潜在意識

自分の内なるネガティブな声に子供の頃の愛称で呼びかけています

数日前、ウェブメディアのライフハッカー[日本版]で「自分の内なるネガティブな声には、名前を付けてしまおう」という記事を見つけました。

ネガティブな声に名前をつけ、何かマイナスなことを考えるたびにその名前を呼ぶ。人は自分の声から自分自身を守るメカニズムは持っていないが、他者からは自分を守ることができる、ということのようです。

へぇー、面白いですね。

私はストレスが溜まってくると、必要以上に罪悪感を感じるようになったり精神的に不安定な状態になりやすいです。

そのようなときに使えるかもしれないな、と思って何度か試してみました。

しかし結果は・・・自分の場合はあまり効果はなさそうです。

自分じゃない人の名前を呼んでも、私の心が反応しないようです。う〜ん、冷めたやつだ。

それならばと、私の学生の頃のあだ名や子供の頃の愛称を使ってみました。

すると何だかいい感じで、心が冷静さを取り戻すような気がします。

何種類か試してみましたが、一番小さな頃の呼ばれ方「○○ちゃん」が一番効果がありそうな感じでした。

これはどういうことでしょうね。心理学的にすでに説明されていることじゃないかと思うんですが。

モノを所有するというのはストレスが溜まる行為なのかもしれません

先日書いた、壊れたプリンターとCDプレーヤーとFAXの回収を業者さんにお願いした件ですが、明日来ていただけるというので、今日取り外して用意を済ませました。

CDプレーヤーなんて、セッティングした場所から取り出すのは二十年ぶりくらいです。埃がこびりついてベルベットの生地のようになっていました。

置いていた場所にスペースができて随分スッキリしました。

壊れたものはすぐ処分すればいいのですが、自分に向かって「いつか修理するかもしれないし・・・」みたいな言い訳をして、つい放置してしまいます。

でも、スペースができたときにスッキリした気分になるということは、少なからずストレスが溜まっていたんじゃないかと思います。

モノを所有するというのは、置く場所を必要としますのでコストもかかります。

必要なものはしょっちゅう必要になりますが、必要な時期を過ぎると急に使わなくなったりもします。

フロッピーディスクなんて、かつてはバックアップも含めいくらあっても足りなかったんですが、ハードディスクが普及したら大量に余ってしまいました。

一時期ペーパーレス化といって、オフィスの紙の資料をデジタル化することによって、探す手間や置くスペースを省くことを奨励する風潮があったと思います。

気が付くと使っていないのに捨てられないモノが増えています

プリンターが壊れてから、これまでコンビニの印刷機で済ませていました。

以前ブログに書いたように、前回買ったプリンターが三年持たなかったし、最近プリントアウトする機会もそんなにないし、所有することで生じるランニングコストもバカにならないなと考えたんですね。

