潜在意識

ユングの心理療法に惹かれる理由として象徴マニアというのがありそうです

ユングの「心理療法論」(みすず書房)を少しずつ読み進めています。

以前、河合隼雄さんの「カウンセリングの実際」(岩波現代文庫)があまりにも面白くて、このシリーズである「〈心理療法〉コレクション」を揃えてしまったことを書きました。

こちらも今読み進めているのですが、私はユングの著作を読んだことがないので、ちゃんと本人が心理療法について書いた本を読んでみたいと思ったんですね。

河合さんの本を読んでいたので、ユングの心理療法について、ごく基本的なところは分かっていました。

フロイトやアドラーの理論の有効性を認めているところや、普遍的な治療法はなく患者個別に対応するスタンスなどが、ユングの口から語られます。

ユングが何故夢を重視するかも泥臭く説明しています。

「私のところに来る患者は、初めて治療を受ける人はほとんどいないというほどに片寄っている。ほとんどの事例がすでに何らかの心理療法的治療を受けており、しかも部分的成功ないし失敗を経験している。」

・・・と述べた上で・・・

得意かもと思っていることを「やらないことリスト」に入れても上手く行きません

よく目標を達成したいときや仕事が上手く行かないときなどに、「やらないことリスト」を作るといいという話を聞きます。

多くの人は、ToDoリストというか、やることばかりリストアップして、どれも中途半端になっているということのようです。

私もその通りだなと思って、ずいぶん前に、時間を取られるいくつかの娯楽をやめました。

しかしふと気が付くと、あれもやらなきゃこれもやらなきゃと、やることリストがいっぱいになってしまいます。

自営の仕事をしていると将来が不安になるので、保険をかけるような感じでいろいろなことに手を出す、ということなのかもしれません。

以前上手く行ったことや喜ばれたことなどは、それなりに得意なことだと感じているので、つい関連情報を調査したり訓練したりしてしまいます。

そういうのが積もり積もって、大事なことをやる時間を圧迫しているのは、頭では分かっているのです。

二十代、三十代ならばいろいろなことにトライしてもいいと思いますが、もう同級生に定年退職者が出ているような年齢の人間がこれじゃ情けなくなります。

人生の残り時間を計算して焦るという方法でもだめでした。

福岡は台風が近くをよく通るので慣れっこになってしまっていました

今、台風17号が壱岐・対馬付近を通過しているようです。

福岡市に最も接近しているということですね。すごい風です。

私の家は古い木造なので、雨戸がギシギシ音を立てています。

今朝、中心気圧は975hPaと出ていて、昨日から少し弱くなっていたので、接近する頃にはまた弱くなるだろうと予想していたら、今も変わらず。自然はこちらの希望通りになってはくれません。

・・・と書きながら、今Yahoo!の台風情報を更新したら980hPaに変わっていました。

やっぱり自然は分からないものですね。

福岡市は台風の直撃はあまりありませんが、それでも近くを通過することは多いので、台風のニュースが流れてもそんなに不安になりません。

今日も昼に夕食の買い出しに行ったのですが、スーパーはそれほど混雑してなくて穏やかなものでした。

なので甘く見ていたんですね。これだけ強い風が吹くと怖いです。

東京に住んでいたときは、よく地震で揺れるので最初は怖かったです。

仕事を始めたとき、震度3くらいの地震が起きても、同僚は何食わぬ顔で仕事を続けていたので驚いた記憶があります。

それでも東日本大震災のあと、元同僚と話したとき、一番ビックリしたといっていました。

大人になると抑圧とか禁止令のような鎧をずいぶん身にまとっているなと感じます

日頃から無意識に行き過ぎた行為をして、精神的に疲れてしまうことがあります。

私が子供の頃は巨人の星やアタックNo.1のようなスポ根アニメ全盛で、勉強をやるにしてもスポーツをやるにしても、「根性」という言葉をかなり意識していたように思います。

