潜在意識

イレギュラーなことが起きないと人間日頃と違うことをしないものだと思いました

今日はニトリで買いたいものがあったので、ちょっと遠いのですが、夕食の買い出しも兼ねて自転車で出かけました。

帰路についた途端、「プシュー」っと分かりやすい音が。まるで漫画でパンクしたときの擬音のようです。

こんなときに限って・・・と思いながら、帰り道にある自転車屋さんに押しながら向かいました。

一キロほど歩いて自転車屋さんが見えてきたと思ったら、シャッターが閉まっています。

今六時ちょっと過ぎ。確かこのお店の営業時間は夕方六時までだったような。

遠出をしたときに限って、しかも自転車屋さんが閉まる直前にパンクするなんて、マーフィーの法則ですよね。

やっと家に着いたときには疲れ果てていたので、夕食は近所のコンビニに買いに行きました。

コンビニで夕食を買ったのは、東京のゲーム開発会社でマスター直前に会社に泊まり込んでいたときか、台風の最中に他のお店に行けなかったときくらいです。

惣菜の棚を物色していたら、買い物かごを持った大学生くらいの男性や若い女性がやってきました。

結構コンビニで夕食を済ませている人は多いのかもしれません。チャーハンや餃子など、美味しそうなものばかり並んでいます。

いつか心の拠り所を探している人に参考になるものを提供できればと考えています

普通に生活していても、精神的にどんよりしてしまうできごとに遭遇してしまいます。

今日もプライベートでそのようなことがあって、仕事に集中できなくて困ってしまいました。

こういうときに、これをやれば心が晴れるというものがあればいいのですが、そんな都合のいいものはありません。

私だけかもしれませんが、これが私が五十数年生きてきて分かったことです。

しかし、必要以上に心が落ち込むのを防ぐことができそうなものは、いくつか見つかりました。

それは今までブログに書いてきたように、唯識仏教であったり、易経であったり、陰陽五行であったりします。

いずれも千年以上の歴史を持つためか、数年学んだだけではまだ全貌さえつかめない感じです。

先日ブログで、根本幸夫・根井養智共著「陰陽五行説―その発生と展開」(薬業時報社)のことを書いたとき、「陰陽五行説は、陰陽説と五行説が結合したものであるが、中医学も含めて、すべての漢方医学の基礎である。」という文章をご紹介しました。

陰陽五行といえばスピリチュアルと捉えられている方も多いと思いますが、多くの人が利用する漢方薬を含む東洋医学の理論的支柱でもあるわけで、今まで通り精神的な拠り所として学んで行く想いを強くしました。

落ち着いてきたせいか日々の変化や去年との違いを意識できているような気がします

今年より去年の方が猛暑日が多かったような気がします。

自分も親も、もう少し暑さにバテていたような。

暑さ以外にも、ゲリラ豪雨とか地震とか台風とか、もう少し自然が荒れていたような気がします。

もちろん気がするだけで、データを比べてみたわけではないので、間違っているかもしれません。

ただ、ここ数年は例年との違いを何となく認識できているように感じています。

それは毎日ブログを書いているからなのかもしれませんし、易経を覚えるために毎日その日を占っているせいかもしれません。

それに先程思い付いたのですが、数年前から、やることとやらないことを選んできた成果が出ているような気もしています。

私は子供の頃からいろいろなことに興味があるというか、あっちフラフラこっちフラフラと、興味に任せて何にでも首を突っ込んできました。

私と同じような人はたくさんいると思うのですが、始末が悪いのは、一つのことを続けて成果を出したいという欲求もあるんですね。

なのである時期から、まとまった時間を使うもので、自分のやりたいことと関係性が低いものはやらないように決めました。

人の心のような答えの出ないものは唯識仏教などのアイデアを参考にしたいです

河合隼雄さんの「カウンセリングの実際」(岩波現代文庫)の続きを読み始めて、あまりの面白さに読み終えてしまいました。もういちいち目からうろこの話ばかり。

この本は「〈心理療法〉コレクション」の中の一冊で、他にも「心理療法序説」や「心理療法入門」のようなカウンセリングに関する本があるので、つい買おうと思いつつ、ふと考え込んでしまいました。

