得してしまいます

昨日は「知の教科書 ライプニッツ」という本の中に、ライプニッツがのちの時代に無意識と呼ばれることになる「微小表象」という概念を考察していた、という記述を見つけて驚いたことを書きました。

ライプニッツというキーワードに、私の興味のあることが複数含まれていることを発見して、さらに興味が増しました。

彼の思想について自分なりに整理するのはまだ時間が必要ですが、「万能の天才」と評価されるほど多くの分野に業績を残したことは分かりました。

そういう意味では、コンピューターの基礎となる二進法を確立した人だけに、多様な分野で活躍している現代のコンピューターのような人物だなと感じました。

以前よりこのブログで、自分がパソコンが好きな理由を、アイデア次第でいろいろなことが試せるところとか、好きな理由をくどくどと考えてしまうくらいよく分からないところなど、思い付くままに書いてきました。

コンピューターの計算方法の基礎を創った人からして、このような多彩な業績を残していることを知って、自分がパソコンが好きな理由をなかなか説明できないことも、妙に納得できてしまいます。

若い人を中心に、スマートフォンがあればパソコンは要らないという主張をよく聞きます。

私たちの世代が考えつかないITの使い方で社会問題を解決してくれるかもしれません

一昨日書いた、ネットで見つけた高校生の発言ですが、私の場合は年代的にスマートフォンではなくパソコンでした。

彼がスマートフォンに触れるより少し遅く、成人した直後にパソコンに触れたのですが、それまで経験したことのない感覚を味わったことを覚えています。

これを使えば何でもできそうな万能感というのでしょうか。

当時から、パソコンというものは「ソフトがなければただの箱」といわれていたのですが、ソフトさえあれば何にでも化けるわけです。

そのようなものは、生まれてこの方手にしたことはありません。

これを使えば何ができるんだろう、と妄想ばかりしていた記憶があります。

ギターを夢中で練習してもプロになる才能はないと悟りましたし、運動部で頑張っても上手くないのでレギュラーにはなれませんでしたし、勉強も同じくできませんでした。

そのようなことを高校を卒業するまで嫌というほど経験したので、よりいっそうパソコンに希望を持ったのだと思います。

ハードウェア周りにしてもプログラミングの面でも、パソコンの世界は分からないことが多すぎて、時間がいくらあっても足りません。

学生のときなんてそんなに勉強もしませんでしたし、部活をやめてしまったら時間を持て余します。

やろうと思えば小学生でさえ最先端のITを体験することができるでしょう

先日も自転車に乗っていると、前から自転車に乗る若者がこちらに突っ込んで来るような気配なので、端に避けたらスマートフォンを見ながら走っていました。

もう中毒ですよね。

新しいデバイスは、それを子供の頃から使っていた世代が成人して社会で活動を始めると、その影響が分かるんじゃないかと思います。

例えば「ゆとり世代」なんて、いろいろといわれてきましたよね。

先日も書いたのですが、現代はグローバル化とか高齢化社会とか、もはや生き方のお手本となるものがない時代です。

そういう中で、詰め込み教育とは逆の教育を受けてきた世代です。

単純に考えて、柔軟な発想で新しいものを生み出す能力を持っているような気がしますし、少なくともそういうところに期待が持てる。

先に挙げたスマホに夢中の若者のように、物心ついたときから肌身離さず持ち歩いている子供もいるでしょう。

今のスマホはもうパソコンのように高機能だと思います。

設定画面を開けばWi-Fi接続やクラウドストレージの情報、アカウントのことなど、幼くしてコンピュータ周辺の知識に触れることができます。

小学生のときからスマートフォンが与えられていたらと想像してしまいました

今日、小学生でもLINEをしているというインターネットの記事を読んでいたのですが、そのコメント欄に高校生が投稿していました。

彼はスマートフォンは面白いのでいつも使っているが、思考停止しているような感覚があるとのこと。

難しい本を読み切ったときなどに感じる充実感を知っているので、子供たちがこのような充実感を知らずに成長するとすれば問題なのではないか、というような内容でした。

私はLINEはあまりやりませんが、好きなジャンルの情報サイトやYouTubeなどを見ているとつい時間を忘れてしまうことがありますので、彼のいっている感覚は分かります。

私も高校生ぐらいになると、長文問題の読解力をつけるためにとか、このくらい読めと強制されたりとかで、難しい本も読んでいました。挫折することの方が多かったのですが。

そんな中でもごくまれに、遠藤周作さんの「沈黙」のような感動する本に出会うこともありました。

当時はスマートフォンどころかパソコンさえも身近にありませんでしたので、勉強もせずにだらだらと時間をつぶすとすれば、テレビを見るか漫画を読むくらいだったように思います。

テレビは居間にしかありませんので見る時間は限られていますし、漫画もお小遣いで買う冊数はたかが知れています。

ブログに関しては他の方の作品を鑑賞するのが楽しいのです

昨日は、他の方の写真やビデオの作品を鑑賞するのが、それほど楽しめなかったというお話をしました。

以前、私はあるリハーサルスタジオで、店員のアルバイトをしていたことがあります。

同僚の店員は、ほとんどの人がバンド活動をしていました。

アマチュアバンドですので、彼らが定期的に開くライブには主に知人を呼ぶんですね。

逆に知人がライブをするときは足を運ぶ。

私はどちらかといえば、アマチュアのライブに行くよりは、プロのミュージシャンのライブやCDを鑑賞したいかなと思います。

もちろん、今まで何十回とアマチュアバンドのライブに足を運びましたし、感動したこともたくさんあります。

でも自分でアマチュアバンドをやるのは、そんな理由で躊躇してしまうんですね。

一方で、私は他の方の書いたブログをよく読みます。

私が読むようなブログを書いているのは、ほとんどがアマチュアの方です。

たとえ20代の方が書いたブログでも、「確かにその通りだなあ!」とよく感心しますし、その方を尊敬したりもします。

興味があるものの中でブログに躊躇なく関われる理由が分かりました

これは大そうなことではなく、ほとんどの方が分かっていることでしょうから、少し恥ずかしいのですが、自分で妙に納得したので書いておきます。

私は昔からメカに興味がありましたので、その一つとしてカメラにも興味を持ちました。

東京から福岡に戻ってきたとき、福岡の風景を写そうと思ったのか、初代のCANON EOS Kissを買いました。

量販店ですごく安かったのです。

しばらくはパシャパシャ撮っていましたが、そのうち撮らなくなりました。現像代が馬鹿にならなかったことなど、いくつか原因があると思います。

食品会社のネットショップをお手伝いしたときは、いろいろと製品を見比べて、少し高級なデジタルカメラを購入したこともあります。

今度はデジカメなので現像代もかかりません。

しかしそれでも、のめり込むまでには至りませんでした。

デジカメはパシャパシャ撮れば、すぐに何百枚も溜まります。それをどうするか。

もちろん、自分だけで楽しむというのも一つの趣味だと思います。

でも私は人に見せたくなるんですよね。しかしそれができない。

今まで知り合った方の中には、写真が趣味の方もいて、撮り溜めた写真を見せてくれました。

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