ただ来月から講師の仕事が入っていて、その他にも発表する機会があるため、その際に配る資料がかなりの分量ありそうです。

こりゃプリンターを買う方がいいかもしれないな、と思い立ちました。

これを機会に、壊れたプリンターと一緒に壊れている機材を処分しようと思い、無料で回収してくれる業者さんに依頼しました。

ずいぶん前に壊れてそのまま放置していたCDプレーヤーとFAXです。

これ以外にも使っていない機材はたくさんあるのですが、愛着があったりいつか使うだろうと思っていたりして処分していません。

私と同じような感情はないのか、モノをポンポン捨てる知人もいるので、こればかりは性格ですよね。

モノが捨てられないなら買わなきゃいいのでしょうが、やっぱり人間の所有欲は旺盛だと思うので、それは無理だろうと思います。

例えばダイソーなんていつも混んでいて、レジに並んでいる人の買い物かごには結構いろいろ入っています。

子供の頃見ていた動画を見ると、記憶なんていい加減だなというのがよく分かります

最近深夜に、やることも終わって寝る用意を始める前に、動画サイトで昔の映像を見ることがあります。

そのなかに1970年代、私が小学生の頃のものがあったりします。

今までに見ていて驚いたことがいくつかありました。

ひとつはテレビ番組「時間ですよ」に出演していた堺正章さん、天地真理さん、浅田美代子さんが、挿入歌の「赤い風船」を歌っているシーンです。

まず天地真理さん。1980年代に「オレたちひょうきん族」に出演されてましたよね。

ひょうきん族を見ながら、「昔は国民的美少女アイドルだったはず」と思っていても、コントをする映像が強烈で、面白い女芸人さん的なイメージに固定されていました。

ところが「時間ですよ」の天地真理さんは可憐で美しい。歌も上手い。

やっぱり当時大人気だった理由が分かります。

それに浅田美代子さん。何年か前に「さんまのスーパーからくりTV」に出演されていました。

この頃よく、音程を外して歌う「赤い風船」のモノマネをしている人がいたんですよね。

ところが「時間ですよ」の浅田美代子さんは、歌がちゃんとしている。

音程を外してなんかいません。

タモリさんの博識ぶりを見て他人に期待しないためにはそれも必要なのかなと思いました

以前ブログで、タモリさんのおっしゃった「他人に期待しない」というのを口癖にしてみたら、いい感じだったということを書きました。

今日も近しい人から理不尽なことをいわれてムッとしたのですが、この言葉を思い出して「しょうがないなぁ」と気持ちを切り替えました。

自分が理不尽だと思ったことも相手にとっては言い分があるのでしょうし、近しい人であればあるほどストレートに感情をぶつけてしまうのはしょうがないとも思います。

そんな感じで、あれから結構この口癖に助けられていますので、テレビでタモリさんを拝見したときは、ふとこの口癖のことを思い出してしまいます。

前々からNHKの「ブラタモリ」を見ていて、タモリさんの博識ぶりにいつも驚いていたのですが、最近思うのは「他人に期待しない」ためには、ある程度自分で解決できることが前提なのではないかということ。

極端な話、自分で何でもできたり何でも知っていたりすれば、他人に期待する必要もありません。

もちろんそんなことは不可能でしょうが、できないことや知らないことがあったとしても、代替案なり別の知識で代用するなりして、自分で納得できる結果を導き出せればいいわけです。

もしそれを試みても無理だった場合は、諦めもつくんじゃないでしょうか。

感情がクラウドを全面的に信頼するようになるにはもう少し時間がかかるかもしれません

いつもはChromebookで仕事をしているのですが、昔から使っている業務用ソフトで仕事をするときはWindows 7パソコンを起動しています。

しかしこのパソコンはメモリが4MBなので、ソフトやWebブラウザを複数起動したら動作が遅くなります。

この業務用ソフトを使う必要はないけれどもWindowsを使いたい、というときには、先日買ったメモリを8MB積んでいるWindows 10パソコンを起動します。

最近気が付いたのですが、Windows 7に保存しているパスワードなどを記載したファイルをWindows 10パソコンで開きたいときは、メモリスティックにコピーして持って行きます。

これは私だけかもしれませんが、クラウドに保存したくないんですね。

仕事の書類は、平気でGoogleドキュメントやGoogleスプレッドシートなどのクラウドに保存しているのに。

メモするときによく使っているEvernoteやGoogle Keepにもパスワードは書きません。

仕事の書類にしろメモにしろ、当たり前ですが、パスワードと同じように人に見られたくはありません。

にも関わらずこの違いは何なのでしょう。

仕事に対して心が前向きになる欲であれば肯定して行こうと思いました

昨日は、仕事を選ぶ際に「好き」で選んでも飽きてしまったときに困る、とはよく聞く話で、私も飽きっぽいので悩んでしまうというお話をしました。

そんなときインターネットで、「自分がどうありたいか」にこだわって仕事を選べば悩むことはなくなる、という記事を見つけたわけです。

これには納得しました。「好き」は飽きるけど「自分がどうありたいか」は飽きません。

たぶん後者は欲望というか本能だからだと思います。

正直、欲望を原動力に生きるというのは、心のどこかがちょっと嫌がっている感じはします。

例えば足るを知らない人が最後にはどうなるかという物語は、子供の頃から折に触れ聞かされてきました。

私は仏教の本をよく読むので、欲という言葉にはやはりネガティブなイメージを持ってしまいます。

一方で人間の三大欲求の「食欲」、「性欲」、「睡眠欲」なんて、否定したら人間の生活が成り立ちません。

そもそも仕事は営利活動ですし、「営利」を辞書で引くと「金もうけ」が出てきます。嫌がること自体おかしなことかもしれません。

それによく聞くのは、欲にしても感情の「怒り」にしても、人間の本能を抑え続けるとろくなことにならない。

心の病気の原因にもなりますよね。

通勤時間帯に空いているバスを見て軽い衝撃を受けるのはトラウマのせいだと気づきました

夕方近所のスーパーに夕食の買い出しに行くのですが、国道に面しているのでよくバスを見かけます。

私が学生の頃は地下鉄も通っていなくて、中心街に出るための交通機関はこのバスしかありませんでした。

この通りのバスは利用者が多いことでも有名で、ブログでも何度か書きましたが、学生街や福岡ドーム、福岡タワーが周辺にある西新という街を経由して天神に至る路線なんですね。

通勤、通学の時間帯になると、渋滞でバスは動かないは乗客は満員でギュウギュウ詰めだはで、いつも大変な思いをしていました。

西新駅よりも前のバス停で降りて歩いたことが何度もあります。

そんな路線のバスが、今は乗客が少なくてスカスカなんですね。

その光景を見るたびに軽い衝撃を受けます。

交通量は相変わらず多いので、より一層乗客の少ないのが目立ちます。

しかし、なぜバスを見るたびに軽い衝撃を受けるんだろうとふと考えたんですが、多分トラウマのようになっているんじゃないかと思い当たりました。

思い返してみると、人の入る隙間のないくらい混んでいる車内で、渋滞でバスが全く動かずにしばらく停止していることはしょっちゅうでした。

横着をしないで自分でやる気の出る方法を考えることにします

ここ数日、忙しかったので今日は仕事のやる気が出ませんでした。

こういうときはどうしたものかなとインターネットで調べていたら、「意志力は有限である」という記事を発見。

ロイ・バウマイスターという心理学者が行った実験によると、クッキーを食べることを許可したグループと我慢するように命じたグループに分けて難しいパズルをやらせたところ、クッキーを食べたグループの方がパズルをより長い時間取り組んだそう。

クッキーの我慢を強いられたグループは「我慢の蓄え」がすでに消耗しており、新しい課題を与えられるとすぐに投げ出した、とあります。

そうか。私は仕事で疲れてしまって「我慢の蓄え」が消耗していたんですね。

さらに記事は続きます。

「意志力は有限な資源」なので無理に手を広げすぎてはならない。決心はたくさんではなくてひとつにすべきだ、とのこと。

なるほど。私があれやこれやに手を出してしまって、結局ひとつもものにならないのは、「意志力」が枯渇してしまうからなのでしょう。

Amazonで調べてみると、この心理学者の著した「WILLPOWER 意志力の科学」(インターシフト)という本があるようです。2011年のamazon.com年間ベストブックらしい。

洋楽を聴き始めた頃のことを思い出して今でも行動が変わらないことに驚いてしまいました

ここ半年ほど用事があって夜ふかしをすることが多いです。

用事が終わってすぐ寝ればいいのですが、疲れていて心が癒やしを求めているのか、ついインターネットで面白そうなサイトを探してしまいます。

最近やってしまうのが、中学生になって洋楽に目覚めた時期によく聴いていた曲を聴くこと。

当時はレッド・ツェッペリンやジェフ・ベックのようなハードな曲を大音量でかけて、持て余し気味のエネルギーを発散させることが多かったのですが、それ以外にもフォークやアメリカン・ポップスなど幅広いジャンルを聴いていました。

深夜に当時の曲を聴いていると、そのときの思い出が蘇ってきます。

とくにシットリとした雰囲気のある曲を聴くと、そのとき感じていた気分を思い出すんですね。

琴線に響く部分が四十数年経っても全く変わらないことにちょっと衝撃を受けました。感性なんて人間は生まれつき変わらないものなのか、私だけがそうなのかは分かりません。

当時の記憶をたどっていたら、感性どころか考え方も変わっていないように思えてきました。

ですので、考え方に基づく行動も当時とあまり変わっていません。行動する範囲が学校中心かそうでないかの違いだけで。

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