潜在意識

思い入れがあるものはちょっとしたことで嫌いになってしまうのかもしれません

昨日は、「関ジャム 完全燃SHOW」で先月放送されたヴァイオリン特集は最後まで面白く見たのに、前回の音楽の教科書について解説する回は、すぐにチャンネルを替えてしまったというお話をしました。

自分でもこの反応の違いにちょっと驚いてしまったのですが、音楽は感情に大きな影響を与えるので、苦手な学校の試験の記憶がよみがえってしまって、心が拒否反応を起こしたんですね。

学校の試験は本当に嫌でした。

昨日は、最近ロマン派の音楽はほとんど聴いていなかったとも書きましたが、これも感情の問題だと思います。

ロマン派の音楽はメロディも和声もとても印象的で、しっかり記憶に刻み付けられるので、その曲を聴いていた当時のことを思い出すこともあります。しかも揺さぶられる感情の振れ幅が大きい。

私が特殊なのかもしれませんが、聴いていて疲てしまうのです。

今でも聴けばとても感動すんですよ。

このようなことはあまり考えたことはありませんが、人間思い入れが強いものには、より敏感になってしまうんじゃないでしょうか。

私は大学の頃にクラシック音楽を視聴するサークルに入っていて、そこにはクラシック音楽に対する情熱に溢れた人たちがたくさんいました。

たまに音楽に興味がないのかもしれないと思ってしまうときがあります

市民オーケストラに所属している知人から、定期演奏会のチケットをもらいました。

ドビュッシー、サン=サーンス、ベルリオーズのフランスの作曲家特集みたいです。スゴイ。

指揮者や独奏者にはプロの方を呼ぶようですが、団員の方々がアマチュアとは思えないくらい上手いです。

今の市民オーケストラはレベルが高いですね。

チケットを見ると、サン=サーンスの演目は「ヴァイオリン協奏曲 第3番」とのこと。はて、どんな曲だったっけ?

最近ロマン派の音楽はほとんど聴いていなかったものですから、早速CDを引っ張り出して確認してみました。

そうです、そうです。第2楽章がとても美しい旋律で有名な曲です。しばし聴き惚れてしまいました。

このようなときは音楽はすばらしいなと思います。

そんな経験を数日前にしたのですが、昨日たまたまテレビをつけたら「関ジャム 完全燃SHOW」という番組をやっていました。

ミュージシャンが音楽の解説をしてくれるのでたまに見るのですが、この回は音楽の教科書を楽しく見返してみよう、というような内容でした。

目に入ってきたのは滝廉太郎の「花」のハモリを解説しているところ。「春のうららの 隅田川・・・」の曲ですね。

安全基地を口ぐせにすることで辛い状態から早く抜け出せるかもしれません

昨日はよくないと思っている習慣が、口ぐせによって直りかけていることを書きました。

もちろん、子供の頃から染み付いた意識はそうそう変わるものではありませんし、持って生まれた性格もあると思います。

今でもつい必要以上に頑張ってしまったり、根性で何とかなると思ってしまったりすることは、相変わらずです。

ただ「頑張らない頑張らない・・・」という口ぐせがあるおかげて、ふとわれに返って客観的に見つめようとする姿勢だけは身に付いたように思います。

このようなお話をすると、直したいことは何でも口ぐせにすればいいのでは、となりそうですが、そういうことでもないように思います。

私の場合はパニック障害を発症して本当に苦しんだので、自分を追い込むような働き方をしたくない想いは切実で、この口ぐせはすぐに定着したように記憶しています。

この他にもいろいろな口ぐせを試しましたが、今ではほとんど覚えていません。

以前「過敏で傷つきやすい人たち」(幻冬舎新書)という本の中で、著者の岡田尊司さんが安全基地を持つことを薦めていらっしゃったことを受けて、自分なりに考えてみたことを書きました。

そのときに考えた安全基地が、今でも自分の中でいい感じで機能していると感じています。

口ぐせでよくない習慣が直りかけているようです

私が小学生の頃は高度成長時代の終わりの方で、一所懸命働けば豊かになれるとみんなが信じていた時代でした。

確かに仕事もたくさんあったようですし、右肩上がり経済が続くとほとんどの人が思っていたようですから、ローンを組んでマイホームを購入するのもそれほど特別なことではなかったようです。