何度かブログに書いたのですが、三十代で精神的に参っていたとき、自分なりに何故こうなったのか考えていて、「頑張らなきゃ」というフレーズをしょっちゅう使っていたことに気付きました。

そのフレーズが刷り込まれていたんですね。

なので、ある時期から「頑張らない」という口癖を意識するようになって、ずいぶん精神的に楽になったように思います。

その口癖以外にも、自分なりにアンガーマネジメントに有効だなと思ったのは、タモリさんの「他人に期待しない」とか、ポーランドのことわざらしい「Not my monkey, not my circus」なんてのもあります。

それに最近、これもちょっと効くんじゃないかと思った口癖があります。

それは何かに焦ったり不安になったり、とにかく負の感情が湧いたときに、自分の幼いときの呼び名「◯◯ちゃん」と呼びかけてやると、フッと冷静さを取り戻すような気がするのです。

イレギュラーなことが起きないと人間日頃と違うことをしないものだと思いました

今日はニトリで買いたいものがあったので、ちょっと遠いのですが、夕食の買い出しも兼ねて自転車で出かけました。

帰路についた途端、「プシュー」っと分かりやすい音が。まるで漫画でパンクしたときの擬音のようです。

こんなときに限って・・・と思いながら、帰り道にある自転車屋さんに押しながら向かいました。

一キロほど歩いて自転車屋さんが見えてきたと思ったら、シャッターが閉まっています。

今六時ちょっと過ぎ。確かこのお店の営業時間は夕方六時までだったような。

遠出をしたときに限って、しかも自転車屋さんが閉まる直前にパンクするなんて、マーフィーの法則ですよね。

やっと家に着いたときには疲れ果てていたので、夕食は近所のコンビニに買いに行きました。

コンビニで夕食を買ったのは、東京のゲーム開発会社でマスター直前に会社に泊まり込んでいたときか、台風の最中に他のお店に行けなかったときくらいです。

惣菜の棚を物色していたら、買い物かごを持った大学生くらいの男性や若い女性がやってきました。

結構コンビニで夕食を済ませている人は多いのかもしれません。チャーハンや餃子など、美味しそうなものばかり並んでいます。

いつか心の拠り所を探している人に参考になるものを提供できればと考えています

普通に生活していても、精神的にどんよりしてしまうできごとに遭遇してしまいます。

今日もプライベートでそのようなことがあって、仕事に集中できなくて困ってしまいました。

こういうときに、これをやれば心が晴れるというものがあればいいのですが、そんな都合のいいものはありません。

私だけかもしれませんが、これが私が五十数年生きてきて分かったことです。

しかし、必要以上に心が落ち込むのを防ぐことができそうなものは、いくつか見つかりました。

それは今までブログに書いてきたように、唯識仏教であったり、易経であったり、陰陽五行であったりします。

いずれも千年以上の歴史を持つためか、数年学んだだけではまだ全貌さえつかめない感じです。

先日ブログで、根本幸夫・根井養智共著「陰陽五行説―その発生と展開」(薬業時報社)のことを書いたとき、「陰陽五行説は、陰陽説と五行説が結合したものであるが、中医学も含めて、すべての漢方医学の基礎である。」という文章をご紹介しました。

陰陽五行といえばスピリチュアルと捉えられている方も多いと思いますが、多くの人が利用する漢方薬を含む東洋医学の理論的支柱でもあるわけで、今まで通り精神的な拠り所として学んで行く想いを強くしました。

落ち着いてきたせいか日々の変化や去年との違いを意識できているような気がします

今年より去年の方が猛暑日が多かったような気がします。

自分も親も、もう少し暑さにバテていたような。

暑さ以外にも、ゲリラ豪雨とか地震とか台風とか、もう少し自然が荒れていたような気がします。

もちろん気がするだけで、データを比べてみたわけではないので、間違っているかもしれません。

ただ、ここ数年は例年との違いを何となく認識できているように感じています。

それは毎日ブログを書いているからなのかもしれませんし、易経を覚えるために毎日その日を占っているせいかもしれません。

それに先程思い付いたのですが、数年前から、やることとやらないことを選んできた成果が出ているような気もしています。

私は子供の頃からいろいろなことに興味があるというか、あっちフラフラこっちフラフラと、興味に任せて何にでも首を突っ込んできました。

私と同じような人はたくさんいると思うのですが、始末が悪いのは、一つのことを続けて成果を出したいという欲求もあるんですね。

なのである時期から、まとまった時間を使うもので、自分のやりたいことと関係性が低いものはやらないように決めました。

人の心のような答えの出ないものは唯識仏教などのアイデアを参考にしたいです

河合隼雄さんの「カウンセリングの実際」(岩波現代文庫)の続きを読み始めて、あまりの面白さに読み終えてしまいました。もういちいち目からうろこの話ばかり。

この本は「〈心理療法〉コレクション」の中の一冊で、他にも「心理療法序説」や「心理療法入門」のようなカウンセリングに関する本があるので、つい買おうと思いつつ、ふと考え込んでしまいました。

昔から心理学に興味があったので、たまに関連する本を購入しては新しい知識に触れて、そのたびに感動してきました。

しかし一方で、「結局心って何?」という疑問は解消しませんでした。

たまに「こころとは◯◯のようなものである」みたいな名言を見たりすると、そのときはなるほどと感心するのですが、しばらくするとやっぱり疑問のまま。

そんな中、ここ数年は心の構造を詳細に解説している唯識仏教を知って、「結局心って何?」という疑問がわくことはあまりなくなったように感じます。

そんなことを考えていたら、ここ数年、同じようにとても興味があって学んでいる陰陽五行や易経について、自分の中に占める位置が何となく見えてきました。

生年月日の干支やその年の干支で見る陰陽五行は、人それぞれの資質や運気の目安を示してくれますし、易経は世の中の仕組みのようなものを教えてくれます。

自分の環境を心が前向きになれるように意味づけられればいいなと思います

今日インターネットを見ていたら、プレジデントオンラインの「自ら傷口に塩を塗る"トラウマ"という呪詛」という記事に目が止まりました。

これは面白そうだと思って読んでみると、確かにその通りだなと納得してしまった箇所が。

「同じ仕事でも不満な人と満足な人がいるワケ」という見出しに続く次の箇所です。

「ある企業で働く人たちを対象に意識調査を実施した際に、面白いことがわかった。同じ職場で同じ業務を担当していても、給料が安いとか残業が多いとか仕事にやりがいがないなど会社や仕事に対する不満が多い人がいる一方で、お客さんから直接反応があるからやりがいがあるとか自分の成長につながっていると感じるなどと満足感を示す人がいるのだった。」

つまり自分の境遇をどう意味づけるかで、受け止め方が変わってくるらしいのです。

いやもう、その通り。私が最初に働き始めたゲームソフト開発会社からしてそうでした。

大きな会社だったので、「本当は◯◯の部署に行きたかった」という人たちは日頃から不満を口にしていましたし、ゲームが好きな人たちはやっぱり楽しそうに仕事をしていました。

易経は山あり谷ありの人生を正直に示してくれるのでありがたいです

昨日の夜、作業も一通り終わったので最後にふとメールをチェックしたら、Appleからリジェクトのお知らせが。

実はあるアプリを申請していたのです。ああっ。

気を取りなおしてResolution Centerに行ってみると、何だかいっぱい書いてあるぞ・・・。バイナリも修正しなければならないようです。

ざっと目を通して、まずやんなきゃならないのはこれみたいです。利用規約を作ってアプリに組み込む。

- Require that users agree to terms (EULA) and these terms must make it clear that there is no tolerance for objectionable content or abusive users

夜も遅いので起きてからやろうと、今やるのはあきらめて、毎日寝る前にやっている易占いをしました。