昔から心理学に興味があったので、たまに関連する本を購入しては新しい知識に触れて、そのたびに感動してきました。

しかし一方で、「結局心って何?」という疑問は解消しませんでした。

たまに「こころとは◯◯のようなものである」みたいな名言を見たりすると、そのときはなるほどと感心するのですが、しばらくするとやっぱり疑問のまま。

そんな中、ここ数年は心の構造を詳細に解説している唯識仏教を知って、「結局心って何?」という疑問がわくことはあまりなくなったように感じます。

そんなことを考えていたら、ここ数年、同じようにとても興味があって学んでいる陰陽五行や易経について、自分の中に占める位置が何となく見えてきました。

生年月日の干支やその年の干支で見る陰陽五行は、人それぞれの資質や運気の目安を示してくれますし、易経は世の中の仕組みのようなものを教えてくれます。

自分の環境を心が前向きになれるように意味づけられればいいなと思います

今日インターネットを見ていたら、プレジデントオンラインの「自ら傷口に塩を塗る"トラウマ"という呪詛」という記事に目が止まりました。

これは面白そうだと思って読んでみると、確かにその通りだなと納得してしまった箇所が。

「同じ仕事でも不満な人と満足な人がいるワケ」という見出しに続く次の箇所です。

「ある企業で働く人たちを対象に意識調査を実施した際に、面白いことがわかった。同じ職場で同じ業務を担当していても、給料が安いとか残業が多いとか仕事にやりがいがないなど会社や仕事に対する不満が多い人がいる一方で、お客さんから直接反応があるからやりがいがあるとか自分の成長につながっていると感じるなどと満足感を示す人がいるのだった。」

つまり自分の境遇をどう意味づけるかで、受け止め方が変わってくるらしいのです。

いやもう、その通り。私が最初に働き始めたゲームソフト開発会社からしてそうでした。

大きな会社だったので、「本当は◯◯の部署に行きたかった」という人たちは日頃から不満を口にしていましたし、ゲームが好きな人たちはやっぱり楽しそうに仕事をしていました。

易経は山あり谷ありの人生を正直に示してくれるのでありがたいです

昨日の夜、作業も一通り終わったので最後にふとメールをチェックしたら、Appleからリジェクトのお知らせが。

実はあるアプリを申請していたのです。ああっ。

気を取りなおしてResolution Centerに行ってみると、何だかいっぱい書いてあるぞ・・・。バイナリも修正しなければならないようです。

ざっと目を通して、まずやんなきゃならないのはこれみたいです。利用規約を作ってアプリに組み込む。

- Require that users agree to terms (EULA) and these terms must make it clear that there is no tolerance for objectionable content or abusive users

夜も遅いので起きてからやろうと、今やるのはあきらめて、毎日寝る前にやっている易占いをしました。

あまりの暑さで、いつもの日常がちょっとおかしかったような気がします

福岡は今日、ものすごく暑かったです。

先程テレビで最高気温は34度だったといっていましたが、今年一番じゃないでしょうか。

夕食の買い出しに近所のスーパーに行ったとき、店先でお饅頭屋さんの屋台が出ていました。

以前にも書きましたが、こんな日に室外にお饅頭を置きっぱなしにして大丈夫なんでしょうか。

店内に入ると、入口付近で話し込んでいる二人のおばあちゃんが。年を取るとこれからバスで帰るのが大変、みたいな会話をしていました。

バス通りに面しているお店なのでこのような方は多いのですが、さすがに今日のような日は大変だなぁと気の毒になります。

私はお刺身のような生ものを買うことが多いので、買い物を終えて、今日もレジ付近に設置されている製氷機で氷をもらおうとドアを開けたら、ほとんど氷がありません。

このお店の製氷機はかなり大型で絶えず氷ができているので、いつも氷はいっぱいです。こんな状態になっているのを初めて見ました。

今日は燃えないゴミの日なので、夕食のあと外にゴミを出しました。福岡市は深夜に収集するので夜に出すんですね。

出したあとに気が付いたのですが、今日は蚊に刺されていません。

カウンセリングをする人と受ける人が無意識の世界で接触する話に興味を持ちました

今日、仕事の合間に河合隼雄さんの「影の現象学」(講談社学術文庫)を読んでいました。

たまにこのブログで、小松和彦さんや若桑みどりさんの本のことを書きますが、このお三方の本はいつ読んでも面白い。

今日読んでいた箇所、カウンセリングをする人と受ける人との関係性を書いたくだりがとても印象に残りました。以下抜粋です。

「まずセラピールームが「開かれた世界」であるとは、治療者もクライエントも共に、その無意識の世界に対して開かれていることを意味する。特に治療者はそのような開放性を身につけていなければならぬ。その開かれた世界で、われわれは無意識界に住む人々と「自由に接触」し「平等」に話し合う。」

私は昔からこの無意識の世界にとても惹かれていて、それが易経を学んでいる理由でもあるんですね。

こちらも以前ブログに書いた岡本吏郎さんの本、「ビジネスパーソンのための易経入門」(朝日新書)に無意識に接近できる道としての易経を説明されています。以下抜粋です。

「易が表現している「構造」とは、どうにもならない無意識世界の表現の一部です。私たち人間の希望とか不安などとはまったく関係なく、ただそこにある世界。私たちの都合などまったく相手にしない冷徹な世界。それを易は64個の卦で表現しました。」

自分の内なるネガティブな声に子供の頃の愛称で呼びかけています

数日前、ウェブメディアのライフハッカー[日本版]で「自分の内なるネガティブな声には、名前を付けてしまおう」という記事を見つけました。

ネガティブな声に名前をつけ、何かマイナスなことを考えるたびにその名前を呼ぶ。人は自分の声から自分自身を守るメカニズムは持っていないが、他者からは自分を守ることができる、ということのようです。

へぇー、面白いですね。

私はストレスが溜まってくると、必要以上に罪悪感を感じるようになったり精神的に不安定な状態になりやすいです。

そのようなときに使えるかもしれないな、と思って何度か試してみました。

しかし結果は・・・自分の場合はあまり効果はなさそうです。

自分じゃない人の名前を呼んでも、私の心が反応しないようです。う〜ん、冷めたやつだ。

それならばと、私の学生の頃のあだ名や子供の頃の愛称を使ってみました。

すると何だかいい感じで、心が冷静さを取り戻すような気がします。

何種類か試してみましたが、一番小さな頃の呼ばれ方「○○ちゃん」が一番効果がありそうな感じでした。

これはどういうことでしょうね。心理学的にすでに説明されていることじゃないかと思うんですが。

モノを所有するというのはストレスが溜まる行為なのかもしれません

先日書いた、壊れたプリンターとCDプレーヤーとFAXの回収を業者さんにお願いした件ですが、明日来ていただけるというので、今日取り外して用意を済ませました。

CDプレーヤーなんて、セッティングした場所から取り出すのは二十年ぶりくらいです。埃がこびりついてベルベットの生地のようになっていました。

置いていた場所にスペースができて随分スッキリしました。

壊れたものはすぐ処分すればいいのですが、自分に向かって「いつか修理するかもしれないし・・・」みたいな言い訳をして、つい放置してしまいます。

でも、スペースができたときにスッキリした気分になるということは、少なからずストレスが溜まっていたんじゃないかと思います。

モノを所有するというのは、置く場所を必要としますのでコストもかかります。

必要なものはしょっちゅう必要になりますが、必要な時期を過ぎると急に使わなくなったりもします。

フロッピーディスクなんて、かつてはバックアップも含めいくらあっても足りなかったんですが、ハードディスクが普及したら大量に余ってしまいました。

一時期ペーパーレス化といって、オフィスの紙の資料をデジタル化することによって、探す手間や置くスペースを省くことを奨励する風潮があったと思います。