年金制度も、今のように先行きが見えないなんてこともないので、将来に対してそう不安になることもありません。

そんな世の中であれば、仕事は残業をすればするだけ給料も増えます。

頑張れば頑張るだけ豊かになれる、少々体調が悪くても根性で何とかする、というような意識が日本人の中にあったようです。

アニメでさえ「巨人の星」や「アタックNo.1」などの根性ものがもてはやされていましたから、子供ながらにそれは感じていました。

私は30歳過ぎて体を壊すまで、そのような意識を持っていました。

逆に、頑張っていないときは不安を覚えるような気持ちさえありました。

独立して体を壊すまでの期間が、最も「さあ、頑張るぞ」という気持ちで過ごしていたと思います。

体を壊してからはそれまでの生き方をずいぶん反省しましたし、右肩上がりの経済も終わりを告げ世の中も変わりました。

人生100年の時代になればライバルの話題も今ほど引きずられなくなると思います

昨日も書きましたが、スポーツの世界のライバル関係は、高いレベルで競い合っているのであれば、力が拮抗している時期は長くはなくて、年月が経てばどちらかがそのレベルを保てなくなるのは、当然のことではないでしょうか。

そういう意味では、マスコミや世間で脚光を浴びるほどのライバルというのは、いつまでもその関係がついて回るようであれば、ちょっとかわいそうに感じます。

最年長で活躍を続けるサッカーの三浦知良選手や、40代で表彰台に立ち続けるスキージャンプ界のレジェンド葛西紀明選手など、最初から個人で活躍する方のニュースは純粋にスゴイと感じることができるのですが。

華やかなスポーツの世界ではなく、私たちの人生においても、学校の成績ではアイツに敵わなかったけれど、会社人生では俺の方が出世した、見返してやった、みたいなライバル関係は結構あるように思います。

ちなみにこのような会社の出世競争といったら、40代にはもう決まっているのではないでしょうか。

これは60歳で定年退職して、平均寿命が70代くらいの時代にできた話のような気がします。

近年話題になっているように、人生100年が普通になったとしたら、多くの人が60代でも仕事をしていると思います。

スポーツのライバル関係は人生の中では短い期間だと思います

昨日、来日中のトランプ大統領と安倍首相のゴルフ外交に、プロゴルファーの松山英樹選手も参加してプレーしました。

トランプ大統領が松山選手の参加を熱望して実現したようです。

2、3日前、大リーグで活躍している田中将大投手がヤンキースに残留することがニュースになっていましたが、私はこの二人を見ると、以前ライバル視されていた選手のことを思い出します。

日本人はライバル対決が好きなのか、ストーリーを作ってでもライバル対決を盛り上げようとしている気がします。

みうみまコンビとして知られる、卓球の平野美宇選手と伊藤美誠選手もそうですよね。

伊藤選手の方がオリンピックに出場し、その後の全日本選手権やアジア選手権では平野選手の方が活躍しています。

このような人たちはそれぞれの競技でもトップの選手であり、注目されるのは当然ですが、注目されすぎて気の毒になります。

学生の部活のレベルではなく、遥かに高いレベルで競い合っているライバルですから、ある時期に力が拮抗していても、年月が経てばどちらかがそのレベルを保てなくなるのは、当然のことではないでしょうか。

フィギュアスケートの浅田真央選手やキム・ヨナ選手のように、長い間注目されることの方が珍しいのでしょう。

易経で現代を見る目が変わるのか観察してみたいと思います

もう一つ例を挙げると、六本の爻(こう)はそれぞれ陰陽の定位置があって、一番下は陽、二番目は陰、三番目は陽、・・・というように、交互に正しい位置があります。

もちろん一番下に陰が来る卦もたくさんありますが、本来陽が来るべき場所に陰が来るのは「不正」といって、基本的にあまりいいとはいえないようです。

例えば63番目に来る卦は「既済(きせい)」といって、下から陽陰陽陰陽陰と各爻がすべて正しい位置にある。

これは最高の形なので、最も幸運な卦だと思いますよね。

しかし、これは「少しいい」という解釈なんです。

つまり並びとして完成しているので、あとは衰退しかない、なのであまりいいとはいえない、という解釈のようなのです。

私はこの説明を読んでびっくりしました。

さらに最後の64番目の卦「未済(びせい)」は、既済の反対で、下から陰陽陰陽陰陽とすべて「不正」の位置にあります。

普通ならば最悪のように感じますが、逆に未来があり、前の既済よりはめでたい、という解釈のようなのです。

いいことばかりとか、逆に悪いことばかりというような極端な決め付けはやめるように、ということなのでしょう。

面白いですよね。とても感動しました。

易者さんになる人はすごいなと思ってしまいます

易経には、いろいろなシチュエーションにおける人間関係のことが書かれていて、その一つ一つのエピソードを卦(か)と呼び、全部で64卦あることをお伝えしました。

そして、一つの卦は陰(--)か陽(-)の横棒六本で表現し、その横棒のことを爻(こう)と呼びます。

爻は実世界の人の身分を表していて、一番下は一番低い身分の人で、上に行くほど身分が高くなります。

以前、ソポクレスのギリシア悲劇全七篇の各篇を一つの卦に、登場人物六人を各爻に当てはめて解説した、氷見野良三著「易経入門 孔子がギリシア悲劇を読んだら」(文春新書)という本をご紹介しました。

これから分かるように、六本の爻の内容は卦ごとにそれぞれ違うので、64卦×6爻=384種類の爻があることになります。

私は易経を読み始めてまだ間もないので、正確なことは分かりませんが、易者さんは解説書も見ずに細長い棒の束で、ジャラジャラと占っていらっしゃいます。

当たり前なんでしょうが、64の卦と384の爻を覚えて自分なりの解釈をされているんですよね。スゴイ。

ある易の先生が、ブログで「易の世界は奥深く、一生かかっても学びきれないでしょう」と書いていらっしゃったので、さもありなんと思ってしまいます。

易の考え方は日常生活に役に立つようです

以前、易経の解説書を買ったことを書きましたが、あれから少しずつ読み進めています。

最近ちょっとイラッとしたできごとがあったのですが、以前と比べて気にならなくなったような気がします。

これも易経を読んでいたおかげだと思います・・・なんてことを書いてみたいのですが、そのできごとは大してイラッっとするようなことでもなかったのでしょう。

しかしその際、易経ならばここで怒るのは小人ということなんだろうな、と考えたのは確かです。

易経には、いろいろなシチュエーションにおける人間関係のことが書かれていて、ちゃんとした人や心の狭い人などが次々に登場します。

自分は後者の部類に入るのでしょうが、そのような人たちの例を読んでいくと、何が起こっても「よくあることだ」という気分になるのかもしれません。

易者さんといえば、細長い棒の束を持って、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といいながら占うイメージがあります。

占った結果、64種類の卦(か)とよばれるもののうち、いずれかの結果が出ます。

卦というのは、先ほどあげたシチュエーションのワンエピソードです。

易経には64種類のエピソードが書かれているんですね。

昨日64番目まで一通り読み終わりました。

干支のような周期が心や身体に影響を与えているのかもしれません

音楽にしても、よく聴いている音楽に加えて、ジャズを聴いている時期やロックを聴いている時期もありました。

いつも聴いている音楽に飽きたということもあるのかもしれませんが、それだけではなく、積極的に聴きたい気分になっていたように思います。

それが季節の変化の影響なのか、年齢の変化によるものなのか、それはよく分かりません。

しかし人間も自然の一部ですから、四季の変化があるように、人間にも四季があっていいはずです。

日本人には馴染み深い干支なんて、そのような考え方なんじゃないかと勝手に考えています。

今日、2017年8月17日は丙子の日です。

干支という字の「干」は甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸の十干。

干支という字の「支」は子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の十二支。

干支とはその組み合わせで、甲子、乙丑、丙寅、・・・十番目の癸酉まで来たら十二支の戌が余ります。

なので十干の甲に戻って、甲戌、乙亥、十二支の子に戻って、丙子、丁丑、・・・。

六十番目の癸亥まで来たら、最初の甲子に戻ります。

生まれた年も今日の干支と同じ考え方です